今回は3月14日にリリースされるAdoさんの新曲「永遠のあくる日」の歌詞を考察していきます!
昨年のバレンタインデーに配信された「ギラギラ」の詞曲・編曲を務めたてにをはさん、イラストを担当した沼田ゾンビ!?さんと再度チームを組んだ「永遠のあくる日」
歌詞にはどんな意味が込められているのでしょうか?
楽曲コメントと合わせて見ていきましょう!
楽曲コメント
作詞・作曲を担当した人気ボカロP・てにをはさんのコメントをご紹介します。
『ギラギラ』では、自分の容姿にコンプレックスを抱いている主人公の姿が描かれていました。
人生を悲観している『ギラギラ』と、「あいしてる」と歌う『永遠のあくる日』
バレンタインとホワイトデーにかけられた対比ですね。
どんな歌詞なのか楽しみです!

永遠のあくる日 歌詞考察

この楽曲では、何らかの理由で愛する人をなくしてしまった人を主人公にして描かれています。
冒頭は二人の出会いが歌われます。
「恋をしてしまった」という歌詞から、二人の出会いは主人公の一目惚れだったのでしょうか?
「してしまった」の部分から、始まりを振り返り少し後悔している様子が読み取れます。
「洗う雨は虹の予告編だ」という歌詞を見ていきましょう。
今は雨が降っている=よくない状況、悲しい状況
虹の予告編=雨を乗り越えれば幸せが待っている
続く「なぜ君がここにいないんだろう」という歌詞から、君(想い人)がいない今の状態こそ「雨が降っている状況」であることがわかります。
”世界一有名な言葉”とは、楽曲コメントでもあるとおり「あいしてる」という使い古された言葉を指していると思われます。
なぜ「君」がいないのか?
歌詞の続きを見ていきましょう。

虹の予告編として流れる「映画のエンドロール」みたいな今の状況。
君は「あいしてる」と言い続けています。
しかし、主人公には、その「あいしてる」が「さよなら」に聞こえてしまう。
この部分の歌詞から主人公と君は、自らの意思で別れを選択したわけではなく、何かしらの理由で引き裂かれてしまったと考えられます。
勝手な想像ですが、『想い合っているのに引き裂かれてしまう』『涙』『映画のような展開』というキーワードから考えると、君(想い人)は重い病に侵されており、この楽曲は君と主人公が過ごした時間を歌っているのではないかと思いました。
どんどん重くなっていく症状を見せないように、「大丈夫、あいしてる」と伝え続ける君の姿が浮かんできました。

病気での死別と考えると、この歌詞は、彼が亡くなってしまった瞬間を表していると感じました。
眠るように安らかに息を引き取った君。
そのあまりに綺麗な姿に見惚れてしまう主人公。
「時間を止めた」=『永遠』、「1秒」=『瞬間的、刹那』の対比も興味深いですね。
君と過ごした時間は短かった(瞬間的)けど、時が止まった(永遠)かのように充実していた。
君が亡くなってしまったことで、その永遠の時間が消え去ってしまったということでしょう。
タイトルの「永遠のあくる日」という部分も意味が込められているように感じました。
翌日、次の日という意味の「あくる日」は、漢字で「明くる日」と書きます。
漢字ではなく、ひらがな表記にしていることに何か意味があるのではないでしょうか?
「あくる」で思い浮かんだのが、平安時代に書かれた『蜻蛉日記』です。
嘆きつつ ひとり寝る夜の あくる間は いかに久しき ものとかは知る
嘆きながら一人で寝る夜が明けるまでの間は、どんなに長いものか分かりますか。
(いえ、分からないでしょう。)
蜻蛉日記のストーリーは、浮気された妻が夫に対する思いを書き綴ったものなので、この曲の意味とは異なりますがこの一節は当てはまるのではないかと考えました。
この一節の「あくる」には、夜があけるの「明くる」と、部屋の扉をあけるの「開くる」が掛けられています。
この楽曲の「あくる」にも同じように、「君と過ごした永遠の時間が明けてしまう」という意味と「扉を開けて次のシーンへ進む」という意味が掛けられているのではないかと考えました。
涙の雨が上がり、やっと虹のシーンに行けると思ったのに、君がいなくなってしまった。
「神様それはあんまりじゃないか」という主人公の嘆きが伝わってきます。

最愛の人がいなくなってしまう、ベタな映画のエンドロール。
あいしてるという、これまたベタなフレーズも今の主人公にとっては、辛い言葉でしかありません。

聞き飽きる程、使い古された「あいしてる」という言葉。
これまでにも、大勢のミュージシャンが愛を歌ったラブソングを出してきました。
「あくる」には「飽くる」という意味も含まれているのかもしれませんね。
使い古された「あいしてる」、山のようにあるラブソング。
それでもまだ、「(醜いぼくらのラブソング作ろう)」と、主人公は呼びかけます。

使われすぎているゆえに、薄っぺらく感じてしまう「あいしてる」
しかし、主人公は自らが作る醜いラブソングで「あいしてる」を連呼します。

ラブソングを作りながら、君の最後を振り返る主人公。
時が止まった1秒間に見た君の笑顔は「まるで映画のエンドロール」
フィクションのようにベタで残酷で切ない二人の物語は、ここで幕を閉じます。

たとえ自分たちのストーリーが幾度となく描かれてきた平凡な物語の一つに過ぎないとしても「それでもぼくらはあいしてる」
次のシーンに君がいないとしても「それでもぼくらはあいしてる」
君との別れを受け入れ、前向きに生きようとする主人公の姿が浮かびました。
そして、君がいなくても愛し続けるという主人公の覚悟こそ、永遠に続いていくものなのではないでしょうか?
まるで一本の映画を見ているかのような、儚く切ない楽曲でした。

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さいごに
いかがでしたか?
「うっせえわ」など、インパクトのある曲で有名なAdoさんが、透き通るような綺麗な声で歌い上げる「永遠のあくる日」
何度でもリピートできる素敵な楽曲でした!
人類はもうずいぶん長い間「あいしてる」を様々な言語で言い続けているけれど、そろそろ飽きちゃったりしないんだろうか?
我ながらずいぶん純朴な疑問ですが、そんな疑問を出発点としてできあがったのがこの『永遠のあくる日』です。
『ギラギラ』を歌ったAdoが今度は「あいしてる」と歌い、連呼する。
その「あいしてる」には何かしらの“意味”や“趣”が宿りそうな気がしませんか?
『ギラギラ』がバレンタインデーの贈り物だとしたら『永遠のあくる日』はホワイトデーのお返しです。