今回は、2018年4月7日にリリースされた、カンザキイオリさんの楽曲「自由に捕らわれる」の歌詞について考察していきます!
「自由に捕らわれる」は、カンザキイオリさんご自身で作詞・作曲を手掛けました。
大人になり、誰からも縛られることなく自由を手に入れたが、今度はその自由に縛られてしまう…
本当の自由とは何なのかが分からなくなってしまい、自分が望んでいたものは何だったのか、その「分からない」に放浪された(おそらく)若者を描いた楽曲となっています。
この曲の歌詞に秘められた作詞家の思いとは、一体何なのでしょうか?
それでは考察を始めていきたいと思います!

自由に捕らわれる 歌詞考察
周りの大人たちからの解放
今まで散々 縛ってきたくせに
出典:自由に捕らわれる / 作詞・作曲:カンザキイオリ
「これから自由にやりなさい」とか
馬鹿にしてんのか
馬鹿にはしてないか
なんでもできるって思ってんだろうから
このフレーズで思い浮かべる状況としては、学校を卒業した直後の生徒の感情でしょうか。
あくまで私個人の見解ですが、学校の教師が生徒のことを気にかけてくれるのは学校を卒業するまで、
教師は、自分の学校の生徒でいる間は可愛がってくれるし、気にかけてもくれるでしょう。しかし卒業した後はもうほったらかしです。
親にも言えるのではないでしょうか。例えば家にいる間は勉強ばかりさせられてきて生きてきたけど、自立をする時は、後は自由にやりなさいと言って、野放しではないけど責任を持ってくれなくなる。
教師も親も、生きていく術は教えてくれなかったくせに、自立して自分の足で立っていく時は無責任にも放任。馬鹿にしているのかと思えばそうではない。
親も教師も、立派に成長したと心から思って言っているから。
それなら期待通りになんでもやろう
出典:自由に捕らわれる / 作詞・作曲:カンザキイオリ
感化されたものはなんでも身につけよう
周りに何を言われたって
好きなものを好きなように好きになろう
協調性がない奴って言われたけれど
勉強、校則、家の手伝いばかりやらされてきて、生き方を教えてもらっていなくて、どうすればいいか分からないけど、
「後は自由にやりなさい」って言われたんだから、言われた通り自由にやってやる。
立派になってやると、少し開き直った様子も見られますが、
自分なりに覚悟を決めている表現ではないかと思います。
感化されたものはなんでも身につけよう、とか、好きなものを好きなように好きになろう。
というフレーズは、まだあまり外の世界(学校や家の外)を知らない若者のような、ちょっとした初々しさが見て取れますね。
この楽曲で描かれている人物像は、「協調性がない人」なのでしょうね。
解放された代わりに出会う数々の戸惑い
明るい曲を聴き始めた
出典:自由に捕らわれる / 作詞・作曲:カンザキイオリ
本当は興味があったから
セクシャルを隠すのをやめた
自分を信じ始めたから
習っていたピアノをやめた
独学でやりたかったから
知らない何かに戸惑うばかりだ
今まで興味があっても、学校や家に邪魔をされてできなかったことを始めた自由、
周りの目を気にして隠していた部分をさらけ出す自由、
本当は自分の思うとおりに弾きたかったピアノだったが、指導者によって制限されたやり方でしか弾くことを許されなかった環境から解放され独学で学ぶ自由。
沢山の自由を手にした分、知らないことにも沢山出会い、戸惑うことも増えたことも現実でしょう。
新たな一歩を踏み出す時、必ず通る道です。私にもそんな時期がありました。
これから僕らは とりとめもない自由の果てに
出典:自由に捕らわれる / 作詞・作曲:カンザキイオリ
騙され踊らされ 生きていくのだ
何も考えず過ごすだけで褒められた日々は
二度とは戻らない
あとは忘れるだけ
好きなものも嫌いなものも
