2023年4月7日より配信里リリースが開始した、てにをはさんのボカロ曲「ザムザ」。
聞き馴染みのよい初音ミク独特の声と、てにをはさんらしい言葉遊びや言葉選びが癖になると早速話題になっています。
歌詞の中には聞きなれない言葉も出てきますので一つ一つ考察していきたいと思います。
てにをはさんとは
多方面に活動されている方で、小説家・作詞家・作曲家・編曲家などの肩書をお持ちです。
2010年9月11日からニコニコ動画でご自身が作られたボカロ曲の投稿を始め、現在ではYouTubeでの活動もされているようです。
ご自身のボカロ曲の弾き語りも投稿されており、楽曲に違った色が添えられるのは面白いのではないでしょうか。
2013年11月には「女性探偵と偏屈作家」を発表し織川制吾の名義で小説家としての活動を始められました。
てにをはさんの歌詞の特徴の一つとして言葉遊びが非常に面白い事が挙げられますので文章に対する感性に優れている方なのかなと感じています。
また自分の楽曲のイラストを描いたり、ボカロ小説を執筆・ドラマCD の脚本などてにをはさん自身の世界を広げていく事を得意とされているようです!
楽曲 ザムザ
2023年4月7日に配信リリースされた楽曲でAndroid・iPhone対応アプリ「プロジェクトセカイカラフルステージ!feat.初音ミク」のリズムゲーム楽曲に2023年3月28日より正式に追加されました。
ザムザとは小説「変身」の登場人
楽曲に出てくるザムザとはドイツの小説家フランツ・カフカ氏の「変身」に登場するグレゴール・ザムザに繋がると考えられます。
「変身」とはある朝、ザムザが突然「虫」に変身していたことから物語が始まる小説。
彼は一家の収入を一人で担っていたのにも関わらず虫に変身してからの家族からの扱いは非常に粗末となってしまいます。
結末も個人の主観としては後味悪いと感じる一方で「現実とはこんなもの」とも考えられる生々しい終わり方ともいえると考えています。
好き嫌いが大きく分かれる名作の一つですので、興味がある方は読んでみるのも良いかもしれません。

ザムザ 歌詞考察
使い古した自分の名前に
あえてキッチュなルビを振って
高潔を打ち負かせるくらいに恐ろしくなる 骨の髄まで
今はどんなふうに見えてますか?
醜いですか?それはそっか
どうか林檎を投げつけないで 胸にLockup Lockup
ザムザ『ズキズキズキ』
出典:ザムザ / 作詞・作曲:てにをは
キッチュとはまがいもの、ルビとは振り仮名という意味なので自分の名前にまがいものの振り仮名を振って・・・つまり本名とはかけ離れた別の名前を自分に付ける事で全くの別人になってみようと「変身」を試みる主人公なのではないでしょうか。
何故、別人になる必要があるのか。
それは汚す事を認められない絶対的で高潔な存在、つまりは親から自分を守る為なのではないでしょうか。
主人公が名付けたもう一人の自分は、親が望む様な優等生のかけらもない。
そんな姿を見て親はどう思うのだろうか?きっと「醜い」と冷たくあしらわれるか酷く怒り狂うに違いない。
どうか林檎を投げつけないでとありますが、これは小説「変身」ザムザの父が彼に向って林檎を投げつけるシーンからきているのではないでしょうか。
胸にLock upとは心に鍵を掛けた状態つまり、親に対し心を閉じているとも考えられます。
しかしLock upには監禁だったり留置所という意味もあり、親に心を支配され切っているとも考えられます。
所謂毒親ですね!
