2023年5月24日に椎名林檎さんがデビュー25周年記念シングルとして「私は猫の目」を発表、SNSを見ていても世代や性別問わず幅広く注目されている楽曲となっています。
実に8年ぶりのリリースとなった楽曲にはどんな意味が込められているのでしょうか。
椎名林檎さんらしい多彩な日本語についての解説を交えながら歌詞の考察をしてみたいと思います。
椎名林檎さんとは
1998年「幸福論」でデビューを果たし「本能」「ここでキスして」などのヒット曲を数多く発表されています。
結婚出産などで引退なども考えたようですが、音楽活動の継続を周囲から求められた為に2004年にバンド東京事変を結成。2012年2月29日まで活動されていました。
また椎名林檎という名前はビートルズのドラマーであるリンゴ・スターが由来となっているそうです。
楽曲 私は猫の目
デビュー25周年を記念し発表された楽曲。時津梨乃さん・田渕ひさ子・BIGYUKIとセッションする為に書き下ろされたそうで、彼女たちはMVにも出演されているので要チェックです!
SNSにも昔の椎名林檎さんを感じる!といった声が投稿されており、世代の方には懐かしく、若い方には新鮮な楽曲になっているのではないでしょうか。

私は猫の目 歌詞考察
弱り目祟り目当たり前 世知辛い
出典:私は猫の目 / 作詞・作曲:椎名林檎
なんちゅうカタストロフィーよ!
鵜の目鷹の目で網の目 洒落臭い
尚なお詰んでジエンド?
腹の虫が治まらない溜めに溜めた
呪いの念手目が上がるぜ意趣返し
弱ったり、災いに遭ったりするのが当たり前の世の中。世知辛い世の中だ事。
カタストロフィーとは人類の危機的状況に陥るような大災害・大事故などを表す言葉なので、昨今の慌ただしい世の中を表現しているともとれますね。
鵜の目鷹の目とは鋭い目で物を探し出そうとしている様子を表す言葉で、酒落臭いといっているので、その視線があちらこちら網の目の様に貼り廻られて窮屈な世の中の様子を小馬鹿にしている様子がうかがえます。
手目が上がるとはズルが発覚する、化けの皮がはげる事を表し意趣返しとは仕返しという意味があるので、人々の思惑や汚さ、やり取りなどから生まれる負の感情の連鎖が飛び交う様子が見てとれます。
苛立ちと憎しみと、仕返しと、大なり小なりこの世に溢れた人間の醜い感情を主人公は一歩引いた所から眺めているようですね。
今ここで会ったが百年目
出典:私は猫の目 / 作詞・作曲:椎名林檎
野郎め天誅だい参ったか
目には目を血で血を洗え
煩えど本業を飽くまでも
遣り上げ続けましょう…
ご尤も人の噂などたった二ヶ月半
感情の渦に巻かれた人々をもう少し観察していると、とうとう天誅という名を借りて報復を正当化し始める輩が現れ始めます。
目には目を、血で血を洗えというのはやられたらやり返す、というニュアンスで使われ悪には悪を持って返すという意味合いであり、あまり穏やかではありません。
悩もうと煩おうと、報復はやり遂げなければならないという使命感に駆られている人間の哀れな姿。
それは大げさではなく、日常に潜んでいます。例えば罵倒されたら罵倒し返したり、無視には無視を、などですね。
しかし人の噂も七十五日。
どんなに大きな争いがあったとしても人々はそれぐらいで他人の事には興味も無くなってしまうのです。
頬赤らめ惚れた欲目 分かるまい
出典:私は猫の目 / 作詞・作曲:椎名林檎
しょっちゅうアストロロジーを!
疲れ目霞み目光らせて 情けない
尚なお一層ジュテーム?
欲目とは自分の欲や感情に流され、自分の都合のいいように見る意味で、恋愛感情とはまさにそういう事です。
アストロロジーとは星占いの事なので、気になる相手との関係を占ってはみるものの、自分にとって都合の良い事しか信じない姿を歌っているのではないでしょうか。
恋愛に溺れてしまった彼女は占いは勿論、情報収集や連絡のやり取りですっかりスマホ依存気味。
画面を見すぎて疲れた目を更に酷使する姿は非常に情けない。
それでも相手を愛しているの?
