ヨルシカの「嘘月」は1st EP「創作」(2021年1月)の収録曲。
アニメ映画「泣きたい私は猫をかぶる」(2020年6月)のエンドソングとして書き下ろされました。
n-bunaさんが作詞・作曲・編曲した「嘘月」の歌詞の意味を考察します。
アニメ映画の概要
「泣き猫」こと「泣きたい私は猫をかぶる」はスタジオコロリド制作、佐藤順一さんと柴山智隆さん監督、岡田麿里さん脚本、志田未来さんと花江夏樹さん主演のアニメ映画。
愛知県常滑市を舞台に、中学2年生の「ムゲ(無限大謎人間)」こと笹木美代(志田未来さん)が猫の姿になって、大好きな同級生の日之出賢人(花江夏樹さん)に会いに行き、太郎と名づけられるという秘密が描かれた青春ファンタジーです。

嘘月 歌詞考察!
尾崎放哉の俳句へのオマージュ
雨が降った 花が散った
ただ染まった頬を想った
僕はずっとバケツ一杯の月光を呑んでる
本当なんだ 夜みたいで
薄く透明な口触りで
そうなんだ、って笑ってもいいけど僕は君を待っている
出典:嘘月 / 作詞・作曲:n-buna
「嘘月」というタイトルは「嘘つき」のことで、「泣き猫」の主人公ムゲが「猫をかぶる(本性を隠す)」展開と重なりますが、アニメ映画の内容そのままの反映というより、ヨルシカ独自の世界観に重点が置かれた歌詞になっています。
ポイントは、自由律俳句の俳人・尾崎放哉(おざき ほうさい)さんの俳句が散りばめられているところ。
タイトル自体「うそをついたやうな昼の月がある」という俳句を連想できます。
語り手の「僕」は「笑ってもいいけど」と冗談めかすたびに、1つの俳句を引き合いに出して嘘をついているようです。
最初にオマージュしていると考えられる俳句は「バケツ一杯の月光を汲み込んで置く」。
「僕」は「君」に振られたのか、付き合っていたのに別れたのか、いずれにしても失恋したのでしょう。
「春が終わり、梅雨が訪れた頃、君を忘れられずに涙を流し、月を飲むように嘘をつく僕」の姿が目に浮かびます。
夏が去った街は静か
出典:嘘月 / 作詞・作曲:n-buna
僕はやっと部屋に戻って
夜になった
こんな良い月を一人で見てる
本当なんだ、昔の僕は涙が宝石で出来てたんだ
そうなんだ、って笑ってもいいけど
2つめの俳句は「こんなよい月を一人で見て寝る」。
季節は巡り、「夏を過ぎると、やっと夜になる」という流れです。
おそらく「夏の夕焼けに染まった君の頬」が忘れられず、「夏」という季節や「夕方」という時刻が過ぎると「君」への未練を断ち切ることができるという構図になっているのでしょう。
声はもうとっくに忘れた
出典:嘘月 / 作詞・作曲:n-buna
想い出も愛も死んだ
風のない海辺を歩いたあの夏へ
やはり「夏の海辺」が「君」との忘れられない「想い出」のようです。
これまで「僕」は「月光を呑む」とか「涙が宝石」といった、わかりやすい「笑い話」のような嘘をついてきましたが、むしろ「君」に対する未練はないとばかりに「忘れた、死んだ」などと強がるほうが嘘のように聞こえます。
僕はさよならが欲しいんだ
出典:嘘月 / 作詞・作曲:n-buna
ただ微睡むような
物一つさえ云わないまま
僕は君を待っている
「僕」と「君」はかつて一緒にいたけれど今は離れていることは明らかですが、それ以外の関係性は曖昧なままです。
付き合っていたのに突然「君」が姿を消したのかもしれませんし、自然消滅のような別れや死別も考えられます。
あるいは「僕」自身のなかで「君」との別れを現実として受け止めきれていないため、想像で思い出すだけでなく、実際に現れて改めて別れを告げてほしいと願っているのでしょうか。
「君」への未練を断ち切りたいのか、それとも「君」と再会してできれば復縁したいのか、本当と嘘の気持ちが混在するような心境に陥っている可能性もありそうです。
壮絶なラストへ
歳を取った 一つ取った
出典:嘘月 / 作詞・作曲:n-buna
何も無い部屋で春になった
僕は愛を、底が抜けた柄杓で呑んでる
本当なんだ 味もしなくて
飲めば飲むほど喉が乾いて
そうなんだって笑ってもいいけど
僕は夜を待っている
「君」のことを忘れられないまま1年が経過して、迎えた「春」。
ここで引き合いに出されている尾崎放哉さんの俳句は「底がぬけた柄杓で水を呑まうとした」です。
「柄杓(ひしゃく)」の「底」がなければ、水も「愛」もすくうことはできません。
「飲む」仕草をしても、実際には水も「愛」も体内に入らないので「喉が渇く」という嘘ですね。
冗談を言いながら「待っている」のは「夜」。
「君」の象徴である夕方を乗り越えて、未練を断ち切ることを望んでいるようです。
君の鼻歌が欲しいんだ
出典:嘘月 / 作詞・作曲:n-buna
ただ微睡むような
物一つさえ云わないまま
僕は君を待っている
1番で「さよなら」だった部分が、2番では「鼻歌」に変わりました。
また「待っている」のは「君」に戻っています。
忘れられない人がいるときは未練を断ち切りたいと願ったり、再会したいという願望がよぎったり、「本当と嘘」のような矛盾する思いが混在しがちですね。
アニメ映画「泣き猫」に照らし合わせると、「人間と猫」が「本当と嘘」に相当するでしょう。
人間に戻りたいのか、猫のままかわいがられたいのか、ムゲの心境が重なります。
君の目を覚えていない
出典:嘘月 / 作詞・作曲:n-buna
君の口を描いていない
物一つさえ云わないまま
僕は君を待っていない
君の鼻を知っていない
君の頬を想っていない
さよならすら云わないまま
君は夜になって行く
「ない」という否定が連呼される、壮絶なラストに至りました。
「君への思いをすべて打ち消して、未練を断ち切った状態(夜)になった」と締めくくっています。
そのまま受け取ると、ようやく前向きに人生を進めるようになったハッピーエンドです。
ただ、冗談めかした「笑い話」だけが嘘とは限らないところが「僕」の特徴ではないでしょうか。
せっかく「夜」という時刻を迎えても、翌日にはまた「君」の象徴のような「夕方」がやってきます。
そもそも強く否定する必要がある対象こそ、執着が捨てきれていないもの。
嘘をつき続けると本当になる可能性もありますが、まだ「嘘つき」のままかもしれませんね。

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さいごに
全体的に、尾崎放哉さんの「うそをついたやうな昼の月がある」という俳句がベースにあるのではないかと推察できる歌詞でした。
いつか「嘘つき」ではなく、本当に「君」への未練を断ち切ることができるようになるといいですね。