あいみょん「マトリョーシカ」の歌詞の意味を考察します。
1stアルバム「青春のエキサイトメント」(2017年9月)の収録曲。
あいみょんが作詞・作曲、Ovall(オーバル)のギタリスト関口シンゴさんが編曲・プロデュースした「マトリョーシカ」の歌詞をチェックしましょう。

マトリョーシカ 歌詞考察
テーマは女性の二面性
あいつの全てを知り尽くし
出典:マトリューシカ / 作詞・作曲:あいみょん
尻に敷いてしまいたいわ
良い子のふりしたマトリョーシカ
2つめの顔を見せましょうか
タイトルにもなっている「マトリョーシカ」はロシアの郷土玩具で、入れ子構造になった木製の人形です。
複数の人形が入っていますが、あいみょんは「表と裏で違う顔をもつ、女性の二面性」が表現されていると捉え、自分自身を「マトリョーシカ」になぞらえた「私」の心情が描かれています。
表向きは「良い子のふり」をしている「私」ですが、本音では「あいつを尻に敷きたい」などの裏の顔があるようです。
具体的な関係性は明らかにはなっていませんが、もしたしたら「あいつの尻に敷かれている、都合のいい女性」なのかもしれません。
また、「毒気のある女性の内心」という裏の顔に対し、「知り」と「尻」、「マトリョーシカ」と「見せましょうか」で韻を踏むといった言葉遊びは、ポップな表の顔の役割を果たしているでしょう。
遠回しすぎるセリフばっかで
セルフな恋に飽き飽きして
それでも好きとか言ってしまうこと
恥ずかしいなんて思わなくなった近いうちに愛されるかな私、私
出典:マトリューシカ / 作詞・作曲:あいみょん
「建前ばかり話す、ひとりよがりの恋にうんざりしているのに、好きという本音だけは恥ずかしげもなく言えるようになった」という意味でしょう。
子育てなどの人間愛を経験すると「愛は見返りを求めず、注ぐもの」だと気づきやすくなりますが、「私」は「愛されたい」と願うあまり、自分を良く見せようとする二面性が生じて愛されにくくなる悪循環に陥っているようです。
また、「セリフ」と「セルフ」、「飽き飽き」と「好き」でも韻を踏んでいますね。
この言葉遊びは役割的には表と考えられますが、「女性の内心(裏の顔)」という歌詞の意味のほうが注目度は高いとすると、少々「遠回し」な表現で見落とされがちかもしれません。
キラキラに光る何かを追いかけて
出典:マトリューシカ / 作詞・作曲:あいみょん
私はそれでも愛されなくて
本当の自分を隠し続けてる
私はいつでもマトリョーシカ
「キラキラに光る何か」は「私が思い描く愛」、いわゆる「恋に恋する」状態ですね。
「キレイに取り繕った表の顔だけを見せておけば、美しい恋愛関係を築けるはずなのに」と思い込むのは、若さゆえの過ちかもしれません。
この先どのような「本当の自分」が現れるでしょうか。
モノでしょうか?
寝る間を惜しんで書いた手紙も
メイクも何もかもが無駄ね
殻に閉じこもったマトリョーシカ
せめて神棚に添えて欲しいわよ近いうちに愛されるかな私、私
出典:マトリューシカ / 作詞・作曲:あいみょん
「本音を隠し、建前で生きているため、手紙やメイクで取り繕っても思いは伝わらない」といったところでしょうか。
ただし、努力はしているので「神頼みが通じるように、せめて神棚に添えて欲しい」とつながります。
「書いた」と「殻」と「神棚」も、「か」から始まり、「あ段」で終わる韻のようです。
「神棚」は一般的に「マトリョーシカ」とは関連性がないので、唐突に出てきた気もしますが、後に回収される伏線なので、意味的にもなじむように韻が踏まれたのかもしれません。
ヒントになるのは「添える」という表現。
「供える」のほうがしっくりきますが、わざわざ少しずらすことで適度な違和感が醸し出されています。
キラキラに光る何かが欲しかった
出典:マトリューシカ / 作詞・作曲:あいみょん
私は一度も愛されないの?
本当のあなたも知らないままなの
私はあなたのモノでしょうか?
ようやく「私」の「本当の自分」の本音中の本音であり、楽曲全体のオチとなる「私は~モノでしょうか?」が炸裂しました。
まず意味性から考察すると、この表現自体、二面性をはらんでいます。
「あなたのモノ」を「あなたのたったひとりの本物の恋人」と肯定的に捉えることも、「あなたにとって心が通わない、モノのような存在」と否定的に解釈することもできるからです。
ただ、「神棚」がこのオチにつながる伏線だった場合、「お供え物」という言葉が連想できます。
「心が通わない、都合のいいモノにすぎないとしても、せめてお供え物くらいには丁寧に扱ってほしい」といった願いが込められているようです。
また、言葉遊びの面から考察すると、「マトリョーシカ」と「モノでしょうか」で韻を踏んでいます。
ドロドロとした内面を吹き飛ばすほど、痛快なパンチラインですね。
涙の原因は自分にもある
笑っているふりが得意になっちゃった
出典:マトリューシカ / 作詞・作曲:あいみょん
2つめの顔には青い何かが流れている
水たまりができて
溢れちゃいそうだ
溢れちゃいそうだ
溢れちゃいそうだ
作り笑いの裏で「青い涙が流れている」なら、モノ扱いする相手とは別れるべきです。
何より、「作り笑いが得意なマトリョーシカ」と自分で自分をモノ扱いしていることに気づくべきでしょう。
キラキラに光る何かを追いかけた
私は本当に愛されたかった
キラキラに光る何かを追いかけて
私はそれでも愛されなくて
本当の自分を隠し続けてる
私はいつでもマトリョーシカ
私はあなたのモノでしょうか?マトリョーシカ
出典:マトリューシカ / 作詞・作曲:あいみょん
「マトリョーシカ」と「モノでしょうか?」で締めくくられている点に着目すると、「現実的ではない幻想を抱き、受け身で作り笑いばかり浮かべるモノのような存在にはならないように」との戒めが込められているようです。
「キラキラに光る何か」や「神棚」から連想できる「お供え物」には、「白馬に乗った王子様にお姫様扱いしてもらいたい」といったシンデレラコンプレックスが感じられます。
恋人関係も、友だちや家族と同じ人間関係なので、本音と礼儀の両方が必要ということに気づけるといいですね。

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さいごに
「恋に恋する」時期は恋愛対象に過剰な幻想を抱いたり、自分を取り繕ってみたり、悩みが尽きません。
その場合、相手側に立つとか、自分を俯瞰する方法がおすすめです。
心で泣きながら、作り笑いを浮かべている人が、自分に向かってキラキラした目で見つめてきたら、どう感じるでしょうか。
それが「マトリョーシカ=モノでしょうか」状態だと気づかせてくれる歌詞でしたね。