今回は、ヨルシカの新曲である「又三郎」の歌詞考察をしていこうと思います!
6月3日放送のラジオSchool of Lockにて初解禁された本楽曲、歌詞が気になる人も多いのではないでしょうか。
それではまずはこの曲についての情報を見ていきましょう!
dアニメストアのCMタイアップソングに!
本楽曲はdアニメストアの新CM”「キミの好きに出会おう」篇のタイアップソングに決定しました。
このCMは前編の「告白」篇、そして後編の「奪還」篇の二部構成となっており、「告白」篇は2021年3月に公開されました。
前編では、主人公の「リョータ」がヒロイン「エマ」や様々な人達と出会い、自分の大切なものに気づき、勇気を振り絞って告白するまでが描かれています。
後編の公開日は未定ですが、リョータとエマのその後がどうなっているのか、とても気になりますね!
宮沢賢治の小説【風の又三郎】がモチーフ?
実は本楽曲は、宮沢賢治の代表作でもある短編小説、【風の又三郎】をモチーフに制作された曲なんです。
【風の又三郎】は宮沢賢治が亡くなった翌年の1934年に発表された童話で、田舎の小学校にやってきた不思議な少年に対する、地元の子供達の親しみと恐れが混じった気持ちが描かれた作品です。
冒頭の「どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ」という部分が有名ですね
又三郎の特設サイトにはこの様に書かれています
「春泥棒」以来約5ヶ月ぶりとなるヨルシカのデジタルシングル「又三郎」は、宮沢賢治「風の又三郎」をモチーフに制作。
現代社会の閉塞感、不安、憂鬱さなどを打ち壊して欲しいという想いを風の子に託した疾走感溢れるナンバー。
ヨルシカ デジタルシングル「又三郎」特設サイトより
いまから90年近くも昔の小説が現代の音楽でどの様に表現されているのでしょうか。
それでは歌詞の考察をしていきましょう!
「又三郎」歌詞考察!
この曲は、宮沢賢治の「風の又三郎」をモチーフに書かれているということもあり、この小説の物語に深く関連した歌詞になっています。
そのため、まずは「風の又三郎」のあらすじを紹介します。
宮沢賢治【風の又三郎】 あらすじ
ざっくりと紹介しましたが、このあらすじを読んだうえで歌詞を見てみると、意味が読み取りやすいかもしれません。
閉塞感、不安、悲しみが渦巻く現代
転校生がいきなり、水たまりに足をつっこんであくびをしだしたら、とても驚きますよね(笑)
小説では、伝説の風の精「風の又三郎」は、妖精というよりは悪霊のような存在として認識されています。
ここでは風を操る又三郎に嵐を呼んで欲しい、と願っている様子がよみとれます。
しかし、普通、天気は晴れのほうがいいはずですよね。嵐を呼んで欲しいとは一体どういうことなのでしょうか。
ここでは現代の閉塞的な社会や価値観を吹き飛ばすもの、という意味で嵐という言葉が使われているのではないでしょうか。
皆さんは現在の生活に満足しているでしょうか?
私たちは感染症の大規模な流行によって、今までとは一変した生活を強いられています。
家にこもってばかりの日々はとっても退屈ですよね。
ここでの「風」とは私たちの退屈な生活に変化を起こしてくれる起爆剤のようなものだと考えます。
嵐によってもたらされた風は余計ななものを吹き飛ばし、雨は激しく打ち付け、不要なものを洗い流してくれるような気がします。
現代の私たちが本当に求めているのはこのような衝撃なのかもしれませんね
あらゆるものを吹き飛ばす嵐
「青嵐」とは青葉の頃に吹く強い風という意味で、夏の季語となっています。
小説において、三郎が転校してきた日はまさにこの時期で、そのときに吹いていた風は青嵐と呼ぶにふさわしいものです。
青嵐は季語として俳句に用いられる言葉ですが、ここでは言葉も飛ばしてしまえとあります。
俳句なんて情緒的なものではなく、誰も何も言えないほどの勢いでこの社会を変えてくれという切な願いが読み取れます。
これは小説の冒頭部分をなぞらえた歌詞になっています。
NHK「にほんごであそぼ」で聞き馴染みのある方も多いのではないでしょうか。
伝説の風の精、「風の又三郎」は思いのままに風を操ることができます。
転校してきた少年、三郎が本当に風の精だったのかについては、小説では触れられておらず、読者にその判断を委ねています。
小説には描かれていませんが、教室のどこかでこんな会話がかわされていたかもしれませんね。
「何もかも思いのままだぜ」というのは風を操ること以外のことも含んでいるのだと思われます。
社会に変化を持たすような革命を起こせる人は、何もかもうまくいく。逆に言えば、そういった思考の持ち主だからこそ、社会を変えられる人になれるのかもしれません。
今の生活、社会に息苦しさや窮屈さを感じている人は多いのではないでしょうか。
しかし、変えようと思っても変えられないのが現実です。
嵐を呼ぶことができるのは「風の又三郎」だけで、私達にはそのようなことはできませんよね。
本当に必要なものはなに?
