米津玄師さん「飛燕」(読み:ひえん)の歌詞の意味を考察します。
4thアルバム「BOOTLEG」(2017年11月)の収録曲。
米津玄師さんが作詞・作曲した「飛燕」の歌詞の意味をチェックしましょう。

飛燕 歌詞考察
ナウシカのように空を飛ぶ?
翼さえあればと 灰を前に嘆いていた
出典:飛燕 / 作詞・作曲:米津玄師
鳥のように飛んでいく あの雲に憧れて
音楽を作る際の米津玄師さん自身が描かれた「飛燕」。
宮崎駿さんのSF・ファンタジー漫画「風の谷のナウシカ」にインスパイアされたそうです。
主人公の風使い・ナウシカは架空の飛行装置メーヴェ(ドイツ語でカモメ)に乗って空を飛ぶので、「空飛ぶツバメ」を意味する曲名の「飛燕」はその辺りを表現しているのでしょう。
「風の谷のナウシカ」のような壮大で幻想的な物語と、米津玄師さんのパーソナルな楽曲制作の様子が重なります。
「灰」は「誰かの死、腐敗した世の中、傷ついた人、ボツにした楽曲、(漫画に出てくる猛毒ガスの)瘴気(しょうき)」などが当てはまりそうです。
「翼」がないため憂いを癒すことができず、徒労を重ねる自分自身に落胆しながらも、「メーヴェに乗って、鳥のように空を飛ぶナウシカ」を「雲」になぞらえ、その「憧れ」の存在のように羽ばたこうとしています。
慰めも追いつかない 一人きり空の果て
出典:飛燕 / 作詞・作曲:米津玄師
傷に傷を重ねて まだ誰かが泣いている
なかなか自分の納得がいく楽曲を作ることができず、孤独に「空」を飛んでいるような空虚な気分になっているのかもしれません。
「傷ついたリスナーを慰(なぐさ)める楽曲を作りたい」と思っても、涙を流す人が増えるばかりで「追いつかない」のでしょう。
夜の底に 朝の淵に こそ響く歌があると
出典:飛燕 / 作詞・作曲:米津玄師
呼ぶ声が聞こえたら それが羽になる
「暗い夜(絶望)から明るい朝(希望)になる」という物理的な時間経過を踏まえると、「絶望の底と希望の淵(ふち、根源)は紙一重でつながっている」という精神的な解釈も可能でしょう。
米津玄師さんは、「どん底の気分」を「希望の源」へと昇華させることこそが「音楽や歌の役割」であり、「リスナーの嘆き声」が自分自身の音楽制作を飛躍させる「翼」や「羽」になると捉えているようです。
ずっと 風が吹いていた あの頃から 変わらぬまま
出典:飛燕 / 作詞・作曲:米津玄師
君のためならば何処へでも行こう 空を駆けて
1番のサビです。
子どもの頃に「風の谷のナウシカ」の漫画を読んだときから、その感動を忘れずにいるという話でしょう。
米津玄師さん自身、漫画によって暗い気分が明るい気分に変わるような体験をしたのかもしれません。
主人公のナウシカの姿に自分を重ね、今度は米津玄師さんが自分の音楽を聴いてくれるリスナーのために「空を飛ぶ」ような探求を続けると誓っています。
嵐のときの対処法とは?
美しさを追い求め 友さえも罵れば
出典:飛燕 / 作詞・作曲:米津玄師
這い回る修羅の道 代わりに何を得ただろう
2番の冒頭で描かれているのは、米津玄師さんの「羽」になるという「リスナーの嘆き声」の一例でしょう。
抽象的な表現なので、「美しい人を取り合って、友だちとケンカした」とか「仕事などで理想を追求するあまり、親しい友人関係を犠牲にした」など、さまざまなケースが考えられます。
いずれにしても「修羅(しゅら)の道」とは「醜い争いの世界」のことなので、ネガティブな状態に陥ってから「欲張っても何も得られない」と気づいても、すでに手遅れなのかもしれません。
猛り立つ声には 切なさが隠れている
出典:飛燕 / 作詞・作曲:米津玄師
誰がその背中を 撫でてやろうとしただろう
「猛(たけ)る」とは「暴れる、荒れる」といった意味なので、ここでは「友を罵(ののし)る暴言」につながるでしょう。
とくにネット上で「正義(美しさ)を振りかざして、誹謗中傷する」行為は社会問題にもなっていますが、どちらの立場であれ、「暴言」の裏には「切なさ」があると指摘しています。
さらに「誹謗中傷を非難する正義(美しさ)」を振りかざすだけでは堂々巡りになり、根本的な問題可決に至らないでしょう。
「暴言を吐く側・吐かれる側」という対立構造が存在するとき、被害側に感情移入しがちですが、加害側の「悲しみ」にも寄り添う必要があるという展開のようです。
流離うまま 嵐の中 まだ胸に夢を灯し
出典:飛燕 / 作詞・作曲:米津玄師
渦を巻いて飛ぶ鳥の 姿を倣えばいい
楽曲制作がままならず、「風の谷のナウシカ」の漫画を読み返しながら「流離(さすら)う」米津玄師さんの奮闘ぶりが目に浮かぶようです。
「嵐」のように荒れた状態のときは、「風」の流れに逆らって立ち向かっても、なかなか上手くいかないのではないでしょうか。
流れに身をまかせると「渦を巻いて飛ぶ」ことになり、どうにか落下せずにいられるはず。
そんな「鳥」みたいに飛ぶナウシカを「倣(なら)う=まねる、手本にする」という教訓を得たようです。
ずっと 羽ばたいていた 未来へ向かう 旅路の中
出典:飛燕 / 作詞・作曲:米津玄師
道の正しさは風に託して ただ進んでいけ
2番のサビです。
これまでの展開を踏まえると、「正しさは風まかせ」の意味が深まるのではないでしょうか。
「正義」を語り始めると争いがドロ沼化しかねないので、「渦を巻く」ように臨機応変に対応したり、「風の谷のナウシカ」を見習ったりするといいのかもしれません。
いずれにしても人生という「旅を進む」だけですね。
夢を見ていたんだ風に煽られて
出典:飛燕 / 作詞・作曲:米津玄師
導いておくれあの空の果てへ
夢を見ていたんだ風に煽られて
導いておくれあの空の果てへ
たしかに「風の谷のナウシカ」には「夢」が詰まっています。
どれほど逆風が吹いても柔軟に対応する指針になるでしょう。
ラストに1番と2番のサビが繰り返されます。
ナウシカと米津玄師さんの姿が重なり、リスナーも「空の果てへと導かれた」のではないでしょうか。

1ヶ月無料で音楽聴き放題!
通常880円/月のAmazonMusicUnlimitedが今なら1ヶ月で体験可能!
この機会に聴き放題サービスをお試ししてみよう!
いつでも解約OK!
さいごに
「飛燕」には、米津玄師さん自身の心情だけでなく、ナウシカの「風の流れを読む能力」や「毒を出す生き物に寄り添う姿」も描かれているようです。
結果的に「美しい」方向へと進むためには、「嵐」のような「修羅の道」とどのように関わるかが重要になるかもしれませんね。