ずっと真夜中でいいのに。(ずとまよ)「彷徨い酔い温度」(読み:さまよいよいおんど)の歌詞の意味を考察します。
2ndミニアルバム「今は今で誓いは笑みで」(2019年6月)の収録曲。
ACAねさんが作詞・作曲した「彷徨い酔い温度」の歌詞の意味を紐解きましょう。
彷徨い酔い温度 歌詞考察
ヨイヨイ音頭?
夢かな 酔っ払った屋台に
出典:彷徨い酔い温度 / 作詞・作曲:ACAね
悲しいまつげと影 ふわっと踊ってる
忙しない かげろう畑は
誰も思い出せぬような 問いが揺れてるから
曲名から連想できるのは、盆踊りやスポーツの応援歌などで親しまれている「東京音頭」。
「ヨイヨイ」という合いの手が入るので、「ヨイヨイ音頭」をもじって「彷徨い酔い温度」としたのでしょう。
お酒を飲んで千鳥足で「彷徨う(さまよう)」ときの「酔った温度感」が表現されていると考えらえます。
実際に「屋台(やたい)」という言葉が出てくるので、盆踊りなどのお祭りっぽい場所が歌物語の舞台になっているようです。
ただ、現実なのか「夢」なのか、あるいはお酒を飲んで「思い出」を振り返っているのか、はっきりとしない浮遊感や切なさも漂います。
誰かは 滝のように笑えば
出典:彷徨い酔い温度 / 作詞・作曲:ACAね
頼りに堅い志は 距離も煮詰める
だらしない 汗のかいた ラムネが
太鼓の音に仕向けられて ぽっかり二番手さ
どうやら仲のいい友だち同士でお祭りに出かけた場面が描かれているようです。
語り手の「僕」はその男女混合グループのなかに好きな人がいるのでしょう。
もしかしたら信頼できる口の「堅い」同性の友だち(志)には、その思いを打ち明けていたのかもしれません。
あるいはその友だちも同じ人のことが好きな「同志」だった可能性が考えられます。
その「同志」が「僕」の好きな人と親しくなっていくのに、「僕」はまるで「ラムネ」のように「だらしなく冷や汗をかいているだけ」なのでしょう。
「太鼓の音」で気分が高揚するお祭りなのに、好きな人の「一番手」にはなれず、「二番手」の控えの選手のようなポジションに甘んじている様子が伝わってきます。
わからないままで いるから
出典:彷徨い酔い温度 / 作詞・作曲:ACAね
確かめもしないで 全てにしないで
今すぐ逸らせるもんか
予想も届かない 言葉にかまわない
上っ面に揺さぶられたくないから ただ
凄いよ 篭って
「彷徨う」ことや「お酒や恋などに酔った温度感」がテーマなので、歌物語の時間軸や語り手の「僕」が今いる場所も曖昧です。
こうした歌詞の内容をメタ(フィクション)的に「わからないまま」と表現している可能性もあります。
あるいは、お酒に酔った状態で入った街の「屋台」で、昔好きだった人に似た人(悲しいまつげと影)を見かけ、まるで「夢」のようだとお祭りの「思い出」を回想したのかもしれません。
「本人なのか?」という「問い」が生じたものの、「わからないまま確認せず、目を逸らすこともできない」とも考えられるでしょう。
その状況を察して相手が話しかけてくることもなく(予想も~)、外見が似ていることに惑わされたくもない(上っ面に~)から、殻に「篭った(こもった)」状態になっていることを自虐的に「凄い(すごい)」と表現している可能性もあります。
恥ずかしい今に飛んでった僕は
出典:彷徨い酔い温度 / 作詞・作曲:ACAね
まだ此処には たぶん いるみたい?
