今回は、米津玄師さんの「LOSER」の歌詞を考察していきます!
米津玄師の人気曲、かつ代表曲のひとつである「LOSER」。
2016年9月にシングルが発売され、2017年に発売されたアルバム「BOOTLEG」にも収録されている本作。
ヒップホップの要素を取り入れ、ラップに近い早口な歌い方が非常に特徴的な作品となっています。
非常に哲学的で一つの言葉に様々な思いを込めるのがうまい米津さんですが、LOSERも御多分に漏れぬ存在でしょう。
歌詞の意味を読み解く作業は、その曲や作曲者の思いを知るうえで非常に大切なこと。
そこで今回は、米津玄師「LOSER」の歌詞をじっくり読みながら、言葉に隠された真意に迫っていきたいと思います。
ぜひ、最後までお読みください。

LOSER 歌詞考察
現状への不満、怠惰な生活への脱却

いつも通りの日々が幸せという言葉もありますが、「LOSER」においての「いつもどおりの通り独り」は、当たり前の幸せとは対極にある日々を表していると考えられます。
一人ぼっちで、ボーっとしている時間が長くて、家に引きこもりがちな日々。
歌詞からは、そんな欝々としそうな日々が想像できます。
どこにも行けないのに、どこかへ行く夢を見ている。
いつでも「僕ら」(米津さん自身と、同じように辛い生活をしている人々の気持ちを代弁する狙いがあるのでしょう)は辛い日々に嫌気がさして、今は想像もつかないような幸せな日々を夢見て眠る。
「LOSER」の主人公は、辛い日常から脱却したいと願っているのではないかと推察できます。

Bメロに移ると、Aメロで歌った現状からの脱却を実践している主人公の様子が伝わってきます。
必死で歩いてきたけれど、今自分に見えている景色や現状は本当に自分が追い求めていたものなのか。
目の前のことを必死にやっていると当初の目的を忘れてしまうというのも、よくあることですよね。
四半世紀実践し続けた結果生まれたスーパースターというのは、米津さん自身だと考えられます。
この曲が発表された2016年時点では、米津さんは25歳。
欝々とした現状から脱却すべく必死にもがき続けてきた米津さんが青い顔をしている…つまり、脱却しきれていないのです。
痛烈な自己否定を感じる、読めば読むほどドキッとする部分と言えますね。
「負け犬」は自分自身

サビに入ると、開き直りのような一節が登場。
自分が負け犬であると認め、「それがどうした、負け犬の遠吠えで何が悪い」と言わんばかりに聴き手に問いかけます。
心の叫びを訴えてみろ。
何年も、何十年も心という「ポケット」に秘め続けてきた本音や心の叫びを伝えたい。
サビからは、主人公の自己否定、そして本当は自分を表現したいのにそれがなかなかできないことに対するいらだちのような気持ちが感じ取れます。

自分を負け犬であると認めた1番のサビから、さらに物語が展開していく2番。
Aメロでは、そういった自分の悩みを少し客観的にとらえるようになっています。
窓から見た摩天楼の高さに比べれば大したことはない、つまり「世界の大きな問題に比べれば、自分の悩みはずいぶんちっぽけなものなんだ」と考えているのかもしれません。
そして、すぐに登場するのが「イアン」と「カート」という二人の人物。
イアンはジョイ・ディヴィジョンのボーカルとして活躍したイアン・カーティス、カートはニルヴァーナのボーカルとして有名なカート・コバーンのことです。
イアンとカートの共通点は、ともに20代の若さで自殺していること。
イアンは23歳、カートは27歳で自殺しています。
彼らの自殺の背景にあったのは、てんかんや双極性障害といった精神疾患でした。
生きづらさを抱えながらも突如やってきた人気という環境の激変に適応できず、自分を追い詰めてしまったのでしょう。
米津さん自身も高機能自閉症を公表しているほか、過去にはうつ病で苦しんだ経験を持っています。
イアンとカートが経験した絶望への共感が、この歌詞に表れているのかもしれません。
絶望の中にいながらも、主人公は「勝ち上がるためのお勉強」をしているところであり、浮上することをあきらめていません。
少しずつ、前を向こうとしているのです。
自己嫌悪と本当の願い

