2020年8月5日に発売された米津玄師のアルバム「STRAY SHEEP」に収録されている「Décolleté」について考察していきます!
デコルテとはフランス語で、襟ぐりの大きく開いたドレス、またはそのようなドレスを着用した際に肌が露出する部分のことを意味します。具体的にどこの部分かというと、おおよそ首・胸元・肩・背中ですね。
それが関係あるのかないのかは分かりませんが、アレンジもどこか西洋らしさを感じます。
米津玄師さんはこの曲について、ロングインタビューの中で、以下のようにコメントされています。
このことから、デコルテというタイトルは歌詞の雰囲気や流れから自然と生まれたのかなと思いました。
気だるく、ダーティな雰囲気を醸しながらも、部分的に繊細な女性らしさを感じるワードもちりばめられています。
では、歌詞の考察を始めていきましょう!

Décolleté 歌詞考察
過ぎたことばかり言う「あなた」に疲れた
あなたは間違えた 選んだのは見事ヘタレたハズレくじ
祭りはおしまいさ 今更水を差さないで
「祭りはおしまいさ」の一文から既に盛り上がった時期は通り過ぎたということが分かります。
その原因は「あなたは間違えた 選んだのは見事ヘタレたハズレくじ」からも分かるように、「あなた」が選択を間違えたことにあるようです。
ここで注目すべきは「ヘタレた」の部分です。
へたれるとは古くなってダメになるという意味で、既に古くなって今となっては何の役にも立たないような過去の「ハズレくじ」を主人公に突き付けているようです。
言わば、過去の栄光のようなものでしょうか。
居酒屋で「昔の俺はすごかった」という中年男性をよく見かけますが、昔はどうあれ今すごくないならその話に説得力はありません。
「今更水を差さないで」の一文から主人公は動じていない、むしろ鬱陶しがっている様子が伺えます。
荒れ果てていくユーモア あなたのパパとママは何をしていたの
兎角疲れました 数えるから直ぐに消えて
時代と共にあらゆるものが変化していきます。
「荒れ果てていくユーモア」もその一つです。
また、我が子の「ユーモア」が「荒れ果てていく」様子を見ていながらも、結局荒れ果てるまで何もしなかった「あなたのパパとママは何をしていたの」と問い詰めています。
まさに親の顔が見てみたい!というやつですね。
親の教育の仕方によっては「ユーモア」が「荒れ果て」ることなどなかったのではないか米津玄師さんが社会への問いかけも含まれているように感じました。
「兎角疲れました 数えるから直ぐに消えて」からは、それら全てにもう疲れてしまってこれ以上関わる気がないことが伝わってきます。
今は らんらんらん 深く眠りにつきたい
月が らんらんらん デコルテを撫でていく
疲れ果ててしまった結果、もうどうこうしようという気はなく、ただただ「深く眠りにつきたい」と訴えています。
「月が らんらんらん デコルテを撫でていく」から静かな夜の情景が思い浮かびますね。
誰にも干渉しないから、誰にも干渉されない静かな夜を過ごしたいという気持ちが伝わってきます。
どんなに人と騒ぐのが好きな人でも、一人になりたい瞬間はあります。
曲の雰囲気も相まって、閉塞感への諦めのようなものが終始伝わってきます。
そんな中、「月が ランランラン デコルテを撫でていく」から、月だけがわずかでも心の平穏をもたらしてくれているようですね。
一人で静かに過ごしたいと願う主人公
名のついた昨日は くれてやるから静かな明日をよこせ
卑劣な隣人を お許しくださいエイメン
二番も一番と同じような内容を、また別の表現で書かれています。
「名のついた昨日は くれてやるから静かな明日をよこせ」というのは過去の栄光はもう「あなた」のものでいいから、とにかく明日は関わってこないでくれ、一人にしてくれという思いなのでしょうか。
「卑劣な隣人を お許しくださいエイメン」は「あなた」への皮肉であると同時に、『自分はこんなやつとは違う』という裏返しの感情も見え隠れしています。
泣き出すのはノーモア あなたのパパとママはどこへ消えたの
