2020年閏年に「再生」した東京事変。
そんな彼らの「再生」後の新曲として配信リリースされたのが『選ばれざる国民』です。
東京事変の再結成を祝うにふさわしい椎名林檎と浮雲のデュエット。
しかしその歌詞の内容はどこか啓示めいた不穏な雰囲気も見え隠れしています。
『選ばれざる国民』の英語タイトルは「The lower classes」。「下民」という意味です。
そこには一体どんな意味が隠されているのでしょうか?
文学的センスとその独特で圧倒的な世界観を持つ『選ばれざる国民』を考察していきます!
『選ばれざる国民』歌詞考察
オンラインは恩恵か

SNSの普及、ネット社会の拡大。
私たちは常にインターネットの恩恵を受けて生きています。
”総てはワイファイ次第”とは、そんな現状を表しているのでしょう。
しかしネットの恩恵を受ける一方、生身のかかわりが希薄化し、傷つく人が多くなっている現状もあります。
さらにはSNS上では炎上や誹謗中傷が止まらず、匿名であるのを盾にして知らない誰かを傷つけ合っている事態も多々発生しています。
素性を明かさずに誰かを傷つけばれそうになったら”加工”=「アカウント削除」などを行う。
自身の顔はアプリなどで過剰に加工し、本来の姿を盛って明らかにしない逃げ腰具合。
ネットで活発化している匿名の人間関係。その反面、実際に人と話すことは少なくなり、誰かを容易に傷つける現代社会を皮肉っているのではないでしょうか?
ちなみに『選ばれざる国民』のリリースは2020年1月1日。まだ「オンライン」という言葉が主流ではない時期です。
ある種の予言のようですね。
欲求が満たされない世界

”圏外”とはネット世界以外の場所=人との実際のかかわりを指すのでしょう。
ネット世界に慣れた人々は、実際のかかわりの中でも相互に傷つけ合っている現状が想像にたやすいです。
よかれと思って行ったことが、誰かにとっては傷になり得、コミュニケーション不足による狂気じみた世界が描かれています。
たとえばアイドルに対しての過剰な好意がもたらすストーカー行為。
また、週刊誌の異常なまでの報道…。
実際、椎名林檎さんは、作家・西加奈子さんとの対談で「Twitterでエゴサーチをする」と言っています。そして、あらゆる意見に傷ついてきたのだそうです。
刺激を求めてばかりで、飽くなき欲求に溺れ、心満たされない人々を描写しています。
世の中にあふれ出ている惰性感

ここではふらっとホテルに行ってしまうような男女がイメージされます。
心を深く通わすことなく、単純に快楽にだけ溺れる現代社会の日本人の比喩でしょう。
”何も生じないエクスタシー”とは、刺激や欲求に身を任せたまま行動しても、結局何にも得られることのできない虚無感や惰性感が描写されているのではないでしょうか?
実に椎名林檎さんらしい表現です。
「あわよくば」のズルさ

「あわよくば」とは「上手くいけば…」という「好機を逃がすまい」とするズルさが見え隠れする言葉です。
「あのネットページを見たい」
「あの人に触れたい」
「あれしたい」「これしたい」
単純に得られる快楽を求め、飽くなき欲求に翻弄される人々のズルさが見え隠れしています。
そうして得られた”淫らなエクスペリエンス”。
人々はそれが自分たちをどんどん退化させているのを知らずに、再びの欲求に溺れていくのでしょう。
「直ぐ美味しい 凄く美味しい」は日本の比喩

「直ぐ美味しい 凄く美味しい」とはどこかで聞いたCMのフレーズですが、利便性に富んだ日本社会を表す言葉と言っても過言ではありません。
人々の価値基準は”贅沢”か”質素”かの二極化しかなく、内容を吟味しない簡素なものに成り下がり。
世の中の便利な機能に身を任せ、その時に得た快楽だけを追っている、つまりは愚民であるのを示唆しています。
そうした現代の日本人は、政治や支配層にとって格好の餌なのです。
メディアの情報を鵜呑みにし、ただひたすらに便利を求めて生きる人々はやがて「被支配者」となってしまうというメッセージが隠されているようにも思えなくありません。
日頃から安直で惰性的な日常を送っているのが常になると、不平等の格差ができるのは当然のこと。
「平等」といった綺麗事を今更並べても、遅い。
すなわちそんな人たちは「選ばれざる国民」なのでしょう。
「正しさ」が人をつぶしていく

