2022年3月30日にリリースされた4枚目のフルアルバムとなる『ミメーシス』。
そのリードトラックとなった「√-1」の意味について考察していきます!
「√-1」は他の曲と同様、シンガーソングライターである日食なつこさんが作詞作曲した曲です。
本人のコメントにも書かれている通り、√-1という存在しない数を題材に書かれたこの曲は一見すると難しく思えますが、内心誰もが抱えているような矛盾や不安が描かれています。
では早速歌詞の考察を始めていきましょう!

√-1 歌詞考察
自分でも制御できない感情の正体
まるで踊るかのように歩いていたんだ
出典:√-1
好き勝手やられてやって並んでいたんだ
あふれる思考才能とめどがなかった
似たようなお前じゃなきゃ張り合いもなかった
リリース後の日食なつこさんのコメントの
『いまだに片付かない感情(以下略)』
『どうせ答えなんか出ません。迷う気持ちを生涯大事にしたいと思います。』
という内容から分かるように、以前から日食なつこさんが抱えている感情について歌った曲です。
その感情は「まるで踊るかのように歩いて」いるように感じられるほど自由気ままで、感情に振り回される日食なつこさんとしては「好き勝手やられて」いる感覚があったことが伺えますね。
自分の思いや希望とは裏腹に、反対の行動をとってしまうことは人間だれしもあることです。
しかし、暴走する感情に対して「あふれる思考才能とめどがなかった」とも書かれています。
理性ではなく感情で動くと後悔することが多いですが、そうと分かっていながらも感情を止められないのは感情にそれだけのエネルギーがあるからです。
自分ですら制御できないほどのエネルギーを発する感情に、ある意味リスペクトすら感じているのでしょうか。
とはいえ、心と体も同一人物です。
『一心同体』という言葉がありますが、どれだけ感情に振り回されようとも実際に行動をとるのは体です。
「似たようなお前じゃなきゃ張り合いもなかった」というのは心と体の対比から来ているようにもとれます。
まるで踊るかのようにゆく足取りを
誰も止めらんねぇんだって笑いあったよな
一体あの日々のどこまでが本音で
どっからが俺1人だったのかもう分かんねぇんだ
「まるで踊るかのようにゆく足取りを
誰も止めらんねぇんだって笑いあったよな」
先ほどと同じ、自分の意思とは反対の行動を起こそうとする感情について触れています。
ただし、先ほどと違うのは「笑いあった」点です。
その笑ってしまった心理としては
「一体あの日々のどこまでが本音で
どっからが俺1人だったのかもう分かんねぇんだ」
という一文から半ば諦めのような、開き直りのような気持ちから思わず笑ってしまったことが伺えます。
あまりにも手に負えないような事態が起こると、笑ってしまうのはなぜでしょうか?
自分の行きたい方向、感情の行く末、体がとった行動、全てがばらばらで本音がどこにあるのか分からない状態に陥っていることが伝わってきますね。
血色の悪い真っ青な手とひび割れそうな真っ赤な手で
いくら手繰って寄せ合ったって存在しない数を
それでも i や虚ろと呼んで知った気になったあの夏を
越えられなかった気付けなかったお前も、俺も、馬鹿だったんだ
サビは2番以降も同じような歌詞が何度も出てきます。
「血色の悪い真っ青な手とひび割れそうな真っ赤な手で」
あらゆるものを犠牲にしてまで必死に何かを追いかけている様子が伝わってきます。
「いくら手繰って寄せ合ったって存在しない数を」
その何かとは√-1という存在しないと言われている数字のような不確かなもののようですね。
「それでもiや虚ろと呼んで知った気になったあの夏を」
ここまでの内容を踏まえると「i」は『愛』と『I(私)』の両方を指しているように感じられます。
「あの夏」は青春、思春期を示唆しているようです。
思春期は自我について悩む時期であり、恋愛に夢中になる時期でもあります。
しかし、大人になっても自我や恋愛について悩まないわけではありませんよね?
√-1という存在しない数のように、いつまでも人を悩ませ続けると同時に、分からないからこそ追い求めたくなるという意味では自我も恋愛も同じです。
つまり、この自我や恋愛における心の揺らぎこそが、本人のコメントでもあった『いまだに片づかない感情』の正体ではないでしょうか。
そんな青春時代のことを「越えられなかった気付けなかった」自分のふがいなさに対して「馬鹿だったんだ」と俯瞰していますね。
孤独の理由とは?
