サカナクションが放つ世界観の魅力
常にブレイク中!サカナクションが放つ世界観の魅力
サカナクションは2005年に結成されたロックバンド。新曲が出るたびに話題をさらう、日本のロックシーンで最も大きな影響力を持つバンドと言っても過言ではありません。
もともとは北海道発でブレイクしたバンドでしたが、斬新な世界観であっという間に全国に知れ渡るバンドへ。楽曲だけでなくミュージックビデオのアート性も高く、ビジュアルも人気の理由です。
そんなサカナクションは音楽性だけでなくメディア戦略でも器用に振る舞います。好きな音楽を作れなくなるのを恐れてメディアにでたがらないバンドも多い中、サカナクションは積極的にメディアへ進出。「多くの人に知ってもらうための曲」と「自分たちのやりたいことを追求する曲」を使い分け、スターダムを一気に駆け上がりました。
サカナクションで一際異彩を放つカリスマといえば、ボーカルの山口一郎(やまぐち・いちろう)です。今となっては当たり前のNINJA LIGHTを初めてライブに取り入れるなどして、ファンを魅了してきました。
既にサカナクションを知らない人はいないくらいではありますが、あえておすすめ曲を選ぶなら、『目が明く藍色』です。サカナクション初心者でも聴きやすい親しみあるサウンドが心地よく、また切ない調子で始まる楽曲です。
大胆な展開が特徴で、「光はライターの光」からはまるで別の楽曲のようにスタイリッシュ。初めて聴いたときはびっくりするかもしれませんが、いつのまにかクセになってしまう1曲です。ミュージックビデオの展開も急なので、初めて見たときは別のトラックにスキップしてしまったのではないかと驚きました。
サカナクションの音楽を一言で表すなら「エレクトロとポップを融合した音楽」ではありますが、そんな単純には言い表せないほど魅力的なところが多いバンド。音楽だけでなくアートの分野でも活躍が期待されていて、これからますます目が離せないバンドです!
一曲目【新宝島】
二曲目【忘れられないの】
動画に対してのリスナーのコメント
フラゲしてきたー⸜( ˙▿˙ )⸝
このサイズ感懐かしすぎる🤣🤣🤣#サカナクション#忘れられないの pic.twitter.com/oFVaNoDidd— よしこ (@mizutama443) August 20, 2019
サカナクションばちばちにカッコよかった
モスと忘れられないのエモかった pic.twitter.com/t0AUA7rPwK— あぶ助🐵ワイバン余韻 (@Rotten_abu) August 25, 2019
今日もいちにちお疲れさまでした。➰🌀(^_^ゞ☆ミ
サカナクションの💿
ゲットして来ました♪ヽ(´▽`)/8㎝💿の🎼新譜なんて、
いったい いつ以来か…(^^;この長方形💿が
「青春のカタチ」だった。それゆえ、
「忘れられないの」
とは、なんとも 涙腺を
潤すステキな曲🎵ですね(⌒‐⌒) pic.twitter.com/P44cXNET3N— 流星のマリオネット🌠Reasons for thousand lovers (@m_ryu_sei) August 25, 2019
三曲目【アイデンティティ】
動画に対してのリスナーのコメント
音楽性の幅が広過ぎだろ、センスを感じられる、80年代90年代に引けを取らないね、変なアイドル押しやめてもっと才能あるアーティストを宣伝すれやぁメディア!
パチンコ台が泣いているように見える感性が、
彼らのアイデンティティでしょうかね。
ケンカして会うことがなくなった親友がよく歌ってた。
二人でちっさい世界を作って、それを共有してた頃に戻りたくなる。
サビの「どーしてぇーー」を聞くたびにまた会って話したいって思う。
四曲目【多分、風。】
五曲目【アルクアラウンド】
動画に対してのリスナーのコメント
俺だけかもしれないけど、サカナクションって飽きないよね。聴けば聴くほどハマる。
演出と言う意味で、コレほどまでに衝撃を覚えたPVは中々にない。
一つ一つはありがちな物でも、組み合わせ一つで驚異的な中毒性を放つ。
曲自体も良く、全てにおいて脱帽モン。
何年たってもかわらないですね
これが本当に7年前の曲なのかと
疑うほどのセンスを感じます!
六曲目【さよならはエモーション】
動画に対してのリスナーのコメント
正直最初はあまりハマってなかったが何回か聴いてじわじわときて今は大好きになった。なんだろう。この感じ。
最初見たとき、ラストのコーラスに入った瞬間なぜか興奮が止まらなかった。「すげぇwwwすげぇwwwww」って1人で感嘆してたw
山口一郎という人間が作る音楽はどうしてここまで核心を突いてくるのか。最近の奇をてらった、繰り返しが流行りの音楽は何十年後聴きたいと思うのかな。
それに対してサカナクションは聴いた後、まず心の中で溜まってたモヤモヤが気持ちいい音たちによって一掃され、そしてその後に「どういった歌なのか。」「自分とは何なのか。」ということについて考えさせられる。