藤井風さん「それでは、」の歌詞の意味を考察します。
2ndアルバム「LOVE ALL SERVE ALL」(2022年3月)の9曲目。
藤井風さんが作詞・作曲、Yaffleさんが編曲した「それでは、」の歌詞の意味をチェックしましょう。

それでは、 歌詞考察
あなたは誰?
あたたかな日差しに
出典:それでは、 / 作詞・作曲:藤井風
ひれ伏すとき
あなたは揺らめく
わたしを導いた
「それでは、」は藤井風さんの優しい歌声とピアノに、そっとストリングス(バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス)が寄り添う穏やかなバラード。
全11曲のアルバム「LOVE ALL SERVE ALL」(以下「LASA」)の終盤9曲目に収録されていて、映画のサントラっぽく、アルバムのエンディングテーマのような位置づけになっています。
ただし、いったん丸く収まったと思ったら、10曲目の「青春病」で再びもがき、ラスト11曲目で「旅路」は続くという結末を迎える、うねりのある展開です。
つまり「それでは、」の穏やかさには「嵐の前の静けさ」が秘められていると考えられます。
「暖かい太陽の光を浴びて、感謝の気持ちに満たされるときに揺らめき、わたしを導く」存在は、スピリチュアルな藤井風さんがたびたび歌詞のモチーフにしている「ハイヤーセルフ(高次元の自分の魂)=神様」でしょう。
なにもない荒野は
出典:それでは、 / 作詞・作曲:藤井風
このわたしは
ありあまるほどの
果実に口づけた
「なにもない荒野に、ありあまるほどの果実がある」というのは矛盾しているようですが、「ハイヤーセルフ(あなた)に導かれたわたしであれば、目には見えない愛のありがたさに気づくことができる」と解釈できそうです。
すでにあふれんばかりの幸せに満たされているのに、その幸せに気づくことができなければ悩んだり、不満を抱いたり、「なにもない荒野」にいる感覚に陥るかもしれません。
太陽の光のように、ハイヤーセルフが注いでいる「愛=果実」をただ受け入れるだけで幸せになることができそうです。
愛がただ
出典:それでは、 / 作詞・作曲:藤井風
大きなその手を広げ待つ丘は
まだまだ
靄が邪魔をするけれど
太陽に意識があるのかどうかはわかりませんが、意識があると仮定すると「光や熱を地球や人間に注いでいる」という感覚はないのかもしれません。
「光や熱を放つところまで含めて太陽そのもの」なので、「ただ太陽として大きな手を広げて待っている」だけであり、光や熱を受け取るかどうかは地球や人間次第とも考えられます。
地球の場合は、程よい距離を保ちつつ太陽のまわりを回っているので、適度に光と熱を受け取り続けているものの、それをありがたいと感じるかどうかは人それぞれであり、時と場合による可能性もありそうです。
この「あたたかな日差し」に重ねられるのが、「愛」。
ハイヤーセルフや神様が存在するかどうかもわかりませんが、存在すると仮定すると「愛を人間に注いでいる」という感覚はないのかもしれません。
「ハイヤーセルフも神様も愛そのもの」なので、「ただ愛として大きな手を広げて待っている」だけなのでしょう。
その「愛が待つ丘」への道のりにかかっている「靄(もや)」とは、「悩み、不満、不安」などのネガティブな感情だと思われます。
常に「愛」と感謝で満たされた状態でいられるといいのですが、藤井風さん自身もなかなか理想にたどり着けないときもあるようです。
秋風が
出典:それでは、 / 作詞・作曲:藤井風
雪にかき消されて
荒んだこの地に
もうすぐ春が来る
アルバム「LASA」の1曲目「きらり」、2曲目「まつり」、6曲目「ガーデン」などにも季節の描写があり、いずれも人生の紆余曲折になぞらえていると考えられます。
「荒(すさ)んだこの地」は「なにもない荒野」と重なり、季節でいえば「冬」、人生においては「もがいている時期、状態」に相当するでしょう。
常に明るい気分でいたいものですが、どうしても暗い気分になってしまうときもあります。
それでも苦しんだからこそ、楽しみが倍増する場合もあり、どのような状態であれ、季節のように変化し続けるという意味では「諸行無常」です。
とくに日本は四季の変化がはっきりしているので、ずっと「冬」が続くことはありません。
必ず「春が来る」ことに感謝できるようになると、気分も「春めく」のではないでしょうか。
エンディングに込められた意味とは?
真っ直ぐな小径
出典:それでは、 / 作詞・作曲:藤井風
曲がりくねった坂道
いつか行き着く
場所はたった一つだけ
どのような人生をおくっても、誰もが亡くなることは共通しています。
ハイヤーセルフ的な考え方をすると、「行きつく場所」は「死」というより「魂、神様、愛」になりそうです。
つまり「愛がただ大きなその手を広げ待つ丘」のことでしょう。
生きているうちにハイヤーセルフとつながるのは難しいかもしれませんが、最終的には誰もが「魂、神様、愛」そのものになるという意味のようです。
会いに行く
幾重の闇を超えて
微笑み湛えてそれでは、お元気で
出典:それでは、 / 作詞・作曲:藤井風
「人生は泣き笑いしながら、愛に会いに行く旅路」だと考えるとワクワクしますね。
ラストに曲名の「それでは、」が出てきて、まるで別れの挨拶のような結末を迎えました。
たしかに映画やアルバム、そして人生のエンディングみたいになっているものの、アルバムにも藤井風さんの人生にも続きがあるので、生きているうちにハイヤーセルフに「会いに行った」という意味でしょう。
藤井風さんと一緒に「愛」そのものになれるといいですね。

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さいごに
季節にたとえると「春が来た」状態で締めくくられましたが、「また冬もやって来る」のが10曲目の「青春病」ともいえるでしょう。
それでも、なるべく荒野の果実に気づくように心がけたいものですね。