Vaundyさんのデジタルシングル「怪獣の花唄」(2020年5月)の歌詞の意味を考察します。
マルハニチロ冷凍食品WILDish(ワイルディッシュ)シリーズ「オレらのために」編のテレビCMソングに起用された、1stアルバム「strobo」(2020年5月)の収録曲。
Vaundyさんが作詞・作曲した「怪獣の花唄」の歌詞の意味を紐解きましょう。

怪獣の花唄 歌詞考察
怪獣の歌を歌う君は誰?
思い出すのは君の歌
出典:怪獣の花唄 / 作詞・作曲:Vaundy
会話よりも鮮明だ
どこに行ってしまったの
いつも探すんだよ
「怪獣の花唄」はわかりやすい言葉が並んでいるものの、受け取り方次第でさまざまな解釈ができる歌詞になっています。
冒頭のパートは「語り手の僕が、どこかに行ってしまった君の歌を思い出す」という内容です。
「話していた内容よりも、歌の印象のほうが強い」ことは伝わってきますが、そもそも「君」は誰なのか、「僕」にとってどのような存在なのかは明らかにされていません。
「僕」にもわからない「君の行き先」は結局どこなのかも謎です。
思い出すのは君の歌
出典:怪獣の花唄 / 作詞・作曲:Vaundy
歌い笑う顔が鮮明だ
君に似合うんだよ
ずっと見ていたいよ
「僕」は「君にお似合いの歌い笑う顔をずっと見ていたい」と願っています。
しかし、あくまでも「鮮明な思い出」であって、実際には「君の顔を見る」ことも「君の歌を聞く」こともできないでしょう。
なぜなら「君」は「どこかに行ってしまった」からです。
それなのになぜ「僕」は「君の歌」を執拗に「思い出している」のでしょうか。
ここに「君は僕にとってどのような存在なのか?」のヒントが隠されているかもしれません。
でも最後に見たいのは
出典:怪獣の花唄 / 作詞・作曲:Vaundy
きっともう君の夢の中
もう一度 また聞かせてくれよ
聞きたいんだ
大まかに「君」は「子ども頃の自分」と「亡くなった友だち」という2つの仮説が考えられます。
まず前者の場合ですが、Vaundyさんは2000年6月6日生まれなので、「怪獣の花唄」がリリースされた2020年5月11日は20歳を目前に控えた19歳でした。
そのため「子どもの頃の自分」は「どこかに行ってしまった」と感じていて、10代の「最後」に音楽の初期衝動を伴ったロックチューンを歌いたかったと解釈することができそうです。
もっと 騒げ怪獣の歌
出典:怪獣の花唄 / 作詞・作曲:Vaundy
まだ消えない
夢の歌唱えて
君がいつも 歌う怪獣の歌
まだ消えない
口ずさんでしまうよ
1番のサビです。
「君=子どもの頃の自分」説の場合、「怪獣の歌」は「10代の自分らしい、ロック魂にあふれた歌」ということになり、「夢(思い出)の中」から引っ張り出せば「まだ消えない」けれども、歌えるのはこれが「最後」になるだろうという解釈になります。
もう1つの「君=亡くなった友だち」説の場合、「怪獣の歌」は「幼い友だちが歌っていた、怪獣が出てくる(特撮ものやアニメなどの)歌」になりそうです。
その「君」が歌っていた「怪獣の歌」を、「僕」が「君」を弔うために「唱える、口ずさむ」と「夢の歌=怪獣の花唄」になるのかもしれません。
ギターといえばロック?
思い出すのは君がいた
出典:怪獣の花唄 / 作詞・作曲:Vaundy
ギター持ってる君がいた
忘れられないんだよ
だから僕が歌うよ
解釈は人それぞれですが、「ギター」に象徴されるのは「実際に怪獣が登場する歌」というより「反骨精神にあふれたロック」のほうがしっくりくるのではないでしょうか。
「10代最後」という人生の節目を迎え、「僕=大人の自分」が「君=子どもの自分」に対してお経を「唱える」ように弔っている(花を手向けている)というか、「君」が歌っていた「怪獣の歌=10代(子ども)のロック」を「僕」なりの「怪獣の花唄=20代(大人)のロック」として引き継いでいくということなのかもしれません。
「怪獣」は手当たり次第に暴れるイメージなので、激しく「ギター」を掻き鳴らす姿が重なります。
どれほど「音楽、とくにロックの初期衝動や反骨精神を忘れない」と心がけても、どの音楽家もそれなりに薄れてしまいがちなので、その辺りが表現されているのではないでしょうか。
落ちてく過去は鮮明で
出典:怪獣の花唄 / 作詞・作曲:Vaundy
見せたい未来は繊細で
すぎてく日々には鈍感な君へ
1番の「でも最後に~聞きたいんだ」とサビが繰り返された後に続くパートです。
「過去」の記憶は年齢を重ねるごとに薄れますが、たとえば音楽と出会い、夢中になったばかりの頃に受けた衝撃はいつまで経っても「鮮明」なままでしょう。
音楽に限らず、若い頃に描く「未来」は「繊細」なのに、目の前の「現在」に対しては「鈍感」というか、「日々」を大切に過ごすことには無頓着なのが若者の特徴です。
「子どもの頃の自分」だけでなく、若いリスナーにも語りかけているのかもしれません。
ねぇ 僕ら
出典:怪獣の花唄 / 作詞・作曲:Vaundy
眠れない夜に手を伸ばして
眠らない夜をまた伸ばして
眠くないまだね
そんな日々でいたいのにな
懲りずに
眠れない夜に手を伸ばして
眠らない夜をまた伸ばして
眠くないまだね
そんな夜に歌う 怪獣の歌
「ねぇ、もっと」始まりで1番のサビが繰り返された後に続くラストです。
とくに10代の頃は思春期らしい悩みが多く、不安を抱えながら「眠れない夜」を過ごしたり、逆に遊びたい盛りで「夜ふかし」したりしがちではないでしょうか。
おそらくVaundyさんはそんな「10代の夜」に「怪獣の歌=10代ならではのロック」を歌っていたと考えられます。
ただし「10代の日々のまま」でいられるのも、これが「最後」。
「10代の終焉に花を手向ける」という意味で「怪獣の花唄」という曲名になったのかもしれませんね。

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さいごに
今回はほとんど「君」を「子どもの頃の自分」として考察しましたが、「亡くなった友だち」と捉えても成立するでしょう。
むしろさまざまな解釈ができるように、余白が多く残された歌詞になっていると思われます。
「怪獣の歌」と「怪獣の花唄」の違いについても、あれこれ想像をふくらませてみるとおもしろいのではないでしょうか。