今回は、大人気アーティスト・米津玄師さんの新曲「POP SONG」の歌詞を考察していきたいと思います。
PlayStationの新CM『遊びのない世界なんて|Play Has No Limits』のCMソングとして起用されているこの楽曲。
米津さんらしい遊び心が詰まった作品になっています。
CMの内容なども合わせて見ていきましょう!
PlayStation新CM『遊びのない世界なんて|Play Has No Limits』
1月23日に公開された新CM。
PlayStationの合言葉『1・2・3』にちなみ、1月23日0時より、PlayStation5とPlayStation4を起動したユーザーに向けてCMの先行配信をランダムで送信。
PlayStationの記念日に、多くのユーザーが一斉に起動する一大イベントになりました。
また、アーティストの新曲がPlayStationの中で初解禁されるという試みは日本国内初。
米津さんの音楽史にまた一つ偉業が追加されましたね!
米津さんは、CMソングだけでなく、アイデアやキャラクターデザインなど、コンセプトを決める部分から参加。
「変身する」というアイデアを出した米津さん。
CM映像では集まった兵士の中で、一人の兵士が米津さん演じるキャラクターに変身、他の兵士を翻弄する姿が映し出されます。
細部まで作り込まれたCMは、映画のワンシーンのように迫力のあるものになっていますので是非一度ご覧ください!
POP SONG 歌詞考察
歌詞の考察をする前に、タイトル「POP SONG」について考えていきたいと思います。
米津玄師さんは、自身の楽曲に幾重もの意味や想いを込めているアーティストとして有名です。
毎度考察が大変なのですが笑
もちろんPlayStationのCMソングとして作られたこの楽曲にも、たくさんの意味が込められています。
「POP SONG」というタイトルも略して読めば「PlayStation」の略と同じ「PS」に。
「POP」という単語自体にも、飛び出すという意味があり、「ゲーム内で敵キャラが飛び出してくる」という意味が込められているという考察も見られました。
MVでは、城内広場に集結した兵士の一人が米津さん扮する悪魔のようなキャラクターに変身する場面が描かれます。
兵士の頭に当たったのは、PlayStation5のコントローラーのような石。
変身中の光からも「△◯✕□」のPlayStationマークが出ていることから、この悪魔がPlayStationの象徴であると考えられます。
悪魔のタイツもSONYのイメージカラー青色です。
色に注目して考えると、米津さんが対峙する兵士のカラーは赤色。
これは、PlayStationと対をなす国民的ゲーム会社・任天堂のカラーとして有名です。
考えすぎかもしれませんが、数多くいる任天堂の兵士にSONYが闘いを挑んでいるという構図にも捉えることが出来ます。
続いて歌詞を見ていきましょう。
この楽曲は、人生に絶望した主人公が愛を求めて彷徨う様子が描かれていると感じました。
「ちゃらけた愛を歌ってるべイビー」とは、路上ライブでラブソングを披露している人のことでしょうか?
安っぽい愛の言葉を聴いていても、自分のもとには幸せなんて訪れない。
愛されたいと願っているのに、天邪鬼な性格の主人公は、余計なことばかり言ってチャンスをふいにしているのでしょう。
誰にも相手にされない主人公の孤独感が伝わってきました。
ふと街を見渡すと、幸せそうな顔をして歩くカップルや夫婦が目に入ります。
「どうしちゃったの皆」「そんな面で見んな」と韻を踏んで、卑屈になっている様子が描かれています。
「喧々諤々」とは、多くの意見が飛び交い、口やかましいという意味です。
どれだけ愛し合っていても、喧嘩や意見の食い違いは出てきてしまいますよね。
そんなリスクを犯してまで、二人でいるメリットなんて無いじゃないか、一人のほうが楽だよと開き直っているように感じました。
周りの人からは雨が降っていて寂しそうと思われていても、自分はとても晴れやかな気持ち。
心の奥では寂しさを感じている主人公ですが、一人は気楽で良いと強がっているように感じました。
「あーりんりんらんらんあっぱっぱらぱー」という歌詞からも、主人公が半ばやけくそになっている様子が伝わってきます。
ここで、主人公以外の登場人物「君」が登場します。
前半の歌詞で、あれだけ恋愛はまともじゃないと批判していた主人公ですが、君に出会ったことで、もう一度チャレンジしてみようという希望が生まれたようです。
「123で」という歌詞からも、恋愛を拒絶してきた主人公が勇気を出して自分の想いを伝えている様子がわかりますね。
これからは二人で「もう一生遊ぼうぜ」。
ゲームのように遊んで楽しく過ごしたいという主人公の願いが込められています。
「準備してきたもの全てばら撒いて」とは、これまでの人生の中で培ってきた経験や想いを全て使って、君に想いを伝えようという意味が込められているのではないでしょうか?