ラップ部分の最初に登場するのは、米津さんの出身・徳島県の有名な踊り「阿波踊り」の一節。
本来の阿波踊りは「同じ阿呆なら踊らにゃ損損」と続きますが、LOSERの曲の主人公たちはそれを端から何もせずにせせら笑うだけの人々。
一生懸命やっている人々を笑うことで自分の存在感を示そうとしている人々なのです。
自意識だけがふくらみ、すり減っていく。
長い前髪で…の一節は米津さん自身を表していると思われますが、他にも自分を示すワードがある中で自身のヘアスタイルを挙げるのも興味深いですね。
パッと沸き立ってフワッと消えちゃえる輪廻とは、2番のAメロで登場したイアン・カーティスとカート・コバーンを暗喩し、自身と重ね合わせているのでしょう。
芸能界はパッと人気が出て、飽きられてしまったら見向きもされなくなる。
そんな米津さん自身を含めた芸能人の新陳代謝のことを歌っているとも、イアンやカートのはかなすぎるほど早く散ってしまった命のことを歌っているとも取れます。
次の節から物語は少し離れて、主人公の本音と向き合うことに。
本当はみんなから愛されたい。
それを思っているだけでは、現状は何も変わらない。
永遠の淑女とは、ダンテの『神曲』に登場するベアトリーチェのことです。
『神曲』でのベアトリーチェは、主人公であり作者のダンテを様々な場所へ導く存在で、愛の象徴としても描かれています。
『神曲』は地獄篇、煉獄篇、天国篇の3つに分かれていますが、煉獄篇の最後でダンテはベアトリーチェに導かれて天国に昇天し、天国篇が始まるはず。
それなのにベアトリーチェにそっぽを向かれてしまっては、天国にも行けませんよね。
主人公の極端な自己否定や自己嫌悪は、ベアトリーチェを背かせてしまうかもしれない。
そう、やはり主人公は「負け犬」なのです。
それでもいいから、遠くへ行きたい、と。
遠くへ行きたいという言葉は米津さんがあらゆるインタビューで語っている言葉ですが、それが何を意味するのか…。
物理的に遠い土地へ向かいたいということなのか、あるいは天国なのか。
想像が掻き立てられます。

自分の心に呼びかけるような歌詞が印象的な2番のBメロ。
遠くで響きだした音とは、心の中でもともと思っていた思いという意味があるように感じられます。
アイオライトという耳慣れない言葉が登場しますが、アイオライトはいわゆるパワーストーンの一種です。
アイオライトには様々な意味がありますが、夢や目標へ導く石という意味合いもあるんだとか。
先ほど登場した永遠の淑女ベアトリーチェもしかり、このアイオライトもしかり…主人公は、人生の指標を探しているようです。
結局はその指針は自分の心の中にあること、そして自分の心から目をそらさずにしっかりと向き合うことが大切であると語っています。
負け犬はどう生きる?

サビに入ると、「負け犬」を自認する人へのメッセージと取れる歌詞が続きます。
「負け犬」なのだとしたら、失うものは何もない。
負け犬であることに甘んじて何もせずダラダラしていたら、あっという間に人生は終わってしまう。
まさに「灰 左様なら」なのです。
「自分だってきっといつか」という思いを大切に、前に向かって進んでいこう。
自分で決めた期限のうちに終わらなくても、ロスタイムはある。
それでも間に合わなければ、さらに時間をかければいい。
とにかく自分の思いを実現するために行動することが大切なのだと、説かれているような気がします。
この歌詞はこの曲の中で最も熱く語られている部分であり、共感を呼びやすい秘密なのかもしれません。

聴き手に語りかけるような歌詞が特徴的なCメロ。
前述の永遠の淑女が登場し、天国が遠のいていることを知りながらも、何も失うものがない負け犬ならば、負け犬なりにいろいろやってみようというメッセージを感じます。
もっと言ってしまえば、現状を受け入れて人生を楽しんでしまおうという雰囲気もありますよね。
でもせっかくなら誰かに愛されて人生を過ごしたいから、愛されるためにもやれることはやっていこう。
言わずに後悔するくらいならやってみろ、という当たって砕けろ精神も感じられます。
曲ではこの後1番のサビが繰り返され、さらにもう一度Cメロの歌詞が登場しますが、メロディはCメロとは別。
この歌詞が初出するCメロでは高い声で叫ぶように歌っており、お前らこれだけは聞いておけ、というような迫力と説得力を感じます。

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さいごに
米津玄師の「LOSER」の歌詞を読み解いてみました。
米津さんが自身に抱く劣等感や負け犬意識を描きつつ、負け犬に甘んじるのではなく、負け犬なりに前を向こうとする姿勢や同じ思いを抱く人への励ましのメッセージが詰まった曲でしたね。
「負け犬代表」として音楽シーンのトップにいる米津さんが語るからこそ、説得力がある「LOSER」の歌詞。
米津さんのそんな姿勢こそ、多くの人が共感する理由のひとつなのかもしれませんね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。