「ズキズキズキ」で主人公の心の痛みが分かります。
「鏡をご覧」誰かが囁
ささや
く
うまくいったら儲けものさ
甘い言葉も笑顔も通じない 走り出したらたらもう獣だ
月の真下をうろつきながら考えてた 夜すがら
悪夢にどの指立ててやるべきかってねズキズキズキ 『ズキズキズキ』
出典:ザムザ / 作詞・作曲:てにをは
ズキンズキンズキン 『ズキンズキン』
ズキズキズキ 『ズキズキズキ』
ズキ ズキ ズキン
変われ
「儲けもの」と「もう獣だ」ここに、てにをはさんの言葉遊びが見られました。
鏡をご覧、で主人公が自分を変えたいと努力しても根本的には何も変わらないと嫌味ともとれる言葉を囁かれています。
誰も、とありますが主には主人公の親であると考えられます。
どんなに伝えようと頑張った言葉も作った表情も、この親の前では無力なのです。
どうしようも無い夜に主人公は自分の置かれている立場を恨みます。
こんな現実もう嫌だ、この状況の原因となる悪魔(親)にどの指を立てるのが正解なのか考える主人公。
指を立てるとはハンドサインも含まれていると思いますが、中指を立てる以外にも似た意味のサインは色々あるのでそのサインが主人公の頭に多数浮かんでいたのかもしれません。
ズキズキ、ズキンズキンと心は痛みますがどうにか変われないものかと主人公は自分を鼓舞します。
誰だって魂辛辛
ズキズキズキ
痛みと怒れる人
を喰らったったらった
だのに何故だろう今も
ズキズキズキって
派手な尻尾を引き摺りゆく
ザザザザ ザムザ
「現実はもういい」なんて云うなよザムザ
おーいえー『ズキズキズキ』
出典:ザムザ / 作詞・作曲:てにをは
ザザザザ ザムザ
魂辛辛とはおそらく「魂」と「辛辛」を合わせた造語ではないでしょうか。
辛辛とは「かろうじて」や「やっとの思いで」という意味がありますので皆魂ギリギリのところで必死に生きている、という意味でしょうか。
ラングラーとは「馬のお世話をする人」や「怒って論争する人」という意味があります。
主人公にとってのラングラーは言うまでもなくヒステリックな親の事ではないでしょうか。
食らったった、で主人公は親に何らかの反抗を示した事で痛みと自分にとってのラングラーに意思表示する事が出来たと考えられます。
それなのに心の傷も痛みも消えないまま・・・。
派手な尻尾とは反抗しても残った痛い感情の事ではないでしょうか。
親の呪縛からそうそう簡単に逃げられる事はないのです。
と同時にザザザザムザというフレーズもありますので、大きな尻尾を引き摺りながら家族に絶望感を抱き部屋をはい回るザムザの様子も連想する事が出来ますね。
「ごめんね。ちっとも上手に生きてあげられなくて」と伝えて
否定形の笑顔でも欲しくてニンゲン様なりきってる亡霊
自分の弱音に相槌ばかりだった
当然あなたとまともにケンカもできなかったズキズキズキ 『ズキズキズキ』
出典:ザムザ / 作詞・作曲:てにをは
ズキンズキンズキン 『ズキンズキン』
ズキズキズキ 『ズキズキズキ』
ズキ ズキ ズキン
変われそうにないやいや
親に反抗した主人公。
しかし、親に申し訳ない気持ちも抱いているのです。
それが「ごめんね。ちっとも上手に生きてあげられなくて」というフレーズに込められているのではないでしょうか。
親の望むように生きる事が出来なくて申し訳ない・・・本当は子供が親にそう思う必要なんて無いはずです。
人としての道理に反しないのであれば子供の人生は彼らだけのものですからね。
だけど主人公はどんな形でもいいから親に笑っていて欲しかったし愛されていたいと望んでいるのではと考えました。
ニンゲンのようになり切っている亡霊のように自分を押し殺して生きてきた主人公が想像されますね。自分を消してまでも親に分かりやすい優しさを見せて欲しかったのです。
また、この歌詞は「変身」のザムザの心境の一つだとも考えられるのではないでしょうか。
一家の稼ぎ頭であったザムザ。
虫に変身してしまった事を家族に対し詫びているとも読み取れます。
しかし、自分の弱さに頷くだけで打診してこなかった主人公とザムザはうまく相手に自分の意思を伝える事が出来ないのでしょう。
