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世界の果て【RADWIMPS】歌詞の意味を考察!絶望の中にある優しさとは?

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2020年3月11日に公開された「世界の果て」について考察していきます!

この曲は作詞作曲を務めたRADWIMPS野田洋次郎さんのコメントにもある通り、東日本大震災をテーマにした曲です。

実はRADWIMPSは2017年を除いて毎年、東日本大震災にスポットをあてた楽曲を制作しています。

「世界の果て」もその一つとなったわけですが、今までの同テーマの曲の制作時と異なるのは、2020年はコロナウィルスが世界的流行し、日本でも戦後初の緊急事態宣言が発令された年であることです。

しかしそんな中で、当時東日本大震災に被災したことで、未だその被害に苦しめられている人がいます。

「それでも、それだからこそ今年も変わらずあの3月11日に想いを巡らせ、そこに『今』の空気を混ぜて一つの曲にしたい」という強い野田洋次郎さんの気持ちが至るところに表れています。

では早速歌詞の考察を始めていきましょう!

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世界の果て 歌詞考察

最期までの道のり

明日もしもこの世界が終わんなら
それは地獄なのかワンダーランド
誰一人も分からんなら
考える価値もないのか

出典:世界の果て / 作詞・作曲:野田洋次郎

曲中に「ワンダーランド」という単語が繰り返し出てきます。

ここでは「地獄」の対比として「ワンダーランド」が使われていますので、天国のニュアンスを感じますよね。

東日本大震災の恐怖を知った今だからこそ、「明日もしもこの世界が終わんなら」ということも想像できますが、当時の私たちはそんなことを想像する必要もないほど平穏な日々を過ごしていたはずです。

そんな当時の状態を「誰一人も分からん」ように野田洋次郎さんには見えていたのでしょうか。

確かに明確な答えを出せる人は世の中にそんなに多くはなさそうですよね。

しかし、だからといって「考える価値もないのか」と言われればそうではありません。

日頃から危機意識をもって生活することで、未然に事態を防げたり、被害を最小限に食い止められるものもあると思います。

それだけでなく、最悪の状況を想像することで今まで見えてこなかったことや新たな気付きがあるかもしれません。

最後の一文ではそういった問題提起をしています。

さてさて 最後の晩餐は何にしようとか
呑気に言ってられないよな
気が触れずに笑えんのか
正直自信はないよな

出典:世界の果て / 作詞・作曲:野田洋次郎

もしも明日世界が終わるとしたら「最後の晩餐は何にしよう」なんて考える余裕はありませんよね。

「気が触れずに笑えんのか」と言われれば「正直自信はない」と野田洋次郎さん自身も書かれています。

人は追い詰められた時、何を考え、何を望むのか。

そういった部分に深く踏み込んでいるため、絶望感が漂うフレーズが多くなっていますね。

この疑問の答えが次の文脈で示されています。

それなら僕は行くよ
君の元へ行くよ
せめて僕の腕の中には君の 顔をうずめて

出典:世界の果て / 作詞・作曲:野田洋次郎

人は最期を悟った時、会いたい人の元へ行きたいと思うものではないでしょうか。

そして、会った時に特別な言葉はいらず、身を寄せ合うことが一番気持ちが伝わる手段ではないでしょうか。

「せめて僕の腕の中には君の 顔をうずめて」この一文は、全体的に暗い雰囲気の中に温かみを感じさせてくれますね。

楽曲公開後の野田洋次郎さんのコメントの『絶望感がありながら、どこかそれは懐かしく優しいものに自分は感じたのです。 』という意図がはっきり表れている部分だと思います。

楽曲や編曲の雰囲気も全体的に重くて暗いですが、どこかその中にも優しさを感じ取ることができます。

この一見相反するようにも思える明暗のバランスを絶妙にコントロールしているところがすごいですよね。

襲いかかるその終わりの
君の視界を覆い
ワンダーランドまでの 短い一秒だけ「さよなら」を

出典:世界の果て / 作詞・作曲:野田洋次郎

終わりの瞬間がすぐそこまで来ていることが伝わってくる緊迫のシーンです。

ほぼ全ての人が死を迎える時、なるべく苦しむ時間は短めがいいと考えていると思います。

いわばそれが死という絶望の中にある、唯一の救いでもあるからです。

「君の視界を覆い」は、自然と覆われてしまうのではなく、意図的に「僕」が覆っていることが分かります。

更に「短い一秒だけ「さよなら」を」と苦しい時間は一瞬であることを伝えています。

死に怯える相手に対して恐怖を煽るような現実を見せないために視界を遮ったり、苦しみは長くは続かないことを伝えて落ち着かせたりと、まさに絶望の中でできる最大限の優しさですよね。