もう誰かが決めてはくれない
これから僕らは自由に捕らわれる
今までは、校則に縛られ、未成年という若さに縛られ、自由が許されることのない生活だったが、年齢的にも大人になり、縛るものは無くなった。
そして自由を手に入れたが、今度はその「自由」に翻弄されて生きていくことになった。
今まで生きていく上での選択肢を誰かが決めてくれていたが、
そんな人はいなくなり、これからは自分で自由に選択して生きていく。
そして自分の意思で決めた選択肢に、今度は騙されたり、踊らされたりしながら生きていくんだなと、このフレーズでは痛感しています。
カンザキイオリさんは、ひとつ前のフレーズで考察した選択の自由というものを、
「自由に捕らわれる」と表現しています。
いつだって僕らの価値を決めるのは
出典:自由に捕らわれる / 作詞・作曲:カンザキイオリ
僕らじゃなかった
それで反抗しなかったのは
それでいいと思ったからじゃない
そもそもそれで妥協してたら
暗い曲にのめり込んでなどいない
「痛い」「寒い」「辛い」「怖い」って
自分の変わりに誰か歌うから
自由の身になる前は、自分の価値はいつも周りが決めていた。
最初の、いつだって~僕らじゃなかったのフレーズは、この一文の意味が込められていると思います。
特に学校生活を送っていると、クラスで括られていて、一人一人のクラスメイトの評判は周りが勝手に決めているし、先生は特に何も問題のない生徒のことは「いい子」として評価しがちです(個人的な意見ですが…)。
しかし周囲には知らない魅力が一人一人の中には必ずある。でもそれに気づかず表面だけでクラスメイト一人のことをマイナスに評価する人もいたりしますよね。
自分の変わりに誰か歌うから。は、他にも同じ境遇の人がいて、その人が変わりに声を出すだろうと言っているのか、
それとも自分自身で「いや!あいつはそういう人じゃない!」と声を出してくれるだろうと言っているのかはいまいち予想はつかなかったが、恐らく後者の方ではないでしょうか。
ただそれを、「暗い」とか、「寒い」という表現に持っていっているので、もっと深い感情が込められているのかもしれないですね。
それが正しい あれが正しいって
出典:自由に捕らわれる / 作詞・作曲:カンザキイオリ
周りが言うから あれがいけない
これが許せないって
誰かが言うから
これからは僕ら好きなように
善悪も全て意のままに
それなのに未だに誰かの了承がないと
安心できない
このフレーズは完全に日本の組織の風習を表していますね。学校もそうですが、1つの会社の中でもそうではないでしょうか。
みんながこういっているからこれが正しい。根拠はないけどね。
こういうルールがあるから、こうしないといけない。存在意義は知らないけどね。
みんな根拠も知らずにただ周りの空気や訳のわからない決まりに従って生きているという皮肉が込められていると思います。
そして、そんな環境下で過ごしてきたせいで、いざ自由を手に入れても、誰かの了承がないと、不安になってしまうんですよね。
躊躇したら怒られるから
出典:自由に捕らわれる / 作詞・作曲:カンザキイオリ
矛盾したら怒られるから
考えることはやめてきた
反抗するのはやめてきた
このフレーズは、自由が無かった時のことですね。
学校や実家で暮らしていた時。または社会人で、会社員として組織に属していた時。
集団での生活で、学校では生徒を教育する場ですし、少しの矛盾や躊躇は許されない、周りに迷惑が掛かるから。学校では、将来社会に出た時に、そんな大人になってしまうから。
でも、それが自分の意思を失くしてしまう原因だったんですよね。
「今までよくできました」
出典:自由に捕らわれる / 作詞・作曲:カンザキイオリ
「それではがんばってください」
頑張るってなにを?引き離すのか?
