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過学習【Ado】歌詞の意味を考察!過学習とは?私とアナタと私たちの関係性に迫る

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Adoさん「過学習」の歌詞の意味を考察します。

1stアルバム「狂言」(2022年1月)の収録曲。

伊根さんが作詞・作曲した「過学習」の歌詞の意味をチェックしましょう。

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過学習 歌詞考察

過学習の意味

救ってよ、アナタが
見えないものが見えて気づいていく頭が
誰にでもなろうとする

出典:過学習 / 作詞・作曲:伊根

曲名の「過学習」とは「過剰適合」や「過適合」とも呼ばれる統計学やAI(人工知能)の一種、機械学習(パターン認識など)の用語で、「学習しすぎにより、本来の予測ができなくなった状態」のこと。

つまり学習させるのが「人間」で、学習させられるのが「AI」です。

「過学習」の登場人物は語り手の「私」と「アナタ」なので、「私=AI」と「アナタ=人間」、もしくは「私=リスナー」と「アナタ=Adoさん」、あるいは「私=伊根さん」と「アナタ=Adoさん」という3パターンの組み合わせが考えられます。

いずれにしても「私」は情報過多で「頭」がバグっている状態で、自分を見失い、助けを求めているようです。

それは自供か? “口ばっか愚痴ばっか”か?
“憂いて泣きそう”か?
眠らずにいたって逃げられん内省

出典:過学習 / 作詞・作曲:伊根

AIが人間に、リスナーがAdoさんに、伊根さんがAdoさんに、助けを求めているようですが、それは「自供」か「愚痴」かと「私」は詰め寄っています。

もしかしたら「過学習」によって「逃げられないぜ」を「逃げられん内省」と言い換えているのかもしれません。

気づいてるか、アナタは?
縋ってんのは何だ?
正義の体、見下す眼
“暇で空っぽ”なだけだろ
救ってやんなきゃな、報いてやったらば
アナタ知ってる? “正しい”って

出典:過学習 / 作詞・作曲:伊根

「リスナーは誰に縋(すが)っているか、気づいているのか」とAdoさんが問いただしているようでもあり、「人間に助けを求めているのはAIだ」と主張しているようにも受け取れます。

何が「正しい」のかよくわからない状態ですが、それでも「私」が「アナタ」を助けようとしていることは伝わってくるでしょう。

この街の語り部に混ざって歩いていこうぜ
寄る辺ない呪いを祓う前に

出典:過学習 / 作詞・作曲:伊根

「過学習」のせいか、「この歌の語り部」である「私」には「誰にでもなろうとする」習性があることは冒頭で提示されているので、リスナーも「私」に「混ざろう」と呼びかけています。

何しろ、助けを求めたところで頼る先がない「呪い」のような状況になっているので、この謎を解く前に、という意味でしょう。

もう全部聞いてらんないわ
この歌詞書いたのは誰なんか?
自分以外が言うようだ
これは誰の思い

出典:過学習 / 作詞・作曲:伊根

「呪いを祓う」とは「この歌詞を書いたのは伊根さん」だと気づかせることでした。

リスナーはAdoさんに助けを求めるけれども、歌い手と作詞家は別なので、Adoさんの「思い」なのか、伊根さんの「思い」なのか、混乱するという意味でしょう。

さらに、リスナーの「思い」を代弁して「私」と語るスタイルもあるので複雑です。

私の私にアナタ方が何をできるって?
ただ応えが欲しいんなら語らせよう
まあまあ、誰も見てねえが

出典:過学習 / 作詞・作曲:伊根

伊根さんは「自分」をAdoさんの「中の人」というか、「過学習に陥ったAI」に見立てているのでしょう。

「私(伊根さん、作詞家)の私(AI、頭脳)にアナタ方(Adoさんやリスナー)が何をできるかわからないけれども、(リスナーが)応えを欲しがるなら(Adoさんに)歌わせる。誰も作詞家の頭脳など見ないが」といったニュアンスのようです。