薄れていく記憶と感情の行く末

時が経つに連れて徐々に水底に
ゆっくりと沈んでいくかの
ように君の顔もおぼろげに
なっていってしまうのはなぜ

出典:世界の果て / 作詞・作曲:野田洋次郎

東日本大震災から9年経って、当時の記憶や感情が徐々に薄れてきていることに警鐘を鳴らしている段落です。

また、「水底」という表現は東日本大震災の津波を表しているようにも思えます。

実際に被災した人は思い出したくもない出来事として、記憶の奥底に封印してしまっているかもしれません。

しかし、将来大切な人が同じような目に遭うとしたら、記憶を封印することはその人への『優しさ』になるでしょうか?

自分と同じ境遇にならないよう、または少しでもダメージを減らせるように何か伝えることが『優しさ』ではないでしょうか?

そんなメッセージがどこか込められているようにも感じます。

乗り違えたようで降りる駅を間違えたそんな僕らが
ワンダーランドで出逢うには
どの便に乗ればいいんだろう
どこで降りればいいんだろう

出典:世界の果て / 作詞・作曲:野田洋次郎

人の生き別れを電車の乗り違いに喩えているように私は感じました。

できればこの先も「僕」と「君」で一緒に生きていきたかったが、「君」が死ぬなら「僕」も一緒に死にたかった。

そんな悲痛なまでの思いが伝わってきます。

しかし、結果的に「僕」だけが生き残ってしまい、「君」に会うためにはどうすればいいのかを必死に模索しているようです。

この世界の淵から
一、二の三で飛ぶから
「今だ」と叫んでよ 腕を振ってよ 力の限り

出典:世界の果て / 作詞・作曲:野田洋次郎

これが先ほどの段落から場面がそのまま続いているとしたら、「世界の淵から 一、二の三で飛ぶ」ことは身投げ自殺を示唆してるようにもとれます。

しかし、自分では中々そんな勇気が出せないからこそ「「今だ」と叫んでよ 腕を振ってよ 力の限り」の一文に繋がっているんだと思います。

一筋の光

海風にかき消されない
波に飲み込まれない
一筋のあなたの 声を命の糸に結ぶよ

出典:世界の果て / 作詞・作曲:野田洋次郎

野田洋次郎さんは震災が起きた当時、『糸色-いとしき-』という特設サイトを立ち上げました。

そのことからも『糸』という表現を命の繋がりに見立てている部分があることが伺えます。

「海風にかき消されない 波に飲み込まれない」ほどの「一筋のあなたの声」は「僕」がこの先も生きていく上での心強い頼りになることは、ここまでの歌詞から考えても間違いありません。

最後の「命の糸に結ぶよ」には、これまでと違ってどこか前向きさを感じますよね。

君の元へいくよ 必ずや向かうよ
君の姿形 色とか匂いのすべてなくても

心配せずいてよ この世界で君を
見つけたのと同じようにたやすく たどり着くから

出典:世界の果て / 作詞・作曲:野田洋次郎

「君」への強い思いを胸に、前に進むことを決心した「僕」。

「君の姿形 色とか匂いのすべてなくとも」というフレーズからどれだけ相手を想っているかが痛いほど伝わってきます。

「心配せずいてよ この世界で君を

見つけたのと同じようにたやすく たどり着くから」の締めの一文には、一番のような不安な気持ちは既になく、心強さを感じるほど強い意思が垣間見えますね。

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さいごに

歌詞の考察とは少し逸れますが、この曲のMVは3分11秒で編集ミスかと思えるほど、前触れなく終わってしまいます。

こういった歌詞以外の部分にも3.11を連想させるような工夫が随所に見られます。

歌詞の考察している間も苦しくなる場面がありましたが、野田洋次郎さんは毎年3月11日が近くなるたびに同じような気持ちになりながら楽曲を制作しているわけですから、人格的にも素晴らしい方ですよね。

この苦しさこそが風化させてはいけない、大事な感情なんだと学んだ気がします。

ただただ絶望で終わっていくだけでなく、その中にある優しさ、最後にはそれでも前を向く人の強さも感じました。

この気持ちを忘れずに、「僕」のように力強く生きていきたいですね。

最後になりましたが、東日本大震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

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