今回は2013年の1月に発売されたサカナクションの8枚目のシングル「ミュージック」の歌詞考察をしていきます。
この曲の作詞・作曲は、サカナクションのほぼ全ての曲の作詞と作曲を行っている山口一郎さんです。
山口さんは「自分たちが音楽にどのように向き合っていくのか」を曲にしたと語っており、彼らの音楽に対する姿勢が表れた作品となっています。
そういった理由もあり、ファンからの人気もとても高い作品です。ライブで演奏される機会も多く、とても盛り上がりますよ。
それでは、歌詞の考察をしていきましょう。

ミュージック 歌詞考察
成功したアーティストとしての孤独
流れ流れ
鳥は遠くの岩が懐かしくなるのか
高く空を飛んだ誰も知らない
知らない街を見下ろし 鳥は何を思うか
淋しい僕と同じだろうか
優雅に飛んでいる鳥と、それを見上げる「僕」。
そこにあるのは知らない街。一羽だけで遠くまで飛んできました。
「高く空を飛んだ」という部分には、「僕」が鳥に感じる気高さや、手の届かない場所にいる遠さを感じられます。
離ればなれ
鳥は群れの仲間が懐かしくなるのか
高い声で鳴いた
静かな空に響く鳥の鳴き声。
それは美しい音楽ですが、同時にそこには離れてしまった群れの仲間を思う寂しさが感じられます。
高い場所に行くこと。人間社会の中では、一段ずつステップを上っていき有名になることだったり、音楽業界の中ではCDが売れて大きい会場でライブが出来るようになったり。
そういう場所に立って演奏する曲は、鳥の高い鳴き声のように人々に届くはず。
アーティストとして成功するのって、そういうことでしょ。
という考え方もあるのですけれど。
だけど音楽ってそれだけで良いのだろうか。
居心地の良い群れの中から出て、一人だけで高い場所を目指すこと。それだけでは群れからはぐれた鳥のように寂しさから逃れられないのではないか。
そんな不安が感じられる歌詞です。
痛みや傷や嘘に慣れた僕らの言葉は
疲れた川面 浮かび流れ
君が住む町で消えた
ここまでの歌詞で描かれているのは、「売れたアーティスト」であるサカナクションの側面。
痛みや傷や嘘に慣れた、そこら中にいくらでも転がっているような歌詞。それは売れた曲として人々に聴かれ、簡単に消費されつくして消えてしまう物です。
どんなに言葉を書いても、心を持った人間の言葉として誰かに届くことはない。
それは確かに、群れをはぐれた鳥と似ているのかもしれません。
一人きりで誰にも理解されない。
ひとりの人間としての孤独
濡れたままの髪で僕は眠りたい
脱ぎ捨てられた服
昨日のままだった何も言わない
言わない部屋の壁にそれは寄りかかって
だらしない僕を見ているようだ
対照的に、2番の歌詞で書かれているのは、一人の人間としてのサカナクションです。
話し相手も居ない寂しさの中で疲れきって、だらしない自分を自覚している、どこにでも居るような普通の人間。
痛みや傷や嘘に慣れた僕の独り言
疲れた夜と並び吹く風
君の頬へ触れた
そんな普通の人間が喋る、よそ行きの言葉ではない独り言。
「君の頬へ、触れた」つまり、誰かに届くのは飾り立てた言葉ではなくて、自分の本心から出た言葉でした。
(ヨルハナガレル)
触れた
(ナイテハイナイ ナイテハイナイ)
寂しさを自覚しているからこそ、他の誰かの寂しさに寄り添うことが出来ます。
先ほどの「君の頬へ触れた」というのは涙を拭う行為。心からの言葉を乗せた作品は、同じ悩みを持った誰かの心に直接触れることが出来るのではないでしょうか。
また、1番の「(カワハナガレル)」と2番の「(ヨルハナガレル)」は対応しています。
1番は社会が言葉や作品を消費するスピードの速さと、熱狂的なエネルギー。
2番は夜の闇の力強さと重さ。
どちらも一人の人間が抗うには大きすぎる力です。流れに取り残された人も、暗い片隅でうずくまる人も同じように孤独を感じる。
本当に心から出た言葉は、そんな大きな流れを飛び越えて語りかける力がある。
そのようなことを歌った歌詞ではないでしょうか。
そして、川の流れや流れる夜の孤独感に対して、頬に流れる涙は弱々しい。
流れを超える力強さと、相手の頬を拭う優しさ。
本気の言葉には、二つの相反する力の側面があります。
過ぎ去った季節を待って
思い出せなくて嫌になって
離ればなれから飛び立って
鳥も鳴いてたろ
鳴いてたろ
「泣いていた」と「鳴いていた」も実は対比でした。
大空を優雅に飛んでいたように見えた鳥も、実際には群れから離れた孤独を感じている。
鳥の鳴き声は泣き声であり、孤独を歌っていたのです。
1番では鳥を成功したアーティストに例えていましたが、ただ美しいだけの音楽なんてただの虚像。
ここまでの歌詞から、その本当の姿が浮かび上がります。
孤独を知った人間としての決意
いつだって僕らを待ってる
まだ見えないままただ待ってる
だらしなくて弱い僕だって
歌い続けるよ
続けるよ
最後の歌詞は、自分の孤独感や一人の人間としての弱さを自覚して、それでも歌い続けるという決意です。
言葉は歌詞になり、音楽になる。
孤独で弱い、他と変わらない人間だからこそ、そのことを隠さずに歌えば、音楽は同じ悩みを抱えている人にきっと届く。
まだ見えないけれど、自分の言葉を待っている人はきっといるから。

1ヶ月無料で音楽聴き放題!
通常880円/月のAmazonMusicUnlimitedが今なら1ヶ月で体験可能!
この機会に聴き放題サービスをお試ししてみよう!
いつでも解約OK!
さいごに
山口一郎さんが、自分と音楽との向き合い方を曲にした「ミュージック」。
それは、人は誰しも孤独感や弱さのような悩みを抱えているから、自分も同じだと包み隠さずに歌うことの決意表明です。
だからこそ、同じ悩みを持って世界のどこか片隅で泣いている人にも優しく届き、その涙を拭うことが出来る。
山口一郎さんはコロナ禍のインスタライブやインタビューで「夜を乗りこなす」という言葉をよく使っています。
特にこのような時代、夜の孤独感に負けないようにしてほしい。
一人では難しいならば、自分の音楽は必ずあなたに寄り添うから。
そのような姿勢を音楽として形にしたのがこの「ミュージック」です。
山口一郎さんの優しさが感じられる名曲でした。
彼らのこれからの曲にも期待したいですね。