買い被んじゃねぇ
知らないくせに
卒業式の時の言葉でしょうか。どんなに綺麗な言葉を並べられても、確かに当時はこの二言のような意味でしか捉えることができなかったのを覚えています。
「それではがんばってください」は、この歌詞の買い被んじゃねぇという感情で考えると、
無責任な言葉として捉えられるのではないでしょうか。
確かに引き離しにかかっているようにも聞こえますし、またこの歌詞の心情も、若い心ならではの不安や恐怖、甘えのような感情も読み取れます。
甘えの感情は自分がまだ学生だった頃は分からなかったかもしれませんが、この歳になって考えると、このフレーズで表現される怒りのような口調、苛立ちのような感情は、どうすればいいか分からない甘えから来ていると思います。
これから僕らは
出典:自由に捕らわれる / 作詞・作曲:カンザキイオリ
逃れられない自由の果てに
守られ許されて 生きていくのだ
幸せになるのは偶然が味方した人間だ
逃げ場は今更作り忘れた
好きな人も嫌いな人も
もう自分で知らなくちゃいけない
これから僕らは自由に捕らわれる
これから自由を手に入れて生きていくのだが、自分を取り巻く環境は自分で決めないといけない、自分の世界をこれから作っていかないといけない。
自分で責任を持たないといけないのは、誰にも縛られることのない人生を手にする反面、衝突する課題ですね。
それらを「自由に捕らわれる」と言っています。
そして、その自由からはもう逃げられない…
自分を信じられないことが
出典:自由に捕らわれる / 作詞・作曲:カンザキイオリ
「時代のせい」だというのならば
「環境のせい」だというのなら
僕らはそれを歓迎するさ
自分を信じられないのが環境のせいという感情はなんとなく分かります。
環境は、本当に人の性格を変えますし、自分が魅力や能力を発揮できないのは環境のせいだと言っても過言ではないとさえ思います。
時代も人を変える要素ではないでしょうか。「時代錯誤」という言葉があるくらいですからね。
そして最後の「僕らはそれを歓迎するさ」は、時代のせいで、環境のせいで、自分を信じられないのなら、僕らは君を信じるということだと思います。
ここの表現は読み取るのが少々難しかったです。
敵が「周り」だというのならば
出典:自由に捕らわれる / 作詞・作曲:カンザキイオリ
「バカにした奴ら」だというなら
僕らはそれを歓迎するさ
誰もがそう思っているんだ
このフレーズも読み取るのが難しかったです。ひとつ前のフレーズとは逆の意味で捉えてみましょう。
周りの敵が、馬鹿にした奴らだというのなら、僕らもそいつらと同じ考えを持つよ、だって、周りがそう言ってるんだから。という意味になるのでしょうか。
もしそうだとすれば、このフレーズは、自分以外の周囲の人間たちの目線で書かれているということになりますね。
何を好きになればいいのかも
出典:自由に捕らわれる / 作詞・作曲:カンザキイオリ
何を嫌いになればいいかも
もうこれからは君だけのもの
その全てが君だけの言葉
言えなかったこと悲しかったこと
溜め込んだこと許されるときだ
今こそあの日の言葉を
自由になるということは、つまり自分の思うままに物事を考えていいということになる。
誰にも縛られず、自分の価値観で物事を決めていいのだ。
「許される時だ」とは、周りの価値観に合わせて自分の意思を言えなかったあの環境から解放されるということなのでしょうね。
そして自由を手にした今、言えなかった言葉を伝えよう。その言葉は何なのかはこの楽曲からは分かりませんが、自分の境遇に当ててみてもいいのではないでしょうか。
これから僕らはとりとめもない自由の果てに
出典:自由に捕らわれる / 作詞・作曲:カンザキイオリ
騙され踊らされ 生きていくのだ
これから僕らは巨大な何かにのまれていく
さよなら情景
まず、自由に選択できることで、いろんな感情や、いろんな世界、価値観に踊らされることになるだろうと伝えて、その後に「巨大な何か」というフレーズが出てきますが、これは、自分で作り上げてきた世界、価値観のことではないでしょうか。
それが出来上がって、今まで見えていた情景(常識のような固定概念のようなものでできた世界)が見えなくなることを示唆していると思います。
これから僕らは春が巡れども僕たちは
出典:自由に捕らわれる / 作詞・作曲:カンザキイオリ
綺麗事で騙さなきゃいけない
引き返せない戻れやしない
それでも最後に笑うのは僕らだ
この世界は綺麗事でできている。ほとんどがそうだ。大人になった今、かつて自分が周りの大人たちにされていたように、まだまだ若い未熟な人々を騙す側にならないといけない。
でもそれでいいと思う。それでも結局、人は幸せにしかならない。だって僕らがそうなんだから。
と、訴えているように、「最後に笑うのは僕らだ。」で締めくくっています。
どんなに縛られた生活を送っていたとしても、結局笑える時は来るんだよと、この楽曲は伝えたかったのでしょうか。

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さいごに
この楽曲も、とても奥が深い歌詞となっていました。
学校では教えてくれない「生きていくうえで大切なこと」は溢れかえっているのに、それを知らないまま学校を卒業して、外の世界に旅立たないといけない。
この楽曲は、世の中の皮肉や、進むべき進路などに惑わされながら、どう生きていけばいいかも分からないまま社会に出た若者の心情を表現していると思います。
パンチを効かせながらも、なめらかに歌い上げるカンザキイオリさん。
彼は今後、どのような活躍をみせてくれるのでしょうか?
これからの彼の曲にも注目していきましょう!