拗らした理想、屁理屈、感情論だって
その口からだったら聴いてやらんでもなかった
1発ぶん殴るぐらいしたかもしれないが、お互いに
その方が今よりずっと救われたろう
あれやこれや屁理屈を聞くのはあまり楽しいことではないですが、それでも自分の気持ちを言葉にして伝えた方がいい場面もあります。
日本人は特に自分の気持ちを押し殺して、周りに合わせてしまいがちです。
しかし、信頼している人ほど悩みがある時ははっきり言葉にして伝えて欲しいと思いませんか?
「その口」の持ち主は自分です。
ある意味一番自分を信頼しているのは自分ですよね。
「その口からだったら聴いてやらんでもなかった」は自分の気持ちを正直に言葉にして欲しかったという気持ちが表れています。
人に相談するだけで気持ちが楽になることってありますよね。
「その方が今よりずっと救われたろう」というのはまさにそういうことです。
節操もない闇をなぞらえて輪郭を持ったその足で
いくら歩いて道を成したって 結局孤独だろう
まどろみさえも恐怖するような夜がこの世にあることを
まだ知らなかった気付けなかった俺が、俺が悪かったのか
「結局孤独だろう」という部分が2番の総意ではないでしょうか。
成功者は華々しい生活を送っているように見えますが、実は誰にも内心を打ち明けられないという悩みを抱えているという話をよく聞きます。
日食なつこさんはそれを悟っているようですね。
「まどろみさえも恐怖するような夜」は孤独なひとりぼっちの夜のことではないでしょうか。
何もしていないぜ、ただ歩いていただけ
先をゆく俺が気に食わなかったってんなら
そうだったなら
なぁ、そうだったなら
SNSの発達のせいか、最近は少しでも目立つようなことがあれば集団で徹底的に叩くという風潮があるように感じます。
今まで誰もやったことがないようなことに挑戦する人に対しても、心ない言葉を投げる人がたくさんいます。
ただ「先をゆく俺が気に食わなかった」という理由だけで非難する人への怒りや絶望が渦巻いた感情に震える様子が
「そうだったなら
なぁ、そうだったなら」から伺えますね。
曲のアレンジからも静けさの中の不穏さが感じ取ることができます。
「俺」と「僕」の違い
血色の悪い真っ青な手とひび割れそうな真っ赤な手が
ようやく手繰った明日でも何でも奪っていけば良かったろ
それでも i や虚ろにばっか夢中になった俺のこと
邪魔もしないで何も言わないでお前は、お前は、
血色の悪い真っ青な手とひび割れそうな真っ赤な手で
いくら限りなく強くなったって、なんかダメらしいよ
それでも i や虚ろのせいで歪みくさったあの夏を
否定できなかった捨てられなかった俺が、俺が、僕が馬鹿だったのさ
大サビは今までと比べ、感情が露わな表現が多くなっています。
「ようやく手繰った明日でも何でも奪っていけば良かったろ」は分かりやすい例の一つで、奪うという強引な手段を用いてでも、自分の気持ちに正直に行動すれば良かったのにという本音が爽快なまでに描かれていますね。
しかし、実際は「邪魔もしないで何も言わない」スタンスを貫いたもう一人の自分に対して、とうとう実際に詰め寄っているのがこの大サビでもあります。
1番や2番では呟きや嘆きのような独り言が多かったのですが、大サビでは『自分』と『もう一人の自分』の間のすれ違いによる衝突がはっきり見て取れますよね。
これが最後の一文にだけ出てくる「僕」に繋がります。
ここまで主人公の一人称はずっと「俺」でしたが、最後に一度だけ「僕」が唐突に出てくるのです。
「俺」は自分であり、「僕」はもう一人の自分を指していると思われます。
また、最後の一文だけ「俺」と「僕」が混在しています。
大サビの中で二人の自分が衝突したことによって、距離が縮まり、二つの存在が近くなったことを表しているとポジティブに解釈することで、どこかハッピーエンドさも感じますよね。

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さいごに
ラストだけが「俺」ではなく「僕」である理由、お分かりいただけたでしょうか。
日食なつこさんの曲はどれもリスナーの心に突き刺さるようなものばかりです。
大人も自分の気持ちにもっと正直になっていいんだと思えますよね。
√-1という難しそうなテーマから、これだけ身近な感情について歌える日食なつこさんの感性を天才と呼ばずにはいられません。
今後の活躍にもますます目が離せません。