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恥ずかしくってしょうがねえ【米津玄師】歌詞の意味を考察!最後の晩餐をモチーフに米津さんが伝えたいメッセージとは?

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今回は、米津玄師さんの新曲「恥ずかしくってしょうがねえ」の歌詞を考察していきたいと思います。

11月23日にリリースされるニューシングル『KICK BACK』に収録されている本楽曲。

歌詞にはどんな想いが込められているのでしょうか?

早速見ていきましょう!

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恥ずかしくってしょうがねえ 歌詞考察

あんたらみたいにゃなりたかねえな
熱意と嘯き誰を蹴る
ことが済んだら 全て忘れて
恥ずかしくってしょうがねえ

出典:恥ずかしくってしょうがねえ / 作詞・作曲:米津玄師

「恥ずかしくってしょうがねえ」というパンチのあるタイトルですが、この楽曲では、米津さんが感じている想いがストレートに表現されていると感じました。

誰のどんな行動に対して恥ずかしさを感じているのか、歌詞を見ていきましょう。

冒頭から「恥ずかしくってしょうがねえ」人たちについて歌われています。

“熱意と嘯き誰を蹴る ことが済んだら 全て忘れて”

嘯くという単語には、偉そうに豪語するや、とぼけるなどの意味がありますが、続く言葉から考えると、炎上に群がる人々を指しているように思います。

SNSの普及により、個人の発信が容易になった現代社会では、炎上や誹謗中傷という存在も身近になりました。

ターゲットが決まれば寄ってたかって攻撃し、飽きれば全て無かったことにするネット上の人々に対しての怒りを歌っているのではないでしょうか?

己にだけ都合の良い
言葉を放ったって何になる
欲しかったのは何だ そんなものか
恥ずかしくってしょうがねえ

出典:恥ずかしくってしょうがねえ / 作詞・作曲:米津玄師

そうした恥ずかしい奴らがSNSで発信するのは、決まって自分に都合のいい情報だけ。

自分と同意見のものだけを広め、反論してくる奴は完全に無視します。

誹謗中傷を発信して得られるのは、同じ類の人々からの共感です。

“欲しかったのは何だ そんなものか” と呼びかけています。

そんな生き方なんて “恥ずかしくってしょうがねえ” と強く訴えかけています。

サングリアワイン 口に合わねえな
今夜は誰が酒の肴 呼んでくれ救急車
サングリアワイン 洒落にならねえな
もっかいちゃんと話そうぜ

出典:恥ずかしくってしょうがねえ / 作詞・作曲:米津玄師

唐突に出てくる “サングリアワイン” ですが、もちろん意味が込められています。

サングリアは、赤ワインに果物を漬け込んだフレーバードワインに一種ですが、日本語に訳すと「(聖なる)血」という意味になります。

後に登場する “ユダ” という歌詞から、この曲が最後の晩餐を題材に制作されていることが分かりますが、最後の晩餐でイエス・キリストは「私の血である」と言って弟子たちにワインを飲ませました。

このことから、サングリアワイン=キリストを暗示していることが分かります。

そのサングリアワイン(キリスト)が “口に合わねえな”、つまり自分はキリスト(神)ではないと解釈することが出来ます。

しかし、誹謗中傷する人々は自分を神だと勘違いした “恥ずかしくってしょうがねえ” 奴ら。

誰かの不幸を笑い、ストレスを発散する人とは、感覚が合わないと歌っているように思います。

“もっかいちゃんと話そうぜ” と、神と勘違いした恥ずかしい奴らに呼びかけていますね。

引き受ける現実もなしに
語れる理想などあるものか
ボロボロの毛布 見せびらかすな
恥ずかしくってしょうがねえ

出典:恥ずかしくってしょうがねえ / 作詞・作曲:米津玄師

“引き受ける現実もなしに 語れる理想などあるものか”

言い換えると「覚悟もないのに理想ばっか語ってんじゃないよ」となるのではないでしょうか?

自分のことは棚に上げて(都合のいいことばかり発信し)、他者を袋叩きにするのは “恥ずかしくってしょうがねえ”。

“ボロボロの毛布 見せびらかすな” という歌詞からは、人を攻撃する前に、まずは自分の行い、姿をきちんと見ろという力強いメッセージが読み取れます。

サングリアワイン 口に合わねえな
無謬の民による宴 帰らせてくんねえか
サングリアワイン 誰もがユダなら
もっかいちゃんと話そうぜ

出典:恥ずかしくってしょうがねえ / 作詞・作曲:米津玄師

再び、自分たちを神と勘違いした恥ずかしい奴らについて歌われています。

米津さんにとって、やっぱりそいつら(サングリアワイン)は口に合わない。

無謬(むびゅう)とは、「理論や判断に誤りがないこと」、つまり完璧であるという意味です。

自分は完璧な神のような存在であると勘違いした民による宴。

“帰らせてくんねえか” という歌詞から、そんな奴らと関わりたくもないと辟易している様子が伝わります。

“ユダ” は、イエス・キリストを裏切ったとされる弟子の名前。

“誰もがユダなら” という歌詞には、この世に生きる誰しもが悩みや悲しみを抱えているんだという想いが込められているように感じました。

自らを神だと勘違いした奴らも、きっとユダのような苦悩を抱えている。

だから、他人を攻撃するのはやめて “もっかいちゃんと話そうぜ” と対話を求めています。

いつかそのナイフが
あなたの胸にも突き刺さるだろう
血が流れていく
誰のものかわからぬまま

出典:恥ずかしくってしょうがねえ / 作詞・作曲:米津玄師

ここで歌われる “ナイフ” は、誹謗中傷の言葉を指しています。

あなたが誰かに投げた心無い言葉(ナイフ)は、誹謗中傷をしたという記憶として、あなたの胸に残り続けるだろう。

誹謗中傷は、人を傷つけていると同時に、自分自身の心をも深く傷つけているのだ。

だから、誰も幸せにならない誹謗中傷なんて今すぐ止めるべきだという力強いメッセージが込められているのではないでしょうか?

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さいごに

いかがでしたか?

米津さんらしく聖書をモチーフにした素敵な楽曲でした。

誹謗中傷のない平和な世界を早く実現したいですね。

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