藤井風さん「ロンリーラプソディ」の歌詞の意味を考察します。
2ndアルバム「LOVE ALL SERVE ALL」(2022年3月)の8曲目。
藤井風さんが作詞・作曲、Yaffleさんが編曲した「ロンリーラプソディ」の歌詞の意味を紐解きましょう。

ロンリーラプソディ 歌詞考察
孤独なんて幻想
探しても 寄り添う肩はなく
出典:ロンリーラプソディ / 作詞・作曲:藤井風
ただ単に 飲まれてく
空っぽな人波に 溶けてゆく
曲名の「ロンリーラプソディ」を和訳すると「孤独狂詩曲」となり、「ラプソディ(狂詩曲)」は「叙事詩(伝説や歴史など)的な物語が紡がれた、自由な形式の楽曲」といった意味です。
ただ、藤井風さんはその意味を踏まえずに曲名をつけたとのことなので、リストの「ハンガリー狂詩曲」(1853~1885年)、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」(1924年)、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」(1975年)などとは関連がないでしょう。
結果的に、曲名にふさわしい「孤独について描かれた、自由な形式の楽曲」に仕上がったようです。
「孤独感」というのは不思議なもので、実際に「一人」でいるときに感じるとは限らず、雑踏にまぎれているときにふいに込み上げることもあるかもしれません。
まわりにたくさんの人がいても、「寄り添う」相手がいない場合は空虚さが際立つこともあるでしょう。
そうした情景が描かれているようです。
見つめても みんなおんなじ顔
出典:ロンリーラプソディ / 作詞・作曲:藤井風
私もそう 入れ物が
ぱっと見ちがうだけ 溶けてゆく
溶けてゆく…
溶けてゆく…
目を覚ます…
「自分と他人の違いを比較すると、悩みが生まれ、孤独感に苛まれる」という悪循環が考えられます。
逆に、「誰もが同じ顔をしていて個性がない」というネガティブな考え方もあるものの、ここでは「些細な違いにとらわれなければ、誰もが同じ顔をしている」というポジティブな発想として提示されているでしょう。
さらに「入れ物(=肉体)」という表現もあるので、肉体的な「違い」はあっても、精神的には「同じ」であり、魂はつながっていることを示唆していると考えられます。
スピリチュアルの「ワンネス(すべては一つ)」という概念のように、宇宙全体と一体化している(溶けてゆく)ことに気づく(目を覚ます)様子が描かれているようです。
…孤独なんて幻想
気にしなきゃいいの
みんな同じ星
みんな同じ呼吸…すーはー
出典:ロンリーラプソディ / 作詞・作曲:藤井風
「すーはー」は「彼(それ、3人称)は私(1人称)です」という意味のサンスクリット語のマントラ(真言、呪文)「So’ham(ソーハム)」と英訳されていて、ヨガの瞑想法(呼吸法)になっています。
「孤独感」をしずめるためには、「孤独は幻想だから気にしなければいい」という考え方が役に立ちそうです。
「宇宙全体で一つ」であり、その「一つの全体」で「同じ呼吸」をしていると意識しながら「深呼吸」すると落ち着くのではないでしょうか。
何をしたの 何もしてないよ
出典:ロンリーラプソディ / 作詞・作曲:藤井風
君は誰なの 僕は僕だよ
あなたもそうでしょ?
なんで泣いてるの 何が悲しいの
もう分からないよ
あ~あ
ため息は過ぎ去り…
もう歌えない ロンリーラプソディ
「僕」が藤井風さんだとすると、「君」や「あなた」はリスナーのことで、誰もが「自分は自分でしょう?」と呼びかけているようです。
「悲しくて涙を流す理由」は他人には「分からない」ものかもしれませんし、自分でもいつのまにか「分からない」状態になっていることもあるのではないでしょうか。
とくに「すーはー」と「深呼吸」した後は、「あ~あ」という「ため息」も出なくなり、「孤独の歌」を歌わずに済む(歌えない)ようになっているはず。
「何もしてない(=無)」というのは、どれほど「悲しい出来事」が起きても時間が経つと「過去の出来事(=無)」として乗り越えられるとか、宇宙規模のマクロな視点に立つと「たいしたことではない(=無)」と思えるとか、具体的に何かが起きたわけではない(=無)のに「孤独」を感じていただけだったと気づくなど、さまざまな解釈ができるでしょう。
みんな一つ
ここはどこ みんな何してるの
出典:ロンリーラプソディ / 作詞・作曲:藤井風
同じ時 生きてても
なぜ誰もいないの 泣いてやろう…
笑ったろう…
実は誰もが「何もしてない(たいしたことはしていない)」のに、「どこかで楽しいことをしているのはないか?」と妄想をふくらませると、疎外感につながるかもしれません。
「今日は孤独に浸りたい気分だから」と、デトックス(毒出し)するかのごとく、意図的に涙を流すときもあるでしょうか。
ただ、あまりにもネガティブな状態に浸りすぎると、「まるで漫画の登場人物みたい」と自分を客観視して「笑い」に変わることもあります。
あるいは「笑うしかない」ほどとんでもない状況に陥るときもあるなど、人生には泣き笑いがつきものですね。
w孤独なんてゲーム
出典:ロンリーラプソディ / 作詞・作曲:藤井風
楽しめばいいの
みんな一人でしょ
みんな一つでしょ
「誰もが一人でありつつ、全体で一つである」という考え方をすると、たしかに人生も「孤独」も「ゲーム」のように「楽しめる」かもしれません。
何をしたの 何もしてないよ
君は誰なの 僕は君だよ
何も違わないよ
なんで泣いてるの 何が悲しいの
もう分からないよ
あ~あ
ため息は幻…
もう聴こえない ロンリーラプソディもう聴こえない ロンリーラプソディ
出典:ロンリーラプソディ / 作詞・作曲:藤井風
時代遅れのロンリーラプソディ
1番と2番で「僕は僕だよ」が「僕は君だよ」に、「もう歌えない」が「もう聴こえない」に変わり、1番の「孤独なんて幻想」が2番の「ため息は幻」につながりました。
「あ~あ」に象徴される「ロンリーラプソディ」を、「すーはー」に象徴される「ソーハム瞑想」や「深呼吸」に置き換えるだけで、「孤独」を癒すことができたのではないでしょうか。

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さいごに
藤井風さんはデビュー曲「何なんw」(2019年11月)の解説動画で、ハイヤーセルフ(神様)について触れています。
「ロンリーラプソディ」では「ソーハム瞑想」が取り上げられていたようですが、藤井風さんの歌詞を考察する際はスピリチュアルな視点を意識することがポイントになるでしょう。