今回は、Mrs. GREEN APPLEの新曲「Part of me」の歌詞を考察していきたいと思います。
フェーズ2に入ってからのミニアルバム『Unity』に収録されている本楽曲。
歌詞にはどんな想いが込められているのでしょうか?
早速見ていきましょう!

Part of me 歌詞考察
タイトル「Part of me」は、「私の一部」という意味を持っています。
インタビューでは、ミセス史上初めて歌詞が完成せずに、レコーディングスケジュールを飛ばした曲だと明かされていました。
書かなければならない題材が大きすぎて、大森さんのメンタルがやられるのが先か、曲が完成するのが先かというサバイバルゲームのような極限の状態で制作された楽曲だそうです。
そのことを念頭に置いて、歌詞を見ていきましょう。
本当に僕が消えるその日まで
君にたくさん伝えておきたいんだ
誰にも言えない古傷が痛んだら
決して気づかないふりをしちゃいけないからね大切なものが増えてゆく
このままね
離したくないのに
冒頭で歌われるのは、自らの “死” について。
寿命が尽き、自らの人生が終わる日は必ずやってきます。
ただ、”本当に” と前置きがあることから、肉体的な死が、そのまま ”消える日” ではないと感じました。
後の歌詞でも根拠が出てくるのですが、この楽曲を書いた大森さんは、周りの人が自分の存在を忘れてしまったその時こそ、本当に消える日がやってくるのだと、考えているのではないでしょうか?
この世を去ってしまった後も、人々の心の中で生き続ける。
より長く、より多くの人に覚えておいてもらえるように、”君にたくさん伝えておきたいんだ”
”誰にも言えない古傷” とは、文字通り、一人で抱え込んでいる過去を指していると思われます。
自分が本当に消える日について考えていく中で、過去の古傷が傷んでいることに気がついたのではないでしょうか?
もう戻れない過去の出来事を後悔している様子が伝わってきます。
”決して気づかないふりをしちゃいけないからね”
自身の後悔にしっかりと向き合おうという決意が読み取れます。
”大切なものが増えてゆく このままね 離したくないのに”
人生の中で、たくさんの出会いを経験します。
大森さんを主人公として考えると、ミセスのメンバーとの出会いであり、ミセスの活動を通したファンとの出会いでしょう。
その出会いは、大森さんにとって手放したくない大切な宝物です。
離したくないけど、いずれ必ず訪れる “死” によって、別れなければならない。
自分が居なくなってしまう現実を受け入れられない様子が伝わってきます。
形在る総ては
いつかは必ず亡くなるみたい
出遇えた歓びも
いつかは薄れて消えてゆくらしい
とてもじゃないけれど
僕にはどうしても耐えられそうにはない
ミセスの楽曲では、これまでも形あるモノが、いつかは滅びるという諸行無常の考えが歌われてきました。
「無くなる」が、”亡くなる” と描かれていることからも、死を明確に意識していることが分かります。
大切な人と出会えた喜びもいつかは薄れていく。
ここで注目したいのが “出遇えた” という表現。
「であう」には「出会う」「出逢う」「出遭う」など、多くの漢字がありますが、今回使われている “出遇う” には、偶然・思いがけないという意味が込められています。
大森さんが、人との出遇いを、かけがえのないものとして大切に扱っている想いが表現されているように感じました。
そんな運命的な出遇いや、形のある宝物が亡くなってしまうことに、耐えられそうもない。
”死” への恐怖が赤裸々に表現されています。
死ぬことへの恐怖というよりも、死んでしまって大切なものと離れてしまうことへの恐怖の方が大きいようですね。
遠く離れてもここに居るよ
誰かが君を忘れても
僕は何処へも行かないよ。本当だよ。
君が忘れる日が来るまで僕は生き続けるよ
自身が亡くなってしまった後のことが歌われています。
身体は遠く離れてしまっても ”ここに居るよ”
君が覚えていてくれる限り、君の心のなかで生き続けるよ、というメッセージが込められています。
たとえ、君が誰かに忘れられてしまったとしても、君の心の中にいる僕は、君のことを忘れない。
相手を想う気持ちが双方向であることが分かりますね。
“君が忘れる日が来るまで僕は生き続けるよ”
この歌詞からも、冒頭の “本当に僕が消えるその日” = 存在を忘れられた日 であることが分かりますね。
壊れたこの羽で
泣いてる君の元へ飛んでゆこう
僕はこの砦で
誰か来てくれるのを待っている
とてもじゃないけれど
寂しくてどうしても耐えられそうにはない
”壊れたこの羽” という歌詞から、大森さん本人も苦しい状況にあることが伺えます。
それでも、大切な君が泣いているのなら、一目散に駆けつけよう。
大森さんにとって、出偶えた “君” の存在が、いかに大きなものであるかが分かりますね。
君が辛い状況にいるなら、すぐに飛んでゆこうと歌われていますが、大森さん自身もまた、辛い状況にいるのではないでしょうか?
