優里さん「背中」の歌詞の意味を考察します。
1stアルバム「壱」(2022年1月)の11曲目。
優里さんが作詞・作曲した「背中」の歌詞の意味を紐解きましょう。

背中 歌詞考察
背中を輝かせるのは情熱
変わりゆく時代にまだ戸惑う毎日
出典:背中 / 作詞・作曲:優里
本当の自分は今の俺だろうか
戦場に赴く 週末もまた戦士
熱き仲間は皆 新たな道選ぶ
「背中」は、コロナ禍が始まった2020年春頃から約2年が経過した、2022年1月リリースの1stアルバム「壱」に収録されています。
コロナ前とコロナ後では世界が一変し、パンデミックが収束する日は訪れるのか、ウィズコロナ・アフターコロナのニューノーマル(新しい生活様式)を築く必要があるのか、「戸惑う毎日」が続きました。
具体的に新型コロナの名前が歌詞に出てくるわけではありませんが、こうした「激動の時代」を生き抜く、優里さん自身の心情が綴られていると考えられます。
さらに「本当の自分」を見失っていないだろうかと自問自答する姿には、リスナー自身の思いを重ねることもできるでしょう。
優里さんはシンガーソングライターなので、「週末に赴く戦場」といえば「ライブやフェスなどの会場」のことではないでしょうか。
ライブは数々の中止や延期を経て、ようやく制限を設けながら開催できるようになりました。
「ライブやフェスなどの会場」は本来「音楽を楽しむ場所」のはずですが、コロナ禍においては「参戦」という言葉がしゃれにならないほど「感染予防対策を講じた戦場」と化したともいえそうです。
ステージに立つアーティストや支えるスタッフは、さながら「戦士」のような心持ちとも考えられます。
しかし「音楽に情熱を燃やす仲間」のなかには、ライブの激減によって転職したり、ライブ以外の活動方法を模索したり、方向転換を余儀なくされた人もいるはずです。
俺は後悔しないで行けるか
出典:背中 / 作詞・作曲:優里
何もしないで眺めてるだけじゃ
正解はないぜ
「新たな道を選ぶ仲間がいても、俺はこれまでと同じ道を後悔せずに進むことができるか」と自問自答しています。
音楽業界に限らず、これまでと同じやり方では無理だと「何もできない」時期があった人もいるでしょう。
感染者は増加するのか減少するのか、事態は収束するのか悪化するのか、「正解」はわからず、誰にも予測不可能で先行き不透明な「VUCA(ブーカ)時代」になりました。
それでも「何もしない」わけにはいかず、前進あるのみと「俺」は考えているようです。
手の中にあるはずの幸せは
出典:背中 / 作詞・作曲:優里
両の手を離したとき
すぐに逃げ出してしまうだろう
手の中にまだ残る情熱は
耐え忍ぶこの背中を輝かせてくれるかい
「手の~幸せ」は「当たり前の日常」や「熱き仲間」が当てはまりそうです。
曲名の「背中」は、たとえばコロナ禍によって失われた「当たり前の日常」に「背中」を向けてでも、「俺」は前進する、といったニュアンスが込められているように受け取れます。
どれほど「当たり前の日常」が失われても、「情熱」はまだ残っているはずなので、どうにか前進するために「俺の背中を輝かせてほしい」という意味でしょう。
とくにライブに関わるスタッフの場合は、開催中止や延期によって仕事のほうが「逃げ出す」始末で、現場に「残る」ことが難しくなった人もいるのではないでしょうか。
そのため音楽を続ける優里さんとしては、「新たな道を選ぶ」人に「背中」を向けることになるけれども、どうにか「耐え忍んで輝きたい」と願っているようです。
輝いているのは夜光虫?
枯れ果てて見えるか
出典:背中 / 作詞・作曲:優里
映り込んだ自分を
受け入れられぬまま
今日も夜が明ける
どれほど「本当の自分」や「輝いた自分」でいたいと思っても、「たまたまショーウインドーなどに映った自分が枯れて見える」こともあるでしょう。
前進すると決意した優里さんでも、「自分」に納得がいかず、眠れぬ「夜」を過ごすこともあるようです。
蛍のように漂う夜光虫
出典:背中 / 作詞・作曲:優里
明るみにまた己の光
飲み込まれていく
「夜光虫」は「海に漂い、夜に光って見えるプランクトン」のこと。
自信を失いそうなときでも、自らの「背中を輝かせ」、「光」の方向へ進みたいという願いが感じられます。
手の中に閉じ込めた幸せは
出典:背中 / 作詞・作曲:優里
両の手を離したとき
息をしてそこに居るか
手の中にまだ残る情熱は
頼りなくされど強く
小さく輝いてる
「幸せ」や「情熱」を「夜光虫」になぞらえ、「頼りなく小さくても、強く輝く」と表現しています。
あるいは「自分自身」も「夜光虫」にたとえているので、「輝くのは背中」ということかもしれません。
嗚呼 今 呼吸を
出典:背中 / 作詞・作曲:優里
ひとつするたびに
嗚呼 命短し 燃やしていけ
コロナ禍になってからマスクを着用する習慣が身につき、「呼吸をひとつする」のも「ありがたい日常」だったと気づいた人も多いのではないでしょうか。
さらに寿命が1~3か月程度の「夜光虫」に思いを馳せると、なおさら「今、情熱を燃やしながら生きる」ことの大切さが身に染みます。
手の中にあるはずの幸せが
出典:背中 / 作詞・作曲:優里
音もなく流れ落ちて
幻と違わぬ時
手の中にあるはずの情熱は
耐え忍ぶその背中を輝かせてくれるかい
コロナ前の「当たり前の日常」が、コロナ後には「幻」と化したことを表現しているようです。
あるいは「夜の海で光る夜光虫をすくい上げると、音もなく流れ落ちて幻になった」といった詩的な光景も目に浮かびます。
先行きが不透明だと、「情熱」を燃やし続けるためのモチベーションを保つことが難しくなりがちです。
「どこへ向かって、いつまで耐え忍べばいいのか」と不安になることもあるでしょう。
それでも「夜光虫のような情熱はあるはず」なので、どうにか「背中を輝かせたい」ものですね。

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さいごに
2020年代は暗闇のなかを手探りで進むような時代になっているので、光や希望を見出すのが難しい側面もあるでしょう。
ただ「当たり前の日常がどれほどありがたいものだったのか」と思い知ることができたのは不幸中の幸いともいえます。
世の中がどれほど混乱しようとも情熱を燃やし続け、背中を輝かせながら前進したいものですね。