人々がこぞって営む様々な言動。
正義の気持ちを持って行ったことが、逆に炎上を起こしたり、人々の個性をつぶしてしまうような事態を起こしています。
正義を振りかざして犯人捜し、個性際立つ人をつぶしにかかり、根も葉もない噂をはびこらせ、自分たちは誰からも侵されない場所へ逃げていく。
そんなズルさを持っている限り、日本社会は衰退の一途をたどるのでしょう。
しかしそんな社会情勢の裏を突こうとする自分の個性すらも分からなくなってしまっている恐怖が描かれています。
いつまでも表舞台に立たない人たち

ネット社会に埋もれた人たちの思いを代弁しているような歌詞。
生身のかかわり・人間関係を恐れ、今日も匿名性を被って「いつかは…」と思っている。
それでは人生のスタートは切れません。”一生を訓練で終えるんだ”という厳しい歌詞も。
しかしこれは、椎名林檎さん自身が音楽家としての自分に言っているようにも思えます。
音楽にどこまでも真摯に向き合い、あの地位まで上り詰めた椎名林檎さん自身が、東京事変を「再生」させることで人生の本番をリスタートさせた気持ちの表れかもしれません。
突き止めるシナジー

ネット社会のことを考えれば、ここでは、見ず知らずの人たちがネット上で社会の問題をあぶり出し、いわば”共犯関係”を構築して、世の中を前進させていく動きに言及されているのだと考えられます。
もしかしたらネット社会の「良い面」に注目しているのかもしれません。
一方で「再生」を迎えた東京事変のことだとすれば、もともとは無関係だったアーティストたちが再び「音楽」を介して世の中を見つめ直し、メッセージを世の中に発信し出したとも読み取れます。
どちらにせよ、これからの社会で生きていく覚悟が見いだせる歌詞ですね。
東京事変が「再生」をした理由

「すべからく」とは「当然」と言う意味。
愚民化していく現代社会に対して、当然のこととして東京事変が「再生」をしたのが示唆されているように感じます。
”喰らわせたい”とは、音楽を通じて東京事変は新たなメッセージを世の中に広げたいと思ってるのが予想されます。
「選ばれざる国民」を救うためにメッセージ性の強い純粋な音楽を創作する。
東京事変が「再生」した理由が分かる歌詞です。
「弁える」重要性

東京事変が願うのは”在ると良いなが在る”状態。
少しばかりの不便や苦労、簡単に手に入れられるものではなく、ちょっとくらいお腹が減っている方が良い。そんなイメージでしょうか。
そうしている方が、人は「何かを手に入れる」ために一生懸命になりますよね?
アーティストとして自分に厳しい椎名林檎さんなら、そうしたメッセージを投げかけることは予想できます。
たとえ支配・被支配のヒエラルキーが社会に蔓延したとしても、そんなことは気にせずに自分自身を懸命に生き、「分別する」「識別する」「弁える」知性の必要性を説きます。
きっと私たちは情報の渦に飲まれ、真実を獲得するのは難しいかもしれません。
しかしちょっとした賢さを覚えれば、周囲から平和は始まります。
そうした聡明さ・賢明さを持った本当の意味での「選ばれざる国民」となることの重要性を説いた楽曲だと言えるでしょう。
おわりに
東京事変『選ばれざる国民』いかがでしたか?
ネット社会の闇、さらには東京事変の活動そのものなど、様々な解釈ができる『選ばれざる国民』。
東京事変が確固たる意志を持って「再生」したのはとてもよく分かる楽曲です。
コロナの流行やネット社会、政治問題…。社会情勢に合わせて解読できる点も東京事変の楽曲の醍醐味です。
今までのファンも、新しくファンになった人も是非『選ばれざる国民』を聴いてみてください!