ミレパことmillennium parade(ミレニアムパレード)のデジタルシングル「Philip」(フィリップ、2020年10月)の歌詞の意味を考察します。
「adidas CASUAL Collection 2020 Fall/Winter」のウェブCMソングに起用された楽曲。
俳優の中野裕太さんが作詞、常田大希さんが作曲した「Philip」の歌詞を紐解きましょう。
Philip 歌詞考察!
原曲「Stem」との関連性

雨が降っていたんだね
世界がすっかりキレイになった
そよ風が通り過ぎる
俺たちは空にいる
「Philip」はKing Gnu(キングヌー)の前身バンドSrv.Vinci(サーバ・ヴィンチ)やミレパの前身Daiki Tsuneta Millennium Parade(DTMP)名義で放たれた「Stem」(2014年6月)のリメイクです。
その前の2013年に中野裕太さん、弟で作曲家&ピアニストの中野公揮さん、常田さんの3人でGas Lawとして活動していた流れもあります。
原曲「Stem」もリメイク「Philip」も裕太さんが作詞・ラップ、常田さんが作曲・ボーカルという点は同じですが、歌詞もサウンドもかなり変わりました。
常田さんが裕太さんのことを「ポエティック兄さん」と称するだけあり、どっぷり詩的な歌詞です。
その世界観に入り込んでいきましょう。
冒頭のサビは計4回繰り返される、常田さんのボーカルパート。
「雨が止み、そよ風が吹く、浄化された世界」が描かれていますが、「俺たち」とは誰なのか、なぜ「空にいる」のかが気になります。

うん、ノイズの枝が伸びすぎて、
空が暗くなってきた。
けど、君は忘れていいよ。要塞で回ってるルーレットのこと、
その銃眼から見ている景色のこと。
「まわりが騒がしくなってきたけれど、君にはルーレットや銃にまつわる世界のことは忘れてほしい」といった内容です。
特殊な組織に関わる「俺」のまわりで問題が起きたものの、「君」には気にしてほしくないといった優しさが垣間見えます。

別のフィクションを産み出す争いの中、
「誰が勝った?」「そいつは何を勝ち取った?」ってことばかり。
けど、俺は抜けるよ。俺が、恐怖の茎を切り落としておく。「勝ち負け」のためなんかじゃなく、
小川のそばに俺たちがいられるように——
一日中、俺たちはその水面を眺める。
小石を投げ込むと、
そこに沢山の輪っかが広がっていく。
小石たちは下へと沈んで、無名になって、静寂に包まれる。
それはほぼ科学的で、このバランスを、平和と呼ぶのさ!
「勝ち負け」のための「争い」が続いているけれど、その連鎖を断ち切るために、「俺」は「争い」や特殊な組織から「抜ける」、「恐怖の茎(Stem)を切り落とす」、という宣言です。
「俺たち」とは「俺と君」のことでした。
「俺」は「争い」の世界から離れて、「君」と「平和」に暮らしたいのでしょう。

輪っかが広がって、俺たちの近くの人たちに優しく触れているよ。
今度はその人たちが、彼らの近くにいる 他の人たちのために石を投げ込んでいる。ね?君は起きててなくていいんだ。
もう、寝なよ
「俺」が望んでいるのは「平和の輪が優しく広がる」こと。
しかし「君」が眠った後、「俺」は「争いから抜けるために、恐怖の茎を切り落とす(諸悪の根源を断ち切る)」のでしょう。
歌詞では具体的には表現されていませんが、MVに照らし合わせると「組織から抜けるために、ボスを倒す」という話になります。
この後、冒頭のサビが繰り返されますが、物語が進むにつれ、意味合いも深まっていくのではないでしょうか。
俺が変わったのは君のおかげ

水はより冷たく、フルーツはより甘く、
そよ風はより軽やかに感じる。
君は、それぞれ自身が変化したんだと思ってるだろうけど、
ううん、そいつらをひっくり返したのは君なんだ。
君の中のあの自由がひっくり返って、外に出てきたのさ!
「自由」な「君」のおかげで「俺」は変わった(組織を抜ける決意をした)と感謝しています。
それまでは「水の冷たさ」など、ありのままの自然を感じることさえなかったようです。

