宇多田ヒカルさん「真夏の通り雨」の歌詞の意味を考察します。
真夏の通り雨 歌詞考察
夢は幻?
夢の途中で目を覚まし
出典:真夏の通り雨 / 作詞・作曲:Utada Hikaru
瞼閉じても戻れない
さっきまで鮮明だった世界 もう幻
日本テレビ系報道番組「NEWS ZERO」(現・news zero)のエンディングテーマ(2016年4月~2017年3月)「真夏の通り雨」は、ピアノとストリングスがせつなく響くバラード。
活動再開後、また母の藤圭子さんが亡くなってから初めての曲ということもあり、過去に対する喪失感や罪悪感が表現されています。
頭サビで描かれているのは、「夢から覚めた」ばかりの寝起きの心情。
睡眠中にどれほど「鮮明な夢」を見ても、起きると「夢は幻」になってしまい、その「夢の世界には戻れない」という話です。
宇多田ヒカルさんが藤圭子さんの「夢」を見て、その「夢に戻りたい」と嘆いているようでもあり、藤圭子さんが存命中の過去を「夢」、藤圭子さん自身を「幻」と表現しているのかもしれません。
また「過去の悲恋を思い出している中年女性」も重ねられているそうで、ニュース番組のテーマ曲でもあるので、リスナーそれぞれに「呼び覚まされる過去」を想像することができるのではないでしょうか。
汗ばんだ私をそっと抱き寄せて
出典:真夏の通り雨 / 作詞・作曲:Utada Hikaru
たくさんの初めてを深く刻んだ
気温や室温のせいではなく、寝汗をかくときはストレスがたまっている可能性もあるでしょう。
また「汗ばんだ赤ちゃん」のように母性を求める感覚と、大人っぽい恋愛関係の両方が連想できます。
「母と娘」などの親子にも、恋愛関係の男女などにもさまざまな「初めての体験」があるはず。
いずれにしても過去を憂いている様子が伝わってきます。
揺れる若葉に手を伸ばし
出典:真夏の通り雨 / 作詞・作曲:Utada Hikaru
あなたに思い馳せる時
いつになったら悲しくなくなる
教えてほしい
1番のサビです。
「揺れる若葉」は、娘が亡き母を思っているのであれば自身の「乳幼児期」、中年女性が過去の悲恋を回想しているのであれば「青春時代」のメタファー(隠喩)と解釈できるでしょう。
「いつまで経っても悲しいままで、立ち直る方法がわからない」ところがせつないですね。
サヨナラの仕方がわからない
今日私は一人じゃないし
出典:真夏の通り雨 / 作詞・作曲:Utada Hikaru
それなりに幸せで
これでいいんだと言い聞かせてるけど
歌物語の語り手「私=中年女性」には、過去に付き合っていた男性を救えなかったという後悔の念があるとのこと。
「一人じゃない」ということは、おそらく別の男性と結婚し、家庭を築いたのでしょう。
詳細は想像するしかありませんが、現在の選択で良かったと思い込もうとするほど、何らかの心残りがあるようです。
別れを切り出したのは中年女性だったのかもしれませんし、それぞれ別の道を歩んだけれど「幸せ」になったのは中年女性だけだった可能性もありそうです。
また、宇多田ヒカルさんにとっては藤圭子さんの死後、子宝に恵まれたことがかけがえのない救いとなったでしょう。
勝てぬ戦に息切らし
出典:真夏の通り雨 / 作詞・作曲:Utada Hikaru
あなたに身を焦がした日々
忘れちゃったら私じゃなくなる
教えて 正しいサヨナラの仕方を
2番のサビ前半です。
「勝てぬ戦」ということは、「中年女性の初恋相手は妻帯者だったので身を引いた」など、何らかの事情があったのでしょう。
宇多田ヒカルさんにとっては、藤圭子さんの精神状態が「勝てぬ戦」だったのかもしれません。
初恋相手や「すべての始まり」ともいえる母がいてくれたから今の私が存在するので、「忘れることはできない」という話でしょう。
別れたり亡くなったりした大切な人を「忘れられない」けれども、いつまでも「悲しみ」続けるのも大変です。
適切な「サヨナラの仕方(気持ちを整理する方法)」がわからないほど混乱している心情が吐露されています。
誰かに手を伸ばし
出典:真夏の通り雨 / 作詞・作曲:Utada Hikaru
あなたに思い馳せる時
今あなたに聞きたいことがいっぱい
溢れて 溢れて
2番のサビ後半です。
「私は一人じゃない」ので「誰か」と触れ合うことはできますが、それでも「あなた」のことを考えてしまうのでしょう。
「中年女性の悲恋の回想」に置き換えられていますが、宇多田ヒカルさんは藤圭子さんが亡くなった直後「聞きたいこと」だらけだったのではないでしょうか。
真夏の通り雨を明日へつなげる
木々が芽吹く 月日巡る
出典:真夏の通り雨 / 作詞・作曲:Utada Hikaru
変わらない気持ちを伝えたい
自由になる自由がある
立ち尽くす 見送りびとの影
「若葉」が「木々」へと成長するように、「巡る月日」を振り返ったイメージでしょうか。
「親が亡くなり、子が生まれる」のも自然と同じ、「命の循環」といえるかもしれません。
「見送りびと」という言葉が出てきたので、中年女性の物語としても初恋相手は亡くなったのかもしれません。
大切な人を「見送った側」には「どれほど時間が経過しても、変わらない気持ちがある」とのこと。
「自由~ある」は亡くなった側の考えを汲み取ったのでしょうか。
たしかに「自由はある」けれども、「見送った側」はぼう然とするしかなかったのではないでしょうか。
思い出たちがふいに私を
出典:真夏の通り雨 / 作詞・作曲:Utada Hikaru
乱暴に掴んで離さない
愛してます 尚も深く
降り止まぬ 真夏の通り雨
大切な人が亡くなった季節は「真夏」。
「伝えたい、変わらない気持ち」が「愛してます」でしょう。
「命の循環」を「自然の営み」に照らし合わせると、死は「通り雨」のようなものかもしれません。
「見送りびと」にも「自由になる自由がある」ので、「通り雨」のようにしばらくしたら泣き止むべきだと自分に「言い聞かせて」みても、「思い出」があふれて泣き止むことができないのではないでしょうか。
夢の途中で目を覚まし
瞼閉じても戻れない
さっきまであなたがいた未来
たずねて 明日へずっと止まない止まない雨に
出典:真夏の通り雨 / 作詞・作曲:Utada Hikaru
ずっと癒えない癒えない渇き
間奏の後に続く、ラストです。
冒頭にループするような構成は「命の循環」や「時間経過」をあらわしているのでしょう。
「雨が降り続いているのに(どれほど泣いても)、渇き(悲しみ)は癒えない」ようですが、それでも「戻れない過去(夢)」の「あなたがいた未来(幻)」を振り返って、どうにか「明日」につなげようとしています。
実際にこの楽曲が「真夏の通り雨」となり、宇多田ヒカルさんは音楽活動を「明日」につなげたのではないでしょうか。
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さいごに
後半の「木々が芽吹く~真夏の通り雨」のパートでは、西洋音楽の7音音階(ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ)ではなく、日本の伝統音楽の5音音階(ペンタトニックスケール)の一種、都節(みやこぶし)音階(ド・レ♭・ファ・ソ・ラ♭)が用いられています。
代表曲「さくらさくら」のような和風の響きが感じられますね。