まさに一世一代の告白を表しているように感じました。
しかし、「どうせ何もかも 全部くだらねえ」と全てを否定している主人公。
「くだらねえ」というキーワードはこの後も出てきますが、主人公は自分の人生なんて一過性のちっぽけなもので何をしてもあまり意味がないと、達観しているようです。
したがって、君との恋愛も輪廻転生のサイクルで見るとくだらない小さな出来事だと、歌っているのではないでしょうか?
米津さんの曲に見られる、人生なんて儚いものだという死生観が表れているように感じました。
後半では、主人公の本音が語られます。
「レイディ」は、君を中心として女性全体を指しているのでしょう。
真剣な愛の物語を作りたいのではなく「だらけた恋がしたい」、モラリスト(道徳的な人)が呆れるような、だらけた適当な恋がしたい。
なぜなら、人の人生はちっぽけで儚いものだから。
「フライバイ」とは、専門用語で探査機が惑星や衛生の近くを通過すること。
「猫足のバスタブでフライバイ」というふざけたシチュエーションで、深刻に捉えずに楽しく人生を生きていこうというメッセージを投げかけているように感じました。
「ビビデバビデブー」は、ディズニー映画『シンデレラ』で有名な魔法ですね。
みすぼらしい格好のシンデレラが一瞬にしてキレイなお嬢様に変身する素敵な魔法。
人生はちっぽけだけど、何にでもなることができるという希望を表しているのでしょうか?
MVがで米津さんが変身するシーンを表しているようにも感じます。
これまでの主人公の人生。
全てが遊びのように夢中になって生きてきた主人公ですが、そんな人生が「くだらねえ」と感じる心は変わりません。
ただ、そんな異常にくだらねえストーリーの中で、自分に向けた愛の歌を歌って欲しいとお願いしているのでしょうか?
冒頭のチープなラブソングと通じる歌詞ですね。
主人公は、儚く一瞬の人生の中で一生懸命に恋をして、幸せを感じている人々を「どうかしてる」と一蹴します。
世間一般の流れに「ちょっとついていけない」。
くだらない人生にそこまで本気になれる奴の気が知れないと、蔑んでいるのでしょうか?
人の恋愛は理解できないけど、「君だけの歌」を歌って欲しい。
少しわがままな主人公の性格が読み取れます。
自分の思い描いていた、遊びまくる人生。
「素晴らしいほど馬鹿馬鹿しい」人生でも、主人公にとっては理想の世界です。
「君は誰だ 教えてくれよ どうせ何もないだろう?」と周囲の人に呼びかける主人公。
これは、主人公のように確固たる目的・欲望(一生遊びたい)を持たずに、ただ漫然と過ごしている人達に向けたメッセージだと感じました。
くだらない人生でも、何もしなければもっとくだらない人生になってしまう。
自分とは何なのか?何をしたいのか?と問いかけ続け、くだらない人生も楽しんでいこうという、少し哲学的な呼びかけを表現しているように思います。
自分の好きなことをやりたい放題遊びまくる人生。
「喧しいこと甚だしい」ですが、この自分の欲望に正面から向き合う人生こそ、「価値のある人生」なのではないでしょうか?
儚い人生の中で出会った君という存在。
「誰でもいいけど君がいいんだよ」という歌詞から、くだらないと言いつつ君のことを愛している主人公の心が読み取れますね。
ラストはこの曲のキーワード「くだらねえ」でしめられます。
いろいろ考えていても、結局いつか消えてしまう、くだらねえ人生だ。
でも希望を持って前向きに生きていこうという想いが込められているように感じました。
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さいごに
いかがでしたか?
今回の考察では、歌詞のみに注目して考えていきました。
難解すぎて、分かりづらい部分も多いかと思いますが、1つの考えとして見ていただければ幸いです。
J-POPを代表するアーティストになった米津さんが自分の思い通りに作り出した曲が、この「POP SONG」なのかもしれませんね。