今、ノイズの枝がすべて緑で覆われている。
そよ風が枝を揺らして、フルーツは彼らの足元に落ちる。
(俺たちはいつもフィクションに踊らされていた。
それはさらなる窮乏による死に つながっていたかもしれない。)
組織と決別するための「争い」で、「俺」は敵に囲まれた状態。
「平和や自由」を求めて行動に出たものの、味方の「フィクション」(作り話)にだまされて、敵に有利な状況になったと解釈できそうです。
要するに「俺」は敵の銃弾に倒れたのでしょう。
それなのに「だまされたのが俺で良かった。俺が食い止めなければ、もっとたくさんの人が亡くなったかもしれない」と強がっているようです。

これ以上は暗くならないさ。
俺、ずっと小川のほとりで植物の手入れをしてたんだ。
ここではね、昔、兵隊さんが休んでいた。
彼はずぶ濡れで、すごく疲れていた。
もう十分なほど血を流してきたってわけなのさ!
だから彼は、武器を手放して服を脱いだ。
そして、それらを木の根元に放って、
重力に逆らって飛び上がった。
まるで朝日のように彼は燃えて、上へと——
目の前が真っ暗になり、走馬燈のように思い出が駆け巡ります。
「俺」が語る「兵隊さん」の話は、まさに今の「俺」そのもの。
「じゅうぶん戦ったから飛び上がる」という展開です。
この後に続くサビの「空にいる」理由もわかってきましたね。

フィリップは息子!

そうだ、俺は蘇った!
心が両足を地面から離して、
俺は嵐をくぐり抜けた。
ノイズ、銃眼から漏れ出てくるカオス、ペーソスに襲われながら、
大虐殺に耐えた後!
俺は物語を過剰摂取して、ハーデース(ギリシャ神話の冥府の神)に変身していた。
純血、混血が争いを繰り返していた。
嵐が弱まり、その目が俺の頭上に現れるまで。
俺たちが沢山の血を流してしまった後、そいつは俺を見たんだ!
「フィクションに踊らされている」という伏線を回収するかのごとく、「物語」の中へと「過剰」に入り込んでいきます。
「争い」は「純潔」と「混血」の対立構造によるもの。
混沌(カオス)とした哀愁(ペーソス)ただよう銃撃戦の果てに、「俺」は亡くなりました。
それを「俺は蘇り、あの世(冥府)の神に変身した」と表現しているところが「ギリシャ神話」的です。

ああ、あの静けさ!希望!
空のでっかい穴に向かって俺は、全速力で飛び上がった。
そして、黒い宇宙に到着した。上も下もない場所に。
風も吹いていなかった。
だから俺はようやく翼を解体した——
ただの昔話さ。
亡くなるときにどのような体験をするのかについては誰にもわかりませんが、もしかしたらブラックホールに吸い込まれるような感覚なのかもしれませんね。
無(黒い宇宙)に帰ると上下もないので、これ以上「飛び上がる」ための「翼」も必要ないという結末でした。
壮大な流れでしたが、これは歌物語の主人公が語った「昔話」というオチです。

そろそろ戻る時間。
ほら、朝だよ。露が転がる。
世界がすっかりキレイになった。行けよ、フィリップ。君の好きなように。
全部大丈夫さ。
最後に4回目のサビが繰り返されますが、諸悪の根源(Stem)は「俺」が切り落としたから浄化されて「大丈夫」だよ、「フィリップ」という話でした。
「俺」が「フィリップ」ではなかったと最後に明かされるところも物語的。
MVでわかりやすく表現されていますが、歌物語の語り手「俺」は父親、「君」は母親、「フィリップ」は息子です。
「俺」自身は亡くなったものの、「争い」の連鎖は断ち切られ、「平和や自由の輪」は広がり、子供の「フィリップ」に受け継がれました。
世の中には大変なことがさまざまありますが、「好きなように生きれば大丈夫」とギリシャ神話の神様に言われたような安心感に包まれますね。

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さいごに
リメイクされた「Philip」は原曲「Stem」を切り落として成立した子供と解釈してみるのもおもしろいでしょう。
その「Philip」では石若駿さんがドラムとシンベ、WONKの江﨑文武さんがローズピアノなどの鍵盤、常田さんの兄・常田俊太郎さんがバイオリンを演奏しています。
ミレパには付き合いの長い極上の音楽家たちがそろっているので、それぞれの活動を追ったり、過去曲を掘り下げたり、「Philip」をきっかけに楽しんでみてはいかがでしょうか。