それが「まともにケンカもできなかった」と表現されています。
冗談じゃない 夢を食べないで
出典:ザムザ / 作詞・作曲:てにをは
ズキズキズキ
小洒落た絶望を歌ったったらった
どうしようもない成れの果てでも
ズキズキズキって
いつか愛しい歌になるさ
ザザザザ ザムザ
それでも、譲れない夢を抱いている主人公。
全ての毒親の元にいる子供がそうだとは言えません。
しかし誤解を恐れずいうと、毒親に支配された子が自我に目覚めるきっかけの一つに「夢を抱く」というのがあるのではないでしょうか。
今まで魂辛辛生きてきた主人公がようやく見つけた「将来の夢」。
それは親の望むものでは全くありませんでしたから当然辞めさせようとしてきたのでしょう。
心の痛みに耐えながらなんとか夢を守り切った主人公。
いつかこの傷だらけの生活が優しい思い出に変わるのだろうかと思いながら・・・。
ねえ123で飛んで ザザザザ ザムザ
出典:ザムザ / 作詞・作曲:てにをは
一切合切蹴っ飛ばして ザザザザ ザムザ
あとがきで触れられもしない日々
ここで逃げ出したら 本当にそうなりそうだ
ここからまた「変身」とリンクする歌詞になるのだと考えられます。
「あとがきで触れられもしない日々」というのは、ザムザは実は苦悩の果てに餓死してしまい、その亡骸はあっさりと使用人に始末されてしまいます。
その姿を家族は悲しむでもなく、それどころかザムザがいる日々よりも「幸せ」な家族になるような表現を匂わせ結末を迎えるのです。
収入をザムザに頼っていたはずの家族は彼が虫になっている間にそれぞれ条件の良い仕事に就く事が出来た上に、妹のグレーテは美しい娘に成長しており両親も縁談を考える程になっていました。
まるでそこにザムザは始めからいなかったかのように続く日々。
死んでしまえばそれまでという考えもありますが、その後ザムザをフォローするような言葉はあとがき含め一切見当たらないのです。
主人公も、今ここで逃げ出したらザムザの様に無かった人間として扱われてしまうと考えたのではないでしょうか。
誰だって魂辛辛
ズキズキズキ
痛みと怒れる人
を喰らったったらった
だのに何故だろう今も
ズキズキズキって
林檎をかじるようにザザ ザムザ
どうしようもない成れの果てでもここにいる
シャガの花に毒されても
光は1時の方角にある
今は尻尾を引き摺りゆけ
ザザザザ ザムザ
だから「現実はもういい」なんて云うなよザムザ
おーけー?『ズキズキズキ』
ザザザザ ザムザ
出典:ザムザ / 作詞・作曲:てにをは
林檎をかじるというのは、林檎はザムザに酷い傷を負わせたキーワードでもあり、またアダムとイヴが食べた禁断の果実が林檎だという説もあるように(諸説あり)この楽曲でも色んな意味を持つ言葉として用いられているのではないでしょうか。
どうしようもない酷い有様でもここに存在している事に意味があるのです。
そしてジャガの花の花言葉は「反抗」「友人が多い」です。
主人公の親への反抗、そして仮面をかぶる癖の付いてしまった主人公はおそらく友人が多い人間なのだろうと想像できますね。
反抗する事にもエネルギーを使いますし、傷付かないわけではありません。むしろ疲れ切って傷だらけになって反抗するものではないでしょうか。
上辺だけの会話、ギリギリで戦う反抗、それらに毒される=支配されるという事になっても今は耐える時という意味ではないでしょうか。
その耐える時というのが、「1時の方向」で表されていると考察できますね。
1時=25時、と考えるとまだまだ夜深まる時間帯=耐える時と結び付ける事ができます。
しかし、明けた夜に光があると読む事も出来ますし本来1時の方向は正面向いて約30度の方角なので、希望は自分のすぐそばにあり、現実に対して悲観的にならなくても良い、という意外と前向きなメッセージと考察する事が出来ました!

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さいごに
いかがでしょうか。
今回はてにをはさんの「ザムザ」について歌詞考察をしてみました。
若干無理やりな個所もありますので、あくまで考察の一つだと楽しんで頂ければ幸いです!