この曲が生まれたきっかけとなったのは、インターハイ(全国高等学校総合体育大会)です。
コロナウイルス感染拡大防止のために、令和二年度大会で史上初めて、インターハイ中止という判断がくだされました。
その発表の直後、それまで開催に向けて尽力してきた運営を担当する高校生たちからback number宛に手紙が届いたそうです。
ボーカルの清水依与吏は学生時代に陸上競技でインターハイを目指すほどの選手でした。
彼は開催県が地元の群馬県であること、開会式で自身の曲であるsisterが演奏される予定だったことを知り、何か彼らのためにできないかを考え、急遽水平線を制作し、そして本来インターハイがおこな合われるはずだった8月18日にyoutubeにてこの楽曲を公開しました。
概要欄にはボーカル清水依与吏からこのようなメッセージが掲載されています。
費やし重ねてきたものを発揮する場所を失くす事は、 仕方ないから、とか、悲しいのは自分だけじゃないから、 などの言葉で到底納得出来るものではありません。
選手達と運営の生徒達に向け、何か出来る事はないかと相談を受けた時、 長い時間自分達の中にあるモヤモヤの正体と、これから何をすべきなのかが分かった気がしました。
先人としてなのか大人としてなのか 野暮な台詞を探してしまいますが、 俺たちはバンドマンなので 慰めでも励ましでも無く音楽を ここに置いておきます。
清水依与吏(back number)
このような背景から生まれたこの曲の歌詞を追ってみると、美しい情景描写とともに目標や夢を儚くも叶えることができなかった高校生たちへのメッセージを読み取ることができます。
それでは歌詞を見ていきましょう。

水平線 歌詞考察
正しくありたいと願う主人公

嘘がなく、どんな時も優しく、人の痛みに共感できる人。
そんな人がいたら、まさに「正しい人」と言えるのかもしれませんが、なかなかそんな人いませんよね。
完璧であろうと努力してもそこにゴールはないのです。
ですが、正しい人にならなくても良いというわけではありません。この歌詞は
「できるだけ」嘘はない「ように」
と完璧ではないかもしれませんが、そういう人間になろうという高校生の努力の過程を表しているのではないでしょうか。

自分が正しいと思ったことを誰もが正しいと思うかは別の話です。
この歌詞で表されているのは、インターハイに向けて、3年間、真っ直ぐに一生懸命に練習に打ち込んできた高校生たちの努力の正しさが、コロナウイルスの感染が拡大しているこの状況で、大会を開くことができない、という社会の正しさに潰されてしまった状況を表しているのではないでしょうか。
どれだけ正しくても、その正しさは犠牲になってしまうかもしれません。
それぞれの正しさとは?

Aメロ、Bメロは、正しさとは何なのかということを考えさせる内容でしたが、サビではその正しさの対比が美しい情景描写とともに描かれています。
本来ならインターハイが行われていたはずの朝にも、太陽は昇ってきます。
夢を奪われた高校生たちは涙でその太陽を見ることができないかもしれません。
しかし、それはあくまで高校生の「正しさ」からみた景色で、他の人の「正しさ」においてはその太陽はとてもきれいなものなのです。

雲から降り注ぐ雨は、山をつたい、川を流れ、そして海へとたどり着きます。
インターハイに出場することができなくなり、悲しみにくれる高校生は全国各地にいるでしょう。
そんな彼らは今は悲しみから立ち直ることができないかもしれません。
しかし、その悲しみも時間をかけて、水のように流れていき、いつの日か、自分自身がきれいとつぶやけるような水平線になる日が来るのではないでしょうか。
今しかないかけがえのない時間

自分の背中は体の一部ではありますが自分で見ることはできません。
このように自分自身のことでも自分が気づいていないことがあり、意外と周りの人はそのことに気づいていたりします。
三年間ともに練習してきた仲間たちは自分の強い部分も弱い部分もきちんと理解してくれているはずです。
自分の背中も人の心も、このような状況だからこそ大事にするべきだというメッセージが込められているのではないでしょうか。

当たり前の日常とは失ってからその大切さに気づくものです。
部活を始めてから会わなくなった人もいるでしょう。
そして部活でできた友は受験の時にはもう会わなくなっているかもしれません。
毎日は習慣で作られています。
周りにいる人の大切さに気づき、感謝を伝えることができるのは今だけなのです。
喜びの裏にある誰かの悲しみ

二番のサビであるこの歌詞は夜の情景が映し出されています。
水平線にのぼる朝日を悲しみとともに見ていた人も、時間が立って夢が叶うこともあります。
しかし、金メダルを取る人がいれば、最下位を取る人もいるのがまた現実です。
自分の正しさの裏では、また別の誰かが悲しみに暮れているのかもしれません。

答えはひとつではなく、「いくつも」あるのです。
悲しみの裏には喜びがあり、逆もまたしかりです。
自分だけでなく、まわりを俯瞰してみるとそのことに気づくでしょう。
気づき、悩み、その中で自分がこれまで見えなかった背中がどのようなものなのか知っていくのではないでしょうか。

もしも、インターハイがあったら自分はどれくらい活躍していただろう。
そんな思いも中止となった今は世界に埋もれてしまっています。
一番の目標を失うと、自分の存在がわからなくなってしまうかもしれません。
この歌詞はそんな高校生の思いを的確に表した表現になっていますね
ここで、サビ部分が繰り返されてこの曲は終りを迎えます。
いつの日か水平線で光るもの

最後のサビでこの歌でこれまで表現されてきた、正しさと正しさ、喜びと悲しみ、という対比が強調されています。
しかし、最後に「あなたはそれを見るでしょう」という歌詞が二回繰り返されている点に注目すると、ボーカル清水さんの「いつか、この悲しみをきれいな水平線のように見れる日が来るからね。」という高校生へのメッセージが込められているような気がしますね。

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さいごに
この歌で、back numberボーカルの清水さんは高校生に何を伝えたかったのでしょうか。
受け取り方は人それぞれですが、筆者は高校生の心情に寄り添い、明るい未来へと導くみちしるべとなるような歌であると感じました。
みなさんも、どのような意味か考えながらこの曲を聞いてみると、新たな発見があるかもしれません。