“僕はこの砦で 誰か来てくれるのを待っている”
自分と同じように誰かが壊れかけの羽で助けに来てくれるのを一人で待っている様子が浮かんできます。
曲を書いている大森さんも、辛い人を助けるスーパーマンではなく、この曲を聴いている皆と同じ、一人の人間なんだという想いが込められているように感じました。
人はもうこの大地で
数えきれない
嘘や偽善の澱みを観てきた
心を見せられないけど
「誰かに愛されたい」
今、私達が生きている世界について歌われています。
生きるなかで、数え切れないほどの “嘘や偽善の澱みを観てきた” 私達。
自分を守るため、知らないうちに心を閉ざしていることが “心を見せられないけど” という歌詞から読み取れます。
”心を見せられないけど 「誰かに愛されたい」”
この「誰かに愛されない」という想いこそ、一つ前に歌詞で、君が泣いている理由、大森さんが砦で独り待っている理由なのではないでしょうか?
嘘や偽善が蔓延る世界では、気軽に心を許すことは出来ないけど、それでも「誰かに愛されたい」自分を好きで居て欲しい。
そんな現代を生きる人が抱えている矛盾する想いについて歌われているような気がしました。
疲れたこの脚で
どこまで歩けるか試してみたい
あの川のほとりで
汚れた体を洗い流して
曲という救いで、多くの人に寄り添い、駆け寄り、ボロボロになったこの脚で、どこまで歩けるか試してみたい。
つまり、これからも自分の生きた証である「音楽」を届け続けたい、という想いが歌われています。
前述したインタビューでは、この曲にメンタルを持っていかれるあまり、レーベルの人に付き添ってもらって曲を制作したそうです。
水も飲まずに、極限状態で書き上げた楽曲は、まさに渾身の一曲ですね。
まずは川のほとりで、体の汚れを落とし、再び曲を届けるために歩き出そうという決意が歌われているように感じました。
いつかは亡くなって
誰かの一部になれなかったとしても
今日のこの倖せだけは
何にも変えられない奇跡だと
素直に思える僕が居る
悲しみの果てに何が待ってる?あの橋の向こうで 君を待ってる
いつか必ずやってくる ”死”
亡くなった後も、誰かの記憶に残り続けることで、その人の心の中で生き続けることができます。
自分たちの音楽が、曲を聴く誰かの一部として、残り続けていって欲しいという願いが込められているように思います。
たとえ、これから先の音楽が ”誰かの一部になれなかったとしても” 、今のこの気持ちだけは、奪うことは出来ない。
「Part of me」の中で歌った ”死” への想い、これからも曲を届け続けるという決意は、死んだ後も薄れることのない記憶として、自分の中に刻み込まれています。
”あの橋の向こうで 君を待ってる”
ラストの一節は、自分の死後を描いているのではないでしょうか?
三途の川や、ステュクスの川にある橋の向こう側 = あの世で、先に行って君を待っている。
もし自分が死んでも悲しむ必要はないんだという、残された人への想いが歌われているように感じました。

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さいごに
いかがでしたか?
大森さんの死生観が色濃く反映された「Part of me」
フェーズ2は始まったばかりですが、これからの活躍からも目が離せません。
冒頭でお話しましたが「Part of me」=「私の一部」という意味です。
この曲自体に、私(大森さん)の一部を詰め込んだという考えも出来ますが、逆に、「この曲を聴く人こそが、私の一部なんだ」という想いが込められているのではないでしょうか?
この曲を聴いて、大森元貴という人、Mrs. GREEN APPLEというグループを覚えていてくれる人がいる限り、その心の中で生き続ける。
曲のメッセージから考えると、今この曲を聴いている貴方こそが、私の一部になっているんだと呼びかけているように感じました。