マカえんことマカロニえんぴつ「ワルツのレター」の歌詞の意味を考察します。
メジャー1st(通算3rd)アルバム「ハッピーエンドへの期待は」(2022年1月)の収録曲で、報道番組「news23」のエンディングテーマ(2022年1月~7月)として書き下ろされました。
はっとりさんが作詞、長谷川大喜さんが作曲した「ワルツのレター」の歌詞の意味を紐解きましょう。

ワルツのレター 歌詞考察
これは愛と希望の花唄
永い深い世界の底でひとり
出典:ワルツのレター / 作詞:はっとり 作曲:長谷川大喜
カラいツラい目眩を速攻ふき取り
まだまだパラパラと雨は舞うが
ラリラリラ 花唄を咲かすのよ BOY
最初の2行は序盤が「永い、深い、世界」と「カラい、ツラい、目眩(めまい)」、中盤が「底」と「速攻」、終盤が「ひとり」と「ふき取り」で執拗に韻が踏まれています。
さらに3行目の「まだまだ」と「パラパラ」という繰り返し言葉(畳語)でも続く、ライム(韻)。
報道番組のラストを飾るテーマ曲ということで、「さまざまな世界のニュースを見ると、歴史の長さや深刻さ、厳しい現実を突きつけられ、孤独を感じたり、めまいがしたり、涙を拭いても止まらなかったりするけれども~」といった、実はシリアスな内容が描かれていますが、執拗なライムによって気楽に受け止められる効果が生じているのではないでしょうか。
続く「ラリ~」は「鼻歌」ですが、これを「花唄」と言い換えることで「花を咲かそう」という呼びかけにつながります。
この「花唄」については追々考察していきましょう。
ほんものの悲しみをまだしらない
出典:ワルツのレター / 作詞:はっとり 作曲:長谷川大喜
「どれほど悲しいニュースが報道されても尽きることはない」とか「ニュースを見て悲しんでも、当事者の悲しみには及ばない」、「戦後生まれは戦争の悲しみを知らない」など、さまざまな解釈ができそうです。
愛の歌はきこえてるかい?空飛ぶ真似はできてるか
出典:ワルツのレター / 作詞:はっとり 作曲:長谷川大喜
希望の歌が残ってないなら おれが作ってやる
「花唄」は「愛の歌」であり、「希望の歌」でもあるとのこと。
韻を踏みまくるなどの言葉遊びや冗談を散りばめることで、「悲しみ」を「愛」や「希望」の「花」に変えて「咲かす」という意味でしょう。
飛行機に乗るなどしない限り、人間は鳥のように自力で「空を飛ぶ」ことはできません。
それでも「空を飛ぶ真似」ならできるでしょう。
要するに「空を飛ぶ」には「希望を抱く」という意味が重ねられていて、「真似事」には子どもらしい無邪気な遊び心が含まれます。
大人として厳しい現実を見つめることも大切ですが、夜の報道番組を見た後には童心に帰って「希望」を抱くようにしないと翌日の活力につながらないでしょう。
そのための「希望の歌」をこうして「おれ(はっとりさん、マカえん)が作ってくれている」ので心強いですね。
ヒップホップ?ワルツ?
小さく狭い時代の隅で二人
出典:ワルツのレター / 作詞:はっとり 作曲:長谷川大喜
屈託のない笑いが純なストーリー
だらだらサラサラと恋は渇くが、花唄を探す
「ワルツのレター」がリリースされた2022年1月は、新型コロナによるパンデミックが始まってまもなく丸2年という時期でした。
ソーシャルディスタンスやまん防(まん延防止等重点措置)、ロックダウンなどにより、「世界中の経済や人間関係などが小さく狭く縮こまっている時代」ともいえるでしょう。
「だらだら」と汗をかくほど近づくことがままならず、「サラサラ」と汗が乾く(かわく)ほど離れていなければいけないので、「恋も渇く(かわく)=恋が実りにくく、渇望(切実に希望する)状態になっている」という展開です。
こうした「純愛ラブコメっぽい物語」も「花唄」に含まれるのでしょう。
愛の歌はきこえてるかい?逃げ出すフリはできてるか
出典:ワルツのレター / 作詞:はっとり 作曲:長谷川大喜
希望の歌を忘れたんなら おれが歌ってやるぜ
報道番組のテーマ曲といえばシリアス路線が王道と思われますが、「希望」を抱かせるためにあえてコメディ路線に走り、「愛の歌」といっても崇高な「人間愛」ではなく大衆的な「恋愛」を取り上げるところが、マカえんらしい「逃げ」に該当しそうです。
あまりにも世の中や身のまわり、自分自身が深刻になりすぎているときは、真っ向勝負するばかりではなく「逃げ出す」という選択肢もあります。
ただ、本当に「逃げ出す」とかえって大変な事態になりかねない場合もあるので、「空飛ぶ真似」と同じく「逃げ出すフリ」に留めているのでしょう。
大衆的なコメディ路線を装いつつ、内容的にはしっかり「愛」も「希望」も押さえているところが「逃げ出すフリ」を体現しているとも考えられます。
そう夜明けの hip&hop
出典:ワルツのレター / 作詞:はっとり 作曲:長谷川大喜
ワルツのレターをしたためる
ヘタクソな愛の歌でもいい 君が歌えば正しいのさ
「花唄=愛の歌=希望の歌」は「夜明けの hip&hop」かつ「ワルツのレター」でもあると明かされました。
曲名になっている「ワルツ」は「社交ダンスやフォークダンスなどの踊り」かつ「3拍子の円舞曲」のこと。
ところがこの楽曲自体は「4拍子の(プログレ的な展開も含む)ギターロック」です。
ライムはたくさん出てきますが、ラップでもヒップホップ的なトラック(サウンド)でもありません。
もしかしたらチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」の第2幕・第13曲「花のワルツ」をイメージしているのかもしれませんが、いずれにしても曲調は異なります。
この外し具合こそが「空を飛ぶ」や「逃げ出す」行為そのものであり、「真似」や「フリ」として伏線を張っていたのでしょうか。
あえて「ヘタクソでも正しい」を体現しているとも深読みできそうです。
愛の歌はきこえてるかい?空飛ぶ準備はできてるか
出典:ワルツのレター / 作詞:はっとり 作曲:長谷川大喜
希望の歌が残ってないなら おれが作ってやる
闘う意味は教わらないし涙の価値は決められない
大丈夫、きっと大丈夫
誰も丈夫じゃないからさ
「大丈夫」を「誰も丈夫」ともじりながら「じゃない」と否定するところが最終的なオチでした。
「ワルツ」と掲げながら「ワルツ」ではないなどの「ヘタクソ」や「丈夫じゃない」様子をあえて体現してみせるところが「愛」や「希望」につながったのではないでしょうか。

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さいごに
報道番組のテーマ曲でもマカえん節は健在でした。
結局「鼻歌→花唄→(花の)ワルツ」と変換したと考えると、曲名は「鼻歌として歌えるような手紙」という意味だったのかもしれません。