サカナクション「夜の踊り子」の歌詞の意味を考察します。

夜の踊り子 歌詞考察
大正ロマン的YMO?
跳ねた跳ねた 僕は跳ねた 小学生みたいに
雨上がりの夜に跳ねた 水切りみたいに(ミテイタフリシテ)
出典:夜の踊り子 / 作詞・作曲:Ichiro Yamaguchi
明日を素通り
(ヨルニニゲタダケ)
朝を素通り
ファッションやメイクなどの専門学校、モード学園のCM曲(2012年)「夜の踊り子」。
その曲名「Yoru No Odoriko」の頭文字「YNO」という略称もあるとおり、細野晴臣さん、高橋幸宏さん、坂本龍一さんによる電子音楽トリオYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)へのリスペクトが込められています。
仮タイトルは「イエロー」でした。
アバンギャルド(前衛的)なファッションやメイク、デザインと、テクノポップやアバンギャルド(前衛音楽)などを展開したYMOが結びついたイメージでしょうか。
とくに強烈なインパクトのMVは、YMOの3人が出演し、セルフカバーの「RYDEEN 79/07」(2007年2月)がCM曲として起用された「キリンラガービール&クラシックラガー」のCM(2007年2月~)へのオマージュです。
こうした背景を踏まえると、ぶっ飛んだ方向に振り切った理由が腑に落ちるはず。
さらに「夜の踊り子」という曲名から連想できるとおり、川端康成さんの小説「伊豆の踊子」と大和和紀さんの漫画「はいからさんが通る」がモチーフになっています。
YMOを彷彿とさせるダンスミュージックのようなサウンドと、大正ロマン的な世界観の歌詞の掛け合わせがおもしろいですね。
跳ねた跳ねた 君も跳ねた 女学生みたいに
水たまりの上で跳ねた あめんぼみたいに(ワスレタフリシテ)
出典:夜の踊り子 / 作詞・作曲:Ichiro Yamaguchi
それはつまり
(ヨルニニゲタダケ)
「小学生みたいに跳ねた僕」や「女学生みたいに跳ねた君」は子どもでしょうか、それとも大人でしょうか。
専門学校のCM曲だったり、「伊豆の踊子」がモチーフになったりしている点を踏まえると、子どもから大人への変わり目に、子どもを見て童心にかえるようなイメージがわいてきます。
「朝=子ども、夜=大人」という対比になっていて、「子どもの気持ちを忘れたふり(朝を素通り)して、大人のふり(夜)に逃げただけ」といったニュアンスでしょうか。
どこへ行こう どこへ行こう ここに居ようとしてる?
出典:夜の踊り子 / 作詞・作曲:Ichiro Yamaguchi
逃げるよ 逃げるよ あと少しだけ
「子どもと大人」や「朝と夜」、あるいは川端康成さんが実際に19歳のときに一人旅に出かけた伊豆など、「どこへでも行くことができる」という無限の可能性が表現されているようでもあり、「どこへ行こうか?」と迷っているようでもあります。
現状維持に甘んじるとか悩み続ける(ここに居る)ようであれば、川端康成さんの伊豆への一人旅みたいに「逃げる」方法も有効かもしれません。
笑うための浄化の雨?
消えた消えた 君が消えた 蜃気楼みたいに
にわか雨の音も消えた さよなら言うように(キコエタフリシテ)
出典:夜の踊り子 / 作詞・作曲:Ichiro Yamaguchi
君の言う通り
(ヨルニニゲタダケ)
サカナクションの歌詞に象徴的に登場する「雨」に着目すると、1番の「雨上がりの夜に跳ねた」が2番では「にわか雨の音も消えた」になりました。
「伊豆の踊子」の主人公の青年を彷彿とさせる「僕」が、旅芸人の踊子のような「君」と出会い、その無邪気な様子に「心が晴れた(雨上がり)」けれども、別れのときが訪れ、再び「にわか雨」のように涙が出たものの、最終的には無の境地に達したのかもしれません。
どこへ行こう どこへ行こう ここに居ようとしてる?
出典:夜の踊り子 / 作詞・作曲:Ichiro Yamaguchi
逃げても 逃げても 音はもうしなくて
気になるのは「音も消えた、キコエタフリシテ、音はもうしなくて」という表現です。
「旅芸人の踊り子と別れたので、彼女の叩く太鼓の音が聞こえなくなった」のでしょうか。
あるいは2010年に山口一郎さんが突発性難聴を患ったことと関連があるかもしれません。
「伊豆の踊子」の主人公の青年は孤独感から「逃げる」ために旅に出ましたが、山口一郎さんは体調不良から「逃げた」ことで病気が深刻化したとも考えられます。
実体験が重ねられているかどうかは推測の域を出ませんが、それでも音楽を生み出し続けていると考えると万感胸に迫るものがあるでしょう。
雨になって何分か後に行く
今泣いて何分か後に行く
今泣いて何分か後の自分今泣いて何分か後に行く
出典:夜の踊り子 / 作詞・作曲:Ichiro Yamaguchi
今泣いて何分か後に言う
今泣いて何年か後の自分
「なって、泣いて、何分か後、何年か後」のアタマの「な」や、「行く、言う、自分」の母音「いう」の響きやリズムが心地いいサビです。
サウンド重視の詩的で抽象的な歌詞になっているのでさまざまに解釈できますが、「悲しいことがあったとき、落ち込んだときでも、数分後や数年後の自分の言動を想像すると乗り越えやすい」といったニュアンスではないでしょうか。
行けるよ 行けるよ 遠くへ行こうとしてる
出典:夜の踊り子 / 作詞・作曲:Ichiro Yamaguchi
イメージしよう イメージしよう 自分が思うほうへ
川端康成さんの一人旅のように、あるいは山口一郎さんやサカナクションの音楽の旅のように、可能性は無限大です。
山口一郎さんは「音楽と文学の融合」を「イメージ」して、「YMO+伊豆の踊子」という「自分の思う音楽」を生み出したとも考えられるでしょう。
このように専門学校のCMソングとして、若者にエールを送っているのではないでしょうか。
雨になって何分か後に行く
今泣いて何分か後に行く
今泣いて何分か後の自分今泣いて何分か後に言う
今泣いて何年か後の自分笑っていたいだろう
出典:夜の踊り子 / 作詞・作曲:Ichiro Yamaguchi
「体調不良から逃げて仕事を優先したけれども、体調不良になって何分か後に病院に行く、何分か後に誰かに言うようにしていれば、何年か後の自分は笑っていたかもしれない」という考察も推測にすぎません。
いずれにしても「伊豆の踊子」のように「直近あるいは数年後の未来に笑うために、今は浄化の涙を流す」という方法もあり得ます。
伊豆で撮影された「少女がサカナクションの演奏を双眼鏡で覗き見して、衝撃を受けて逃げる」というMVは、リスナーに笑ってもらうための渾身作といえるでしょう。

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さいごに
YMOは「ライディーン」を作曲した高橋幸宏さんは2023年1月11日、「テクノポリス」を作曲した坂本龍一さんは2023年3月28日に亡くなりました。
ご冥福をお祈りいたします。
「芸術は長く、人生は短い」というヒポクラテスおよび坂本龍一さんの言葉もさまざまに解釈できますが、サカナクションの「夜の踊り子」のようなかたちで受け継がれていく音楽や文学もあるのではないでしょうか。