易々と述べんな 他をあたっておくれダーリン
「泣き出すのはノーモア」は同情を引こうとしても通用しないと、更に追い打ちをかけているようです。
「あなたのパパとママはどこへ消えたの」は、一番のBメロでも登場した「あなたのパパとママ」が今だに「あなた」の暴走を止めようとする気配がないことから、もはやどこかへ消えてしまったのかと皮肉っています。
「易々と述べんな」からは軽々しく言葉にしてくる様子にうんざりしていることが伝わってきますね。
もう話を聞く気もないことから「他をあたっておくれダーリン」と言っているようです。
「ダーリン」は基本的に女性が男性に対して言う言葉なので、主人公が女性で、「あなた」が男性であることが分かります。
今は らんらんらん 混じりっけのないやつが欲しい
風が らんらんらん デコルテに溶けていく
「今は らんらんらん 混じりっけのないやつが欲しい」からはただただ純粋な感情を追い求める様子が伺えます。
それが愛情なのか、充実感なのか、希望なのかは分かりませんが、「あなた」とのやりとりの中ですっかり疲弊してしまった主人公は余計なことを考えず、ありのままに生きたいと願っているようですね。
「風が らんらんらん デコルテに溶けていく」からは静かな風が感じられ、そんな柔らかな風に気持ちも同調しているのではと思いました。
主人公の本音
はたと冷めたアールグレイ マイファニーバレンタイン
健やかなる人生の ひび割れをしゃなりと歩く
ばら撒かれた愛情を 噛む裸のトルソー
芳しいほどに煙る春を探している
アールグレイは紅茶の一種です。
「はたと冷めたアールグレイ」はもうとっくに冷え切った関係性の比喩でしょうか。
「マイファニーバレンタイン」は昔のジャズの名曲です。
こちらはどちらかと言うと『ダメなあなたも好き』という曲なのですが、こちらもアールグレイと同様、「あなた」との関係性が悪化したことから、主人公の気持ちには響かない空しい音楽になってしまったようです。
「ばら撒かれた愛情を 噛む裸のトルソー」の「トルソー」とは腕などがない胴体だけの銅像のことです。
この「トルソー」は主人公自身を指していると思いました。
「あなた」からの見かけだけの「ばら撒かれた愛情を 噛む」私、つまり、つまらない日々に甘んじている自分自身を投影しているのでは?
しかし、「芳しいほど煙る春を探している」から、本当はもっと一人よがりではない愛情を求め続けているようです。
これが主人公の本音にあたる部分ではないでしょうか。
今は らんらんらん 深く眠りにつきたい
月が らんらんらん デコルテを撫でていく今は らんらんらん 混じりっけのないやつが欲しい
風が らんらんらん デコルテに溶けていく
一番、二番と同じサビの歌詞です。
ですが、今まではただただ一人になりたいというメッセージだけも、先ほどの本音部分を垣間見た後、この歌詞を見ると深層心理ではもっと深く分かり合いたい、繋がりたいという印象を受けます。
一番、二番では「一人になりたい」という結果を表していたはずが、大サビでは『なぜ一人になりたいのか?』→『もっと純粋に繋がりたいから』という理由を表すフレーズになっています。
米津玄師さんのこういった表現は本当に巧みですよね。

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さいごに
デコルテというタイトルを含め、女性の方が聴き馴染みのある言葉を散りばめながら、気だるげな雰囲気の中で女性らしい繊細な心の揺れ動きを見事に表現されている曲だと思いました。
米津玄師さんの曲は女性目線のものも多いですよね。
磨かれた感性があるからこそ、こうした女性にも共感されるような女性視点の曲が書けるのかもしれません。
すごく無邪気に作りましたね、だから。うん、なんだろうな……まあ、歌詞としては、言葉としては、すごい疲れた人間の、熾烈な曲ではあるんですけどね。
自分の皮肉っぽさとかそういうものを、ほんとになんのフィルターもなくふわっと吐き出していったら、そっくりそのままこの曲になったっていう感じが、すごくありますね