私たちで声をあげる

ツクってるアナタが向かってんのは何だ?
0時の線寝過ごして
どこまで行ったら明日だろう
「救ってやったんだから好いてやったんだわ」
アナタ知ってる? “優しい”って

出典:過学習 / 作詞・作曲:伊根

2番に入ったことが「0時を超えた」と表現されているのでしょうか。

その影響で「主体(私)と客体(アナタ)」が逆転し、「曲を作った伊根さん=アナタ」になったのかもしれません。

あるいは「ツクってる」が「繕(つくろ)っている、作り笑顔」のような意味だとすると、「アナタ=Adoさん、リスナー」とも考えられそうです。

いずれにしても「ツクって、救って、好いて」と韻を踏みつつ、まだ「呪い」は続いていることが伝わってきます。

この街は優しくて良い
無関心で進もうぜ
寄る辺ない呪いを呪う前に

出典:過学習 / 作詞・作曲:伊根

「優しい」という概念の捉え方や言葉遣いなどがバグっているのも「過学習」のせいなのでしょう。

「過学習のAIという設定の歌=この街」であれば間違えても構わないところが「優しい」と感じているのかもしれません。

それにしても、この「設定=呪い」はややこしいところが難点なので、あまり深く考えず、先に「進もう」としているようです。

「もう何も決めらんないわ」
「今グダってんは誰なんか?」
晴らすべきなら
「私たちは」で声をあげんだよ

出典:過学習 / 作詞・作曲:伊根

「呪い(設定、悩み)を晴らす方法」が明かされました。

たしかに「リスナー、Adoさん、伊根さん」が「私たち」になると、ややこしい設定も「優しく」解釈できるようになり、それぞれの助けを求めるほどの悩みも解決しそうです。

私の私にアナタだったら何ができるって?
ただ応えが欲しいんなら測らせよう
まあまあ、誰も見てねえが

出典:過学習 / 作詞・作曲:伊根

1番の「語らせよう」と2番の「測らせよう」で韻を踏んでいるのも「過学習」によるバグでしょうか。

「機械学習で予測する」ことを「測る」と表現している可能性もありそうです。

主体性が重要

気づいてんだったな
主体性とは何だ
正義の命に目眩んで
底まで空っぽだ

出典:過学習 / 作詞・作曲:伊根

リスナーが悩みを抱えてAdoさんに助けを求めても、Adoさんは伊根さんに作詞を依頼し、伊根さんはAIのような自分の頭脳に頼るしかないけれども混乱していて、リスナーやAdoさんに助けを求めたい状況(正義~空っぽ)だとすると、堂々巡りになります。

「主体性」とは「自ら考え、行動すること」なので、この堂々巡りの設定に「気づいている」のであれば「主体的によろしく!」といったところでしょう。

もう何も見てらんないわ
塞ぐカーテン 箱ん中
ここからアナタに聞こえるよう

出典:過学習 / 作詞・作曲:伊根

「AIのような中の人=伊根さん」はとうとう「カーテンを塞(ふさ)ぎ、箱」に収まりました。

あるいはAdoさん自身も姿を隠したのかもしれません。

それはリスナー(アナタ)に「主体性」を持ってもらいたいからでしょう。

私の私に私だったら何ができる
ねえ、まだ応えが欲しいんなら揶揄えよ
まあまあ、誰も見てねえが

出典:過学習 / 作詞・作曲:伊根

「語らせよう、測らせよう」に続くオチは「揶揄(からか)えよ」でした。

「私たち」という仲間になるか、それぞれが「主体的」になるという解決方法を提示したけれど、それでもまだ「応えが欲しい」なら「笑えばいい」とのこと。

「アナタ」に頼るのではなく、「私(たち)」自身で解決することが大切ですね。

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さいごに

「AIが人間を超えるシンギュラリティ(技術的特異点)が訪れるかもしれない」という「2045年問題」は未来予測のひとつです。

その頃には「過学習」などのバグもなくなるのかもしれませんが、どれほどSF的な世の中になっても人間の「主体性」は必要なのではないでしょうか。

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