今回はYouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」でも取り上げられ話題になった、ダンスロックバンドDISH//(ディッシュ)の代表曲「猫」の歌詞について考察していきます!
※映画「君の膵臓をたべたい」のネタバレを含みます。
ボーカルは北村匠海?ダンスロックバンドDISH//とは?
DISH//は2011年に結成されたバンドです。
演奏しながらダンスをするこれまでにないスタイルのダンスロックバンドとして活動しています。
グループ名のDISH//は「みんなのメインディッシュになりたい」という思いで名付けられました。
ライブ中メンバーが客席に向かって紙皿を投げるパフォーマンスも印象的です!
メンバーは俳優としても活動しており、中でもリーダーの北村匠海さんは、最近の映画・ドラマで主演を務めるほどの人気です。
DISH//の「猫」ってどんな曲?
「猫」はシンガーソングライターのあいみょんさんが楽曲を提供、2017年にDISH//の10thシングル「僕たちがやりました」のカップリング曲としてリリースされました。
YouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」で初の1億回再生突破作品として話題になりました!
あいみょんさんの6枚目シングルにもセルフカバーとして収録されています。
あいみょんさんはこの曲についてインタビューでこう語っています。
「猫」のときは北村匠海という人間よりに書こうかなって考えてて。
当時はまだ19歳だったから、男の子と男性の間な感じがしたんですね。
これからだんだんと大人の男性に向かっていくというタイミングだったので、それをうまいこと表現できたらなって思ってました。
男の子と男性の中間、大人になりきれていない男の子の複雑な感情をうまく表現できるあいみょんさんはすごすぎます!
また、北村さんは同インタビューで「猫」はあいみょんさんが、北村さん主演の映画「君の膵臓をたべたい」を見て、インスピレーションを受けた曲であることも明かしており、映画のストーリーとの関連性も気になります!
男の子と男性の間の中途半端で不安定な主人公と、タイトルの「猫」のように気まぐれな彼女に注目して考察していきましょう!

猫 歌詞考察
いなくなってしまった「君」

冒頭では、「君」という大切な存在を失ってしまった「僕」の姿が、あいみょんさんらしい小説的な歌詞で表現されています。
夕焼けに染まる街の鮮烈な赤色とは対象的な、彼女を失ってしまった「僕」の寂しさ。
「君」のいない明日を恐れている「僕」は、夕焼けの炎にすべて飲み込んでくれと願います。
拒んでも来てしまう明日

しかし時間は止まってくれません。
ここで「僕」は現実を見つめ直し、毎日やってくる「明日」に「ウザい」という感情を持ちます。
「君」がいない「明日」を受け入れたくないのに、眠たくなってしまう自分への呆れ笑いを表現しています。

「君」のいない現実をすぐには受け入れることのできない青年の「僕」は、君がいた昨日は幻だったんだと思いこむことで、彼女に対して未練がある自分を取り繕うとしています。
「君の顔なんて忘れてやるさ」の部分から、「僕」の強がりを読み取ることができます。
「馬鹿馬鹿しいだろ、そうだろ」と何度も自分に語りかけ、忘れようと思ってもなかなか忘れることのできないほど彼女のことが大切だったんですね。
猫になった「君」

別れから立ち直れない「頼りない僕」ですが、残酷にも時間はどんどん進みます。
彼女のことは忘れよう・戻ってきてほしいという相反する2つの気持ちを繰り返し「心と体が喧嘩して」いる日々を過ごす彼は、彼女を「猫」に例えることで、猫のように気まぐれに「フラッと現れてくれ」るのではないかという淡い期待を抱きます。

時が経ち、少し成長した「僕」は自分の心に素直に向き合うことができ、まだ若い僕らがもう一度やり直すことはできないだろうかと願います。
もしもう一度出会うことができたのなら、うまくいくのではないか?そう願っても、その願いが叶うことはありません。
なぜ「僕」は「願うだけ無駄」という判断をしたのでしょうか?
彼女はもう僕に全く気がなくて、好きなのは自分だけだということに気が付き絶望したのかもしれませんが、あいみょんさんがインスピレーションを受けたという映画「君の膵臓をたべたい」ではヒロインが亡くなってしまいます。
「僕」は「君」と死別してしまったのではないでしょうか?
そう考えると、「君」の死を受け入れられない「僕」が、彼女は猫になった(生まれ変わった)んだと自分自身に言い聞かせている歌のようにも聞こえてきますね。
薄れていく「君」との思い出

1番では彼女のことを忘れてやろうと思って歩いた帰り道でしたが、2番では時間が経って彼女のことを忘れてしまうことを恐れています。
彼女と過ごした日々を忘れないように「君が隣にいる時のまんま」のスピードでゆっくりと帰路につくのです。
彼女のことを「忘れてやるさ 馬鹿馬鹿しいだろ、そうだろ」と強がっていた子供っぽい自分を思い出し、「馬鹿にしろよ、笑えよ」と語りかけますが、返してくれる人はもういません。
彼の強烈な寂しさが伝わってくる歌詞ですね。

当たり前と思っていた日常も、失って初めてその大切さに気づきます。
君のいない日々は面白いくらいにつまらない、君のことを忘れてしまいたいと思えば思うほど、全身で君を求めてしまいます。
成長しておとなになった「僕」でも「心と体が喧嘩して」いるのはそのままなんですね。
自分に素直になった「僕」は「君」を失ってしまった辛さ・悲しみを吐き出します。
死んだなんて言わずに、声を聴かせて、慰めてと必死に叫んでいる「僕」の姿が目に浮かびます。

全てをさらけ出した「僕」は、再び子供の「僕」に戻ります。
大人になりきれない「僕」

大人の「僕」は、猫になったとしても自分の側に戻ってきてほしいと願います。
「返ってくる」ではなく「現れてほしい」の部分も彼女が亡くなってしまったことを表現しているように思います。
「僕はまた、幸せで」ラストの歌詞から大人になりきれていない「僕」の姿を見ることができます。
彼女が猫になって現れてくれることで、「僕」が幸せになれるというある意味自己中心的な考え方。
彼女を失った寂しさと、子供と大人を行き来する僕の心情がうまく表現された曲ですね。

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さいごに
いかがでしたか?
DISH//とあいみょんさん、どちらの曲も聞くことができるので、ぜひ聴き比べてみてください。
歌い手が違うことで曲全体の印象も変わって見えます。
また、「君の膵臓をたべたい」を見てから聞くとより今回の考察がしっくり来ると思うので、そちらもぜひご覧ください!
おまけ
ワンオクロックのTakaによる猫のカバー動画です!