今回は2004年11月25日にリリースされたファーストアルバム「教育」に収録されている「夢のあと」の歌詞考察をしていきます。
「夢のあと」は、ヴォーカルの椎名林檎さんが作詞・作曲を手掛けました。
では早速歌詞の考察を始めていきましょう!
夢のあと 歌詞考察
「夢のあと」誕生について
本楽曲が誕生した背景には、椎名林檎さんの音楽活動休止や出産が関係しているようです。
NHKのテレビ番組『トップランナー』で椎名さんご自身が細かく語られていました。
椎名さんはソロとしての音楽活動を休止し、出産と育児を経験します。
そんな育児中につけたテレビでニュースが流れてきました。それが2001年9月11日に起こったいわゆる911テロ事件(=アメリカ同時多発テロ事件)です。
そのニュースを見て思うところがあり音楽活動を復帰したといった内容でした。
ニュースを見た時の事を盛り込んで作られたと言われる楽曲がこの「夢のあと」なのです。
虚構/事実と死/生
テレビのニュースをつけて見ていますが、家族(実際には椎名さんの生まれて間もないお子さんだと思われます)は寝てしまって「寝息」が聞こえています。
「期待したよりずっと静か」とありますので、家族というのは赤ちゃんのようです。ぐずって大きな鳴き声をあげたりすることもなく思いがけなく「静か」に寝入っています。
ここで「盛者」という言葉がでてきます。読み方は「じょうしゃ」で、意味は広辞苑によると”勢いの盛んな者。ときめく者”と定義されています。
「盛者」というと鎌倉時代の軍事物語とされる「平家物語」(作者不明)の一節「盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらわす」を思い起こさせます。
ちなみに、この「盛者必衰」は同じく広辞苑によると”世は無常であるから、ときめく者も必ず衰えることがある”という意味となっています。
また「まやかし」と続きますが、動詞「まやかす」の意味は”まぎらかし、あざむく、ごまかす”と広辞苑で定義されています。
「弦を爪弾いた」「遠き日結った髪」とありますが、これらは子育てをする前の華やかな椎名さんの音楽活動のことを指しているように思われます。
子育て中のひとりの母親という立場からすれば、これまでのギターをかき鳴らしながら歌うミュージシャンとしての姿や音楽活動自体、偽りの姿やまがい物といった感覚となってしまったのかも知れません。
ここでは生まれたばかりの子どもの「手を繋いで」繰り返しニュースの惨事が流されるテレビ画面を観て心を痛めている様が描かれています。
「この結び目」とは、子どもの手を「握り返して」いる母親の手と、その母親から握られている子どもの小さな手でしょう。
911により奪われた多くの犠牲者に想いを巡らせ、人々が手と手を取り合うことにより、尊い命を護ることができれば、と願わずにはいられなかったのではないでしょうか。
夢のような拙いものなのか
ここでは「蓮華の咲く頃」とありますが、蓮華(れんげ)は、ハスの花の事を指していて、季語は夏です。
続いて、「柑子は実らぬ」とあります。柑子(こうじ)の季語は秋ですので、夏に季節外れの作物が実ることはない、ということが語られています。
しかし、そのような「期待」外れなことも「勝手だと」あります。
テレビの向こう側で起こっている事件に対して「命を護る」と決意をすることは、現実味に欠けていると揶揄されることだ、という解釈が出来るかも知れません。
ここでは、911の信じがたい「光景」を目の当たりにして、悲しみや怒りや怖れといった様々な気持ちが錯綜していたのではないかと思います。
周りからどう思われようとも、勇気をもって尊い命を護りたいと決意を新たにしている部分ではないでしょうか。
そして、「麗しき寝顔」のわが子を見つめつつ、この決意は「夢を見る」ような愚かしい事なのか?と問いかけます。
喜びで溢れる地球
ここで「球体」とありますが、これは私たちが住んでいる”地球”を指しています。
この地球上の人と人が憎しむのでも、争うのでもなく「手を繋ぎ」合う、という願いが実現すれば、恐らく「喜びで一杯」の世界が広がるということなのです。
今一度様々な問題を「探り直して」、人々が垣根を取り払い「結び目」=手と手を取り合う、優しく美しい世界が広がることが可能ならば、この上ない幸せだと感じることでしょう。
今という「同じときに」生きて、偶然にも出会っている地球上の人々が、繋がっていられることだけを願っているようです。
ただそれだけのことで、「世界」を「護る」ことが可能であり、「未来」へと繋がっていくのだ、という非常にポジティブな願いがラストを飾っています。
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さいごに
本楽曲「夢のあと」の意味は一体何なのでしょうか?
広辞苑で「夢の跡」を見てみると、”かつては栄華や功名などさまざまな夢が結ばれたであろうが、今ははかなく消えて何も残っていない所”と定義されています。
また「夢の跡」といえば、有名な松尾芭蕉の俳句「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」を思い起こさせます。
そして「兵(つわもの)」とは兵士や兵器を指します。
「夢の跡」は何もない状態にある訳で、911の事件現場のひとつ、WTC(ワールドトレードセンター)のあった場所がそのビルの姿はなく、現在はグラウンド・ゼロ(意味:爆心地)となっている事実と繋がります。
人の命の儚さと同時に人の愚かさに目を背けることなく向き合うこと、そして夢物語のようだと笑われたとしても、人と人が手を取り合うことの大切さを歌詞に込めた本楽曲「夢のあと」。
本楽曲を手掛けた東京事変の今後の楽曲にも是非注目したいですね!