胸が塞がって片息泣くに泣けない
出典:私は猫の目 / 作詞・作曲:椎名林檎
長い微熱ご査収くださいこの貞操
誰よりもあんたが一枚目
野郎め眼中にないのだな
肌理も流し目も意味ない
弁えど純情は惜しみなく
差し上げ続けましょう…
胸が塞がるとは不安などで胸が詰まったような感覚になる事を意味し、片息とは苦し気に息をする事です。
つまり色々悩み過ぎて体にも異変が起きている状態なのに、もう涙も流れない…そんな状態を表しているのでしょう。
ここでの微熱とは恋を状態を表していると考えられますので、長く微熱が続いているのは一途に想い続けていると歌っているのではないでしょうか。
査収とは確認し受け取る事、ですのであなた以外に心も体も預けておらず想い続けている事を見て欲しいと考察できますね。
しかし相手は自分の事を見もしない。
美しい肌も、色気を含んだ流し目もあの人には何も響かない…それでも想い続けましょう、という少し狂気じみた恋心を感じます。
引け目人目は打っ遣って
出典:私は猫の目 / 作詞・作曲:椎名林檎
けじめ折り目至って結構
しかし自分の本心へ忠義
尽くすことです いつも
肝心要天下分け目なら尚
打っ遣るとは捨てるという意味、折り目には物事の境界線という意味があります。
けじめだの折り目だの確かに大切だが、負い目も人目も捨て去って自分の気持ちに正直に生きる事も大切だという意味だと読む事ができます。
つまり、相手にされないのは彼が既婚者だから。
振り向いてもらえない、好きになってはいけない相手だが彼女は自分の気持ちに嘘をつくことなく想い続けていると考える事ができます。
それをどうとるかは、相手次第。本人次第。
ねえここは地獄の何丁目
出典:私は猫の目 / 作詞・作曲:椎名林檎
篦棒滅法当てずっぽうに
丁か半か賽の目は出鱈目
色んな感情の渦巻く人間界、まさに地獄絵図。
ここは地獄何丁目なのでしょうか。
荒れた地を表すかのように賭博の表現が歌われています。
ここで楽曲名の意味を考えてみます。猫の目とは物事が目まぐるしく変わっていく事の例えとして使われる言葉です。
人の感情、時代の流れなどが変わっていく様子という意味にもとる事が出来ますが、そんな絶え間なく変わってゆく風景を俯瞰してみている人を表しているとも考えられますね。
猫は気配を隠し、近付いてじっと様子を伺った後、気づいたらまた姿を消しています。
まさにそんな猫の様に主観を込めず、目の前で起きている事をただ眺め、そしてまたどこかへ行く、そんな主人公の姿がイメージされました。
その姿は毎日沢山の情報が流れては消えていくSNSやネットニュース…いくつものそれを眺めながら淡々と処理する私を含め現代の人間の姿にも感じました。
まだ増しよ
出典:私は猫の目 / 作詞・作曲:椎名林檎
勘を信じられるほうが
まっとうよケセラセラ!
土台状況次第相手次第で
受け容れてしまう性こそ
諸行無常
さあ世間は百面相が将又
のっぺらぼうかと嗤うが
そんな主人公が初めて自分の思いを吐露するのが最後のフレーズではないでしょうか。
全てを諦めるよりも、勘を信じていられる方が人間らしい、そうやって生きていれば何とかなる。
その時の状態や相手で出方や態度を変える姿も諸行無常、つまり昔から何も変わらずおそらくこの先も受け継がれてゆく人間の姿。
嗤うという言葉には相手を見下し嘲笑するという意味があり、百面相かのっぺらぼうと嗤う…つまり周りに合わせてうまく立ち回れる人は八方美人だの、感情が読めなくて怖いだの鼻で笑われるということでしょうか。
人間の世界は本当に疲れるね!

1ヶ月無料で音楽聴き放題!
通常880円/月のAmazonMusicUnlimitedが今なら1ヶ月で体験可能!
この機会に聴き放題サービスをお試ししてみよう!
いつでも解約OK!
さいごに
いかがでしょうか。
今回は椎名林檎さんの「私は猫の目」の歌詞を考察してみました。
普段はあまり使わないような言葉も使われており、直ぐには意味が分からない事もあるかもしれませんが、ひとつひとつ見ていくと世間を風刺した歌詞だと読む事もできましたね。
人間界は疲れるけど、そんな人間臭さも悪くないという風にも受け取れます。
デビュー25周年を迎えられた椎名林檎さんの今後の活躍も期待しております!