走らないで 怯えないで 転げそうな
病みに酔い痴れて やっと立ち上がろ
ワニになって 朱鷺になって
蟹になって 灰になってさ
完璧が つまらぬようにさ
1番のサビです。
たまたま街で見かけた人が、告白もせず、自分のことを好きかどうかも「確かめなかった」初恋(に近い)相手という確率はかなり低いでしょう。
「僕」にもその自覚はあるので、「誰かれなく、初恋相手の面影を重ねてしまう」のが「僕」にとっての「恥ずかしい今」です。
「まだ此処にいる」の「此処」は、おそらく何度も回想している「お祭りの場面」でしょう。
それは事実に基づいた「思い出」というより、振り返るたびに想像や創造によって彩られた「夢」に近いものになっているのではないでしょうか。
「酔い痴(し)れる」のは「お酒や恋」と相場が決まっていますが、「僕」の場合は「病み」とのことなので、「病みたがり」なのかもしれません。
その「痴れる=正気を失う」が前フリとなり、「病み、立ち、ワニ、朱鷺(とき)、蟹(かに)、灰」とほぼ「あ段+い段」で韻を踏み倒し、音頭をとっています。
「今の現実」という「完璧」ばかりでは「つまらない」ので、羽目を外し、動物に変身して命尽きるまで踊るくらいの「夢」を見ようという話でしょうか。
答え合せの結末
くだらない と放って とばした
出典:彷徨い酔い温度 / 作詞・作曲:ACAね
心に良かったのか なんて僕も思わないけど
形にすることで開いた火花に
答え合せをして ゆっくり手を振ろう
初恋相手にたまたま遭遇することを期待するなんて「くだらない」と自ら一蹴して、空想の世界に意識を「とばした」けれど、これが精神衛生上いいことだとは「僕」自身も「思っていない」とのことです。
ただ、こうして歌詞や楽曲に落とし込んだ(形にした)ことで「火花」は上がった(昇華された、問題提起にはなった)ので、ここからは歌物語や「僕」の心情の「答え合せ」をするように結末へと向かっていこう(未練を手放そう)といったところでしょうか。
挨拶だけで いいから
出典:彷徨い酔い温度 / 作詞・作曲:ACAね
確かめもしないで 眺めたりしないで
次に進みたいのさ
予想も届かない 言葉にかまわない
上っ面に揺さぶられたくないから ただ
メタ視点での解説に続き、「屋台」での初恋相手に似た人との遭遇場面に戻ったようです。
相変わらず、現実なのか「夢」なのかははっきりしませんが、いずれにしても「篭って」いるばかりではなく「挨拶」だけでもしてみたら、未練を断ち切るなどの「次の段階に進める」という話でしょう。
この後、1番のサビが繰り返されます。
薄暗い夏よ、どうか この目に寄りかかる
出典:彷徨い酔い温度 / 作詞・作曲:ACAね
弱さ奪ってよ 少しだけ 浅はかな体温には
消えぬ意思が宿ってしまうよ
「浅はかな体温」は「彷徨い酔い温度」という曲名に通じるようです。
初恋の「夏」を回想し「病みに酔い痴れる」行為は、「体温」が上がったようなぼーっとした高揚感が得られるのかもしれません。
しかし、この「浅はかなヨイヨイ状態」を繰り返すと、未練を増長させる(消えぬ意思が宿る)危険性が高まると自戒しています。
恥ずかしい夜に飛んでった僕は
出典:彷徨い酔い温度 / 作詞・作曲:ACAね
まだ此処には たぶん いるみたい?
走らないで 怯えないで 転げそうな
闇に酔い痴れて やっと立ち上がろ
ワニになって 朱鷺になって
蟹になって 粉になってさ
いつの日か忘れてしまうのさ ラララ~
ラスサビは1番のサビと似ていますが、「今に→夜に、病みに→闇に、灰に→粉に、完璧が~いつの日か~」と変わりました。
「誰もがいつかは亡くなる(灰という粉になる)」ことを再確認すると、「ヨイヨイ音頭」を踊りながら未練を断ち切ることができるのではないでしょうか。
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さいごに
何らかの反動で奇をてらっているうちに、現実と夢の区別がつかなくなる可能性もあるので、「酔い痴れる」のもほどほどにしたほうが良さそうですね。