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私を束ねて【クリープハイプ】歌詞の意味を考察!ベース長谷川カオナシのボーカル曲

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クリープハイプ「私を束ねて」の歌詞の意味を考察します。

メジャー5thアルバム「泣きたくなるほど嬉しい日々に」(2018年9月)の収録曲。

ベースの長谷川カオナシさんが作詞・作曲し、リードボーカルを務める「私を束ねて」の歌詞を見ていきましょう。

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私を束ねて 歌詞考察!

友だちになろう!

誰も分からないことを言って
誰かを不思議がらせてみたいな
誰も知らない歌を聴いて
少ない誰かと繋がりたいな

クリープハイプの楽曲は基本的に尾崎世界観さんが作詞・作曲・ボーカルを務めているので、その役割を長谷川カオナシさんが担うのは異色で、少数派です。

こうした楽曲の立ち位置も反映するかのような歌詞になっています。

まず、「私を束ねて」自体、多くの人が使う一般的な表現というより、「不思議」な雰囲気がただよう個性的なタイトルといえるでしょう。

「束ねられるもの」といえば花束が思い浮かびますが、「私」が「束ねてほしい」と願っているのは「私」自身です。

「一般的には伝わりにくい表現をして、不思議がらせたい」という冒頭の歌詞がタイトルにもあらわれています。

シングルやタイアップ曲ではないアルバム収録曲で、なおかつ尾崎世界観さんではなく長谷川カオナシさんが作・ボーカルを務める楽曲なので、「知名度は低いかもしれないけれど、少数のコアなファンに聴いてもらいたい」といった意図が感じられます。

歌物語としては「個性的な私も仲間に入れてほしい」という人間関係における願いが込められているでしょう。

変な人ってどんな人
そりゃあ普通じゃないってことでしょう
普通の人って見たことないけど
とにかくその他に

「普通か、変か?」という二択はさまざまな場面で問題になりやすいテーマです。

とくに日本には和を尊ぶ風潮や「郷に入れば郷に従え」といったことわざもあるので、「多数派=普通の人」が「少数派=変な人」を冷たい目で見る構図も想像できるはず。

しかし、一人として同じ人間は存在しないので、そういう意味では全員が個性的(変な人)で「普通の人」は存在しないことになります。

その辺りを指摘しているのではないでしょうか。

束ねてよ束ねてよ お友達になりましょう
流行りの言葉の 何かを当てはめてよ

1番のサビです。

世界的にも多様性を受け入れることが求められる時代になっているので、「流行りの言葉を当てはめる」なら「ダイバーシティ」(多様性)が考えられます。

異質な存在を感情的に排除するのではなく、違いを認め合いながらつながるほうが建設的な進化や変革が起きやすくなるでしょう。

透明人間も受け入れる

「可愛いものが好きな私可愛い」
うん まあ良いでしょう
そういう目で見る奴なんかよりも
ずっとマシでしょう

日本発祥の「カワイイ文化」は画家・竹久夢二さんが活躍した大正時代までさかのぼることができるそうです。

ただ、好きな対象と主体を同一視する考え方は、どちらかというと少数派かもしれません。

それでも自らを肯定的に捉えているところがポジティブなので、自分とは異なる発想だとしても「まあ良いでしょう」と落ち着きます。

自分とは違うという理由で、冷たい目で見る(そういう目で見る)とか、差別する人より「ずっとマシ」ですね。

どこに控える透明人間
掲げてるそれは鬼の首じゃなくて
誰かの揚げ足です
でもどうぞどうぞ

多数派と少数派で意見が分かれたとき、どちらにもつかず、「透明人間」のように振る舞う人もいます。

両方の考え方をそれぞれ認めているのなら問題はありませんが、正体を隠して「鬼の首を取ったように勝ち誇り、揚げ足を取っている」なら考え直したほうが良さそうです。

ところが「私を束ねて」の語り手は「揚げ足取りの透明人間」も排除しません

むしろ「好きなだけやればいい」と否定せずに受け止められるほうが、自らの過ちに気づき、行動を改めやすくなるのではないでしょうか。

この後、1番のサビが繰り返されます。

私は束ねられない?

束に刺さる旗 目当てでした
話題と寝てみたいだけでした
虎の穴にも 入らないなら
威を借るきつね蕎麦でも啜れ啜れ

せっかく誰かと親しくなっても、自分が属する集団のブランド力(束に刺さる旗)が「目当て」とか、個性や違いが「話題」になっているから近寄ってみただけなど、何らかの目的や下心があるケースも考えられるでしょう。

そこで語り手は、ことわざ「虎穴に入らずんば虎子を得ず」(危険を冒さなければ、大成功はつかめない)と故事成語「虎の威を借る狐」(強い人の権威を頼みにして威張る、ずる賢い人のたとえ)を持ち出し、独特なアレンジを加えています。

少数派と仲良くなる勇気がないなら、権力目当てでずる賢く生きればいいよ」といったニュアンスでしょうか。

束ねても束ねても 誰かにはならないでしょう
流行りの言葉よりは 長く生きるつもりだし

「私を束ねて」と呼びかけつつ、「どれほど束ねても、まったく同じになることはない」という達観した考え方も提示されました。

「流行りの言葉で当てはめて」という願いも、どうやら皮肉交じりだったようです。

どの道歩いたって歩かずに座り込んだって
色違いの似たような雨に濡らされていくだけで
変わらないな選択日和の好転機か
Tシャツが染まるくらいなら
大した問題じゃない
それくらい
それくらい

「色違い」は「Tシャツ」にかかるのが一般的ですが、「雨」につながっているところが個性的。

さらに「洗濯日和の好天気」が「選択日和の好転機」に置き換えられていて、「誰も分からない」ような「不思議」な表現になっています。

「違いが原因で涙を流すほど落ち込み、差別する人が何も変わらないとしても、個性を貫くことで誰かの考え方が変わる機会になる可能性はあるし、そもそもTシャツの色違いくらいに捉えれば大した問題じゃないから大丈夫」と勇気づけてくれているのかもしれませんね。

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さいごに

意図的に変化球が混ぜられた歌詞なので、解釈も人それぞれ自由に想像をふくらますのが向いているでしょう。

人間が争い続けているのは何らかの「違い」が原因かもしれないので、少しずつでも「違い」を認め合って共存できるようになるといいですね。

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