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視線【緑黄色社会】歌詞の意味を考察!愛と呼ぶにはまだ早い、視線とは?

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緑黄色社会(リョクシャカ)「視線」の歌詞の意味を考察します。

3rdミニアルバム「溢れた水の行方」(2018年11月)の2曲目。

長屋晴子さんが作詞・作曲した「視線」の歌詞の意味を見ていきましょう。

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視線 歌詞考察

視線には思いが隠されている

いつだって得意さ君を見つけること
気付けば視線が君を追って離さない

出典:視線 / 作詞・作曲:長屋晴子

語り手の「僕」は「君」を探し出すのが上手で、つい「君」に見とれてしまうようです。

「気がついたら目で追っている」状態なので、「気になっている」とか「興味や関心がある」ことは間違いないでしょう。

ただ「好意がある」というか、「好きだ」と自覚するのはまだ先なのかもしれません。

この「恋の前段階」のようなニュアンスを「視線」という曲名に込めたのではないでしょうか。

思春期によくある風景ともいえますが、「うっとり見つめられる側が気づいている」ケースもあるので、「目で追われる」立場に対する配慮も必要でしょう。

どこまで行けるか分からないけど
試したくなるのが性ってもんさ
あまりに綺麗で脆くて怖い
どうせ壊れてしまうなら

出典:視線 / 作詞・作曲:長屋晴子

「綺麗」なのは「君」でしょうか、それとも「僕が君を見つめる行為」のことでしょうか。

「僕は君が気になるから見つめている」わけですが、逆の立場になってみると「何とも思っていない人にうっとりとした表情でじろじろ見つめられている」ことになります。

「見つめる側」は自分の行為を美化しがちですが、「見つめられる側」にとっては「怖い」体験にもなり得るので、この状況は「脆(もろ)く、壊れやすい」ともいえるでしょう。

しかも「見つめる側の僕は歯止めが効かなくなっている」ようなので、先行きが心配です。

少しだけでいいから君に触れたい

出典:視線 / 作詞・作曲:長屋晴子

「見ているだけ」の状態から、いきなり「触れたい」と飛躍するところが思春期らしいのではないでしょうか。

「僕」は自分の感情で精一杯になっているので、相手の立場になって考えてみることなど思いつかないようです。

しかし、「触れたい」という思いのこもった「視線」を、歯止めが効かないほど向けられるとどのように感じるでしょうか。

この「ねっとりとした視線」は独特のものなので、四六時中向けられると「気がつかない」ほうが難しいはずです。

いわゆる「リアコ」状態の対象になることが仕事に直結する人やモテる人は慣れているかもしれませんが、一般的には「挨拶する、話す」段階を経ずに「触れたいと思いながら凝視する」相手には好印象を抱かない可能性のほうが高いでしょう。

ばれたくない欲深さ

絡まって解けた偶然の視線が
全ての始まりになるなんて思わない

出典:視線 / 作詞・作曲:長屋晴子

「全ての始まりになる」のは、同じタイミングで「君も僕を触れたいと思いながら見つめていた」場合しかないかもしれません。

あるいは「僕に見つめられていると気づいた君も、僕のことが気になり始める」ケースもあり得るでしょうか。

いずれにしても「挨拶する、話す」段階を経ていないと考えられるので、魅かれたのは容姿だけになるはず。

その場合は「人間愛に発展するのかどうか?」という問題も残されるでしょう。

日毎に増してく欲深さよ
どうか君だけにはばれないで

出典:視線 / 作詞・作曲:長屋晴子

思春期の悶々とした心情が「欲深さ」という言葉で表現されています。

「ばれないで」と願っているということは、まだ「ばれていない」と思っているのでしょう。

たしかに「ばれていない」ほうが「僕」にとって好都合なだけでなく、「君」にとっても幸せなのではないでしょうか。

ただ、「ずっと見ている人がいると、見られている側が気づく」のはもちろん、「僕や君のまわりの人たちも気づく」場合が多いはず。

とくに「欲深い目で見ている」とすると、「ばれている」確率のほうが高いと思ったほうがいいでしょう。

こうした冷静な判断ができなくなっていることに「気づく」といいのですが、「欲深さ」が勝って難しいのかもしれません。

届かなくていいから君に告げたい

出典:視線 / 作詞・作曲:長屋晴子

いったい何を「告げたい」のでしょうか。

いきなり「触れたい」と言われたら、「君」は驚くはずです。

基本的には「届かなくていいから告げたい」のは「好きだという思い」だと考えられます。

しかし「触れたい」とか「欲深さ」といった表現で内面が「ばらされた」状態になっているので、今さら純愛路線に引き返すのは難しいかもしれません。

少しだけでいい
偶然なんかじゃなくてさ
君の瞳で僕を捉えて

出典:視線 / 作詞・作曲:長屋晴子

「視線」という曲名に照らし合わせて、「僕」が「君目線」の気持ちを「少しだけでいい」ので想像できると、どれほど「怖い」ことになっているのか、わかるかもしれません。

ところが、この期に及んで「僕を見てほしい」と願っているので、何も理解していないと考えられます。

「必然的に目をそらされている」可能性すらあるのではないでしょうか。

それでも「恋に恋している段階」に「欲深さ」が加わるのが思春期らしいともいえるでしょう。

目まぐるしい日常の中
そっと想い続けている
大切にしてたこの気持ちでも
愛と呼ぶにはまだ早い

出典:視線 / 作詞・作曲:長屋晴子

「触れたい」の前に「話したい」があると「恋や純愛と呼べた」可能性もありますが、どれほど「大切にしていた思い」と美化されても「欲深さ」止まりのような気がします。

これこそ「視線」という曲名に凝縮された「愛と呼ぶにはまだ早いもの」でしょう。

思春期らしさが存分に表現されていたのではないでしょうか。

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さいごに

いわゆる「ガチ恋」とか「顔ファン」という言葉もあるとおり、推しに「うっとりとした視線を投げかける人」もいるでしょう。

仕事に直結するため「視線」を集めることに尽力する人もいますが、どちらも「人間愛」や「音楽愛」などの「愛と呼ぶにはまだ早い」状態といえるのではないでしょうか。

「欲深い視線を向けられる側」に立って、「愛」を育むように心がけたいものですね。

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