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飾りじゃないのよ涙は【King Gnu】歌詞の意味を考察!ジャズアレンジが光る井上陽水トリビュート曲

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King Gnu(キングヌー)「飾りじゃないのよ涙は」の歌詞の意味を考察します。

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飾りじゃないのよ涙は 歌詞考察

泣かない理由とは?

私は泣いたことがない
灯りの消えた街角で
速い車にのっけられても
急にスピンかけられても恐くなかった

赤いスカーフがゆれるのを 不思議な気持で見てたけど
私 泣いたりするのは違うと感じてた

出典:飾りじゃないのよ涙は / 作詞・作曲:井上陽水

「飾りじゃないのよ涙は」は中森明菜さんのシングルとして井上陽水さんが作詞・作曲し、井上陽水さん自身もセルフカバーした楽曲。

その井上陽水さんのデビュー50周年を記念したトリビュートアルバムで、King Gnuがカバーしたという流れです。

つまり中森明菜さんが歌うことを前提として作られていて、語り手の「私」や曲名、歌詞の世界観にも中森明菜さんのアイドルとしてのイメージが反映されています。

「泣かない、笑わない、無表情、クール」といった山口百恵さんが打ち立てた新たなアイドル像は中森明菜さんを経て、平手友梨奈さんにも受け継がれているでしょうか。

ウソ泣きなどと揶揄されたこともある、松田聖子さんのぶりっ子路線に対して、中森明菜さんのツッパリ路線が確立していた時期なので、その点を踏まえた楽曲になっていると考えられます。

リリース当時は19歳だったので、子どもから大人への変わり目もテーマになっているのではないでしょうか。

夜に走り屋の男性の車に乗せられ、街なかで突然スピンターンされたら恐いと泣き出しても仕方がないと思われますが、「私は違う」とのこと。

「赤いスカーフ」に松田聖子さんの「赤いスイートピー」を重ねるのは深読みのしすぎかもしれませんが、いずれにしても「泣かない、恐がらない」女性像が浮き彫りになってきました。

このような世界観のある楽曲をKing Gnuがカバーすると、さらにクールなジャズっぽくなるところがおもしろいですね。

私は泣いたことがない
つめたい夜の真ん中で
いろんな人とすれ違ったり
投げKissうけとめたり投げ返したり

そして友達が変わるたび 想い出ばかりがふえたけど
私 泣いたりするのは違うと感じてた

出典:飾りじゃないのよ涙は / 作詞・作曲:井上陽水

ツッパリ路線とはいえまだ10代のアイドルだったので、恋愛がらみでは「投げKiss」という昭和の歌謡曲らしい古めかしい表現に留められたのではないかと考えられます。

不良ぶって強がっているものの、恋愛に関しては案外奥手で、友達関係も長く続かず、孤独を感じているのかもしれません。

展開の速い音楽業界でさまざまな大人と仕事をするとお世辞を言われたり、逆にリップサービスや笑顔を返したりするのが一般的で、リアルな友達関係を築くのは難しいといったアイドル事情が盛り込まれている可能性もあります。

どれほど孤独を感じても「泣かない」ことにこだわっている理由は何なのでしょうか。

飾りじゃないのよ涙は HAHAN
好きだと言ってるじゃないの HO HO
真珠じゃないのよ涙は HAHAN
きれいなだけならいいけど
ちょっと悲しすぎるのよ涙は HOHOHO
HOHOHO…
HUHUHU……WA!!

出典:飾りじゃないのよ涙は / 作詞・作曲:井上陽水

1番のサビです。

涙はきれいな真珠の飾りではなく、悲しすぎるから泣かない」という主張でした。

そこに「好きだ~」という主張も挟まっていますが、走り屋の男性には「私」を恐がらせて泣かせたうえでなぐさめ、恋愛関係に発展させようという下心でもあったのでしょうか。

あるいは「恐がらない、泣かない」からといって恋愛感情がないわけではないという意味かもしれません。

「HAHAN」などの意味のない言葉が笑い声、泣き声、叫び声、艶っぽい声のどれにも受け取れるところが井上陽水さん節といえそうです。

ビブラートの効いたロングトーンが特徴的な中森明菜さん節全開ともいえる「HOHOHO…~WA!!」の部分を省略し、「HAHAN」なども抑え気味に歌っているところに井口理さんのボーカリストとしての美学を感じます。

本当の恋をしていない?

私は泣いたことがない
本当の恋をしていない
誰の前でもひとりきりでも
瞳の奥の涙は隠していたから

出典:飾りじゃないのよ涙は / 作詞・作曲:井上陽水

1番のサビでは「好きだ~」という主張もありましたが、あまりにも唐突でどこか苛立っているような不自然さが感じられました。

危なっかしいドライブに誘われたり、適当にナンパされたりといった「遊びの恋」で「好きになった」と思い込もうとしていただけなのかもしれません。

2番に入り、「泣く=本当の恋をする」という捉え方をしていたことが明らかになりました。

つまり、強がって涙を流さなかったのではなく、「泣いたことがない=本当の恋をしたことがない」という話。

「私」は「瞳の奥の涙=本当の恋心」を隠していたという詩的な表現に発展しました。

いつか恋人に会える時
私の世界が変わる時
私 泣いたりするんじゃないかと感じてる
きっと 泣いたりするんじゃないかと感じてる

出典:飾りじゃないのよ涙は / 作詞・作曲:井上陽水

「本当の恋をする」ことを「泣く」というのも、「感じてる」という表現も、艶っぽい言葉遣いでしょう。

しかし「本当の恋をしていない女性の物語」として艶っぽさを「隠している」ところが昭和歌謡らしい手法です。

もちろん「隠している」ことを明らかにして、手の内を見せるところまで含まれます。

飾りじゃないのよ涙は HAHAN
輝くだけならいいけど HO HO
ダイヤと違うの涙は HAHAN
さみしいだけならいいけど
ちょっと悲しすぎるのよ涙は

La La La……

出典:飾りじゃないのよ涙は / 作詞・作曲:井上陽水

1番のサビ「悲しすぎるのよ涙は」までが繰り返された後に続くラストです。

2番の展開を踏まえると、「HAHAN」などは確信犯的に盛り込まれた艶っぽい声とも考えられます。

「ダイヤ」を松田聖子さんの「瞳はダイアモンド」になぞらえるのも深読みのしすぎかもしれませんが、松田聖子さんのような清純派路線ではなく、山口百恵さんのような大人っぽい路線を貫くという意味合いも含まれるのでしょう。

ただ、すべては隠されていて、「涙は悲しすぎるから流さない」という幅広い物語に落とし込まれているところが井上陽水さんの手腕といえるでしょう。

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さいごに

ジャズっぽくアレンジされたKing Gnuバージョンの「飾りじゃないのよ涙は」は、男性の井口理さんが淡々と歌っていることもあり、歌詞まで異なる解釈になりそうです。

「本当は孤独で今にも泣き出しそうな男性が平静を装っている物語」として想像をふくらませるのもおもしろいのではないでしょうか。

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