社会的価値やお金、物、増えれば増えるほど豊かであるように思えてしまいますが、その反面で自由や身軽さは失われていきます。
そういったものに囚われた人生は幸せなのでしょうか。
いざ、自分が死ぬときに残っているものは何なのでしょうか。
有名なスティーブ・ジョブズも、死の寸前で、「仕事をしすぎるのではなく、人間関係を大切にしておけばよかった。」という内容のメッセージを残しています。
自分が死ぬときに何人のことを覚えているでしょうか。そして、大切な人が亡くなるときに、自分は覚えてもらえているのでしょうか。
本当に大切なものを守るためには、捨てることも大切なのかもしれませんね。
「青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ」は小説の冒頭部分をなぞらえた歌詞になっています。
街自体を壊すほどの風
私たちが失うものは計り知れません。
しかし、その後に得るものも大きいでしょう。
悲しみも夢という部分から、この曲の伝えたいことが浮かび上がってきます。
「悲しみをふきとばせ」なんてありきたりで、言うだけなら誰にだってできます。
ヨルシカはそんな安直な歌詞は書きません(笑)
嵐を呼ぶことができる又三郎に託す願いは、全てを吹き飛ばすこと。
そこには人々の夢も含まれています。
例えば、インターハイに出たい。という夢を持っていた高校生たちは、感染症の影響で大会が中止になり、その夢諦めなければならなくなりました。
叶うかどうか分からず、揺らいでいる夢や希望も含めて、全てを吹き飛ばして欲しい。若干寂しいように感じますが、本当に幸せなのはそっちなのかもしれません。
これからさき、どれだけの期間この生活をするのかはまだ見当がつきません。きっと長い長い道のりでしょう。
私たちはこの退屈な日々を過ごすだけでいいのでしょうか。
又三郎がすべてを吹き飛ばしてくれるのを待つだけでいいのでしょうか。彼は誰なのか、どこにいるのかもわかりません。そんなものに期待して人生を浪費していきますか?
「言葉があなたの風さ」とある様に、自分の生活に風を起こせるのは、自分の言葉なのではないでしょうか。
言葉は風となり、嵐を呼び様々なものを吹き飛ばしてくれるでしょう。
誰も口を挟めないほどの、大きな大きな嵐を呼んで、あらゆるものを吹き飛ばしていく。
「風の又三郎」は他の誰でもなく、自分自身なのかもしれません。
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最後に
今回はヨルシカの新曲「又三郎」の歌詞を考察していきました。
何十年も昔にか書かれた小説ながら、物語は現代にも通ずるところがあり、それを見抜いたn-bunaさんはさすがとしか言いようがないですね。
実際の小説の言葉を抜き出して歌詞に用いるのもとてもおもしろいですね
6月7日リリースの「又三郎」ぜひ聞いてみてくださいね!
全学年が一つのクラスに収まるほどの小さな小学校に、ある風の強い日、不思議な少年が転校してきます。
少年は名前を三郎(さぶろう)といい、少し変わり者です。
その態度と転校してきた日の状況から、クラスのみんなは彼のことを古くからその地域に伝わる伝説の風の精、「風の又三郎」だと思い、うまく関わることができません。
あるクラスメイトは三郎がガラスのマントを着て空を飛ぶところを見たといい、他のクラスメイトは三郎と風についての言い争いをしたりします。
そうしてのけものにされた三郎は、いつの間にかまた転校していってしまい、クラスのみんなは彼が本当に「風の又三郎」だったのではないかという結論を出します。