今回はヨルシカの『五月は花緑青の窓辺から』の歌詞を考察していきます!
『五月は花緑青の窓辺から』はヨルシカの1thアルバム『だから僕は音楽を辞めた』に収録されています。
『だから僕は音楽を辞めた』は音楽を辞めることにした青年「エイミー」が「エルマ」という女性に向けて作った設定のアルバム。したがって『五月は花緑青の窓辺から』の主人公は「エイミー」なのです。
しかし二人は既に離れ離れになっている、悲しい関係。その気持ちを描いたのが本楽曲です。
「花緑青(はなろくしょう)」とは薄いエメラルドグリーンを示す名前。歌詞の中では「伝涙は花緑青だ」と歌われていることから、5月に泣きながら窓辺を覗くという情景が浮かんできます。
主人公に一体何があったのか、さっそく考察してきます。
『五月は花緑青の窓辺から』歌詞考察
いつまでも終わらない夏の終わり
タイトルに「五月」と入っているにも関わらず、ここでは”夏が終わる”と綴られています。
これはすなわち主人公エイミーが、過去を回想している描写なのです。
つまり「君」とはエルマを指しており、彼女と過ごした日々を何度も思い出しては切なくなっている感情が物語られています。
エイミーにとってはエルマと離れてしまっている今、一緒にいた年月を思い、その時間から離れることができなくなっているのでしょう。
さよならしても、消えないもの
”さよなら”とエイミーは、エルマへ別れを告げます。
お別れしてからもう1年以上も経ち五月がやってきてしまっているのです。エイミーの悲嘆が長引いているのが季節の描写で分かりますね。
”青々”と”花緑青”は、涙を表現するのにふさわしい色彩。実にヨルシカらしい表現です。
”思い出せ!”
”思い出せない、と頭が叫んだ”
エイミーはエルマを思い出そうとしているのに、全く思い出せないという矛盾した現象が生じています。心と体が葛藤しているようです。
「思い出す」とはつまり、エルマがいない事実と直面しなくてはいけないということ。
愛しい存在を思い出したいけれど、同時に苦しい現実にも向き合わないといけないので、エイミーは苦しんでいるのです。
”痛みが魂だ”というのは、痛んでいる胸そのものがエルマへの愛を物語っているのでしょう。
ずっと思い続けるのは悪いことなのか
愛しい人と別れてしまうと、心から笑うのは難しいこと。
エイミーは愛想笑いしかできないほどに乾ききった心を持て余しています。
いつまで経ってもエルマを思い出してばかりいるエイミーのことを、周囲は馬鹿にしたのかもしれません。「早く忘れなよ」と。
しかし、エイミーの心はいつまでもエルマに向いているので、ただひたすらに思い出し、周囲の声を遮断することに努めているのです。
胸の傷が疼く思い出
2番のサビでは、周囲への闘争心を燃やしているように思える歌詞です。
”僕らの価値は自明だ”とは、エイミーとエルマふたりで過ごした時間は、自分たちにしか分からない・自分たちにしか創造できなかった絆なんだ、という主張なのです。
エイミーにとってかけがえのない日々を「早く忘れなよ」と馬鹿にしてくる周囲に対して”言い返せ”と自分を励ましています。
しかしエイミーは誰にも言い返せないままでした。
たった一人孤独に残されても、やはりエルマといた時間を思い出す胸の痛みが強すぎるのです。
本当の思い
同じ「さよなら」を告げても1番のサビとは異なるのがポイントのラストサビ。
”君の声がする”と、エルマの存在が色濃く現れています。
はじめはエルマを思い出せなかったエイミーですが、周囲に言い返せない不甲斐なさや会えない悲しみに打ち勝ちます。”思い出したんだ、と喉が叫んだ”という言葉は、エイミーがあらゆる痛みを超えて、エルマと邂逅したことの表れでしょう。
「心が叫んだ」わけではなく「喉が叫んだ」と、身体表現が非常に秀逸です。
本当の思いが魂から沸き上がって来てしまったことがありありと伝わってきますね。
ここでエイミーは初めて、もう会えなくなってしまったエルマの存在を強く感じ、その愛情を身に染みて感じることができたのでしょう。
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おわりに
いかがでしたか?
物語のような世界観ですが聴く者の心に寄り添うような歌詞、色や身体の表現が豊かな『五月は花緑青の窓辺から』。
ロックテイストで爽やかな曲調も聴きどころです!