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Never Ending World【SEKAI NO OWARI】歌詞の意味を考察!ほぼセルフタイトルのデビュー曲!終わらない世界で手を繋ごう

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セカオワことSEKAI NO OWARI「Never Ending World」の歌詞の意味を考察します。

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Never Ending World 歌詞考察

伝えたいのは愛

「人」と描いて他人という意味の
この国はヒトを恐れて生きてきた
けれど「人」の「間」にあるものは
不安や恐れじゃなくて
愛だと子供たちに「教え」たい

出典:Never Ending World / 作詞:深瀬慧 作曲:藤崎彩織

「Never Ending World」は、トリプルA面のメジャーデビューシングル「INORI」(2011年8月17日)の収録曲。

「SEKAI NO OWARI-SEKAOWA=INORI」つまり「バンド名-略称:セカオワ=3曲全体のタイトル」になっていて、そのうちの1曲「Never Ending World」(終わらない世界)は、バンド名を補完する「ほぼセルフタイトル」とのこと。

東日本大震災(2011年3月11日)直後に制作された楽曲で、歌詞にも震災後の状況が反映されています。

「人、他人、ヒト、人間」は同じ存在をあらわしますが、表記の違いによって微妙にニュアンスが変わるかもしれません。

大規模な自然災害が発生したとき、被害を受けた人にも、被害を受けなかった人にもそれぞれ心境の違いがあるでしょう。

セカオワのメンバーたちは被害を受けず、泥かきのボランティアに参加しました。

おそらく「他人事とは思えない」と感じたのではないでしょうか。

また、ミュージシャンとして「不安や恐れ」ではなく、「愛」を伝えることが大切だと感じたように思われます。

「何か」が終わってしまったけれど
それは同時に「何か」が始まって
「始まり」はいつでも怖いけれど
だからこそ「僕ら」は手を繋ごう
We are with you

出典:Never Ending World / 作詞:深瀬慧 作曲:藤崎彩織

バンド名には「世界の終わりから始めてみよう」という意味が込められていて、「終わり」と始まり」が表裏一体であることが表現されています。

インディーズ時代の「終わり」とメジャーシーンでの「始まり」が重なるタイミングでもあり、メンバー同士、あるいはメンバーとリスナーで「手を繋ごう」と呼びかけているようです。

もちろん、震災後の人間同士の絆もあらわしているでしょう。

あえて「何か」と抽象的に表現されているので、時代の流れと共にさまざまな出来事をあてはめることもできます。

いずれにしても「(自分の世界が)終わった」と感じるほど絶望的なことがあっても、それは新たな「始まり」でもあるので、「手を繋ごう、共にある」と呼びかけてくれる仲間がいることが心強いのではないでしょうか。

儚い夢とは?

「人」の「為」と描いて偽りだと
僕らはいつでも主張してきた
けれど本当の気持ちはいつだって
迷い間違え、とりつくろって
偽りから始まるんだ

出典:Never Ending World / 作詞:深瀬慧 作曲:藤崎彩織

「人(にんべん)+為(ため)=偽り(いつわり)」という話です。

「人の為にする行為が偽善かどうか?」についてはケースバイケースでもあり、意見が分かれるところでしょう。

たとえばボランティアは基本的に「人の為にする行為」と考えられますが、「他人事とは思えないので自分の為にしている」と「主張」することも可能です。

音楽活動も、リスナーがいなければ成立しない点では「人の為」かもしれませんが、「自分の為」にしていると考えるミュージシャンもいるでしょう。

ともあれ「偽善的だとしても、人の為になるかどうか悩むところから始まる」と解釈できそうです。

「何か」が終わってしまったけれど
それは同時に「何か」が始まって
僕らは「出来る事」が皆違うから
だからこそ「僕ら」は手を繋ごう
We are with you?

出典:Never Ending World / 作詞:深瀬慧 作曲:藤崎彩織

「出来る事が違う」というメッセージに勇気づけられる人もいるでしょう。

とくに自然災害はいつどこで起きるかわからないものなので、繰り返されるたびに他人事とは思えないほど心配になるはず。

とはいえ「人の為になるボランティア」に参加できる人もいれば、「祈ることしかできない」という人もいるでしょう。

「自分の為にならない他人事は無関係」と感じる人は「僕ら」には含まれないかもしれませんが、「祈ることしかできない」タイプの人は「共にある」と「手を繋ぐ」ことができるのではないでしょうか。

「何か」が終わってしまったけれど
それは同時に「何か」が始まって
「終わり」はいつでも悲しいけれど
だからこそ「僕ら」は手を繋ごう

出典:Never Ending World / 作詞:深瀬慧 作曲:藤崎彩織

1番では「始まりは怖い」と表現されていましたが、2番では「終わりは悲しい」になりました。

「何か」は「出来事」かもしれませんし、「命」など、さまざまに想像することができます。

身近な人の死も含め、何度も「終わり」と「始まり」を経験するのが人生なのかもしれません。

「怖い、悲しい」といったネガティブな感情にとらわれるときこそ、孤立せず、「手を繋ぐ=協力する、助け合う、温もりを伝える」必要がありそうです。

「手を繋ぐ」ことによって、「悲しい終わりに押しつぶされることがないように」という祈りが届き、「怖い始まり」だとしても続きのある「終わらない世界」だと伝わるのではないでしょうか。

「僕ら」の「夢」が儚いと言われようとも
それを止める理由にはならない
もしもソレが嘘や偽りだとしても
ソレが「真実」に変わるまで
僕らは謳う

出典:Never Ending World / 作詞:深瀬慧 作曲:藤崎彩織

「人(にんべん)+夢=儚い(はかない)」という話です。

「夢=それ、ソレ」は「音楽」かもしれませんし、「手を繋ごう」という呼びかけ、「愛」なども当てはまるでしょう。

「音楽で繋がろう」という「夢」が「儚い偽り」だとしても、「僕らは愛を謳う(うたう)=主張する」という結末でした。

セカオワは音楽をとおして、不安や恐れではなく、愛を伝えたい」とまとめることができそうです。

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さいごに

「人と描いて~、人の間にあるものは~、子供たちに教えたい」といった歌詞があるので、もしかしたらドラマ「3年B組金八先生」(1979年~2011年)へのオマージュにもなっているのかもしれないと考えるのは深読みのしすぎでしょうか。

ちなみに「ファイナル」の放送日は2011年3月27日でした。

これもひとつの「終わり」といえるでしょうか。

いずれにしても東日本大震災からのさらなる復興をお祈りします。

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