米津玄師さん「クランベリーとパンケーキ」の歌詞の意味を考察します。
8thシングル「Lemon」(2018年3月)のカップリング曲。
米津玄師さんが作詞・作曲した「クランベリーとパンケーキ」の歌詞の意味をチェックしましょう。
クランベリーとパンケーキ 歌詞考察
ブロンズの女神とは?
不意に見かけたブロンズの女神の お臍に煙草擦り付けて笑う
出典:クランベリーとパンケーキ / 作詞・作曲:米津玄師
思い返せば馬鹿げている 大体そんな毎日
その日限りの甘い夜を抜け
今じゃ彷徨う惨めなストーリーライター
誰かわたしと踊りましょう なんてその気もないのに
「クランベリーとパンケーキ」は、夜通しお酒を飲んで翌日の昼に目覚めるという米津玄師さんの日常や二日酔いの最悪の気分が描かれた楽曲。
米津玄師さんにとって「お酒は眼鏡、もしくは逆眼鏡」という位置付けで、視力が良くなることによって神経が過敏になる「眼鏡」に対し、「お酒」は過敏になった神経を麻痺させたり、過剰になった自意識を抑えたり、「馬鹿」になることで目標などを見失わずに済むアイテムだそうです。
冒頭に出てくる「ブロンズ」は銅像や銅メダル、10円玉などの材料として使われる「青銅(銅+スズの合金)」または「黄色みがかった茶色」のこと。
この「ブロンズの女神」を「ブロンズ像」と捉えるか、「金髪(ブロンド)の女性」と捉えるかによって解釈は変わってくるでしょう。
「金髪の女性」なら「一夜限りのワンナイトラブ」になりそうですが、どれほど泥酔状態だとしても「お臍(へそ)に煙草を擦(す)り付ける」と「笑えない」はず。
つまり、深夜の街で「ブロンズ像を見かけ、そのおへそに煙草をすりつけて笑った」と解釈するほうがしっくりくるようです。
それでも器物損壊になりかねないので「笑えない」気もしますが、過去のイメージ(フィクション)かもしれませんし、「馬鹿げている」と反省しているようなので、そんな「夜を抜けて今」の話に進みましょう。
米津玄師さんは「今ではシンガーソングライター」ですが、作詞・作曲の楽曲制作(ソングライティング)のうち、作詞をピックアップすると「ストーリーライター=物語を書く人」ともいえます。
ただ、夜通しお酒を飲んで「彷徨う(さまよう)」気晴らしが必要になるほど、ストレスがたまっているのでしょう。
その辺りを自虐的に「惨め」と表現していると考えられます。
あるいは「踊る」気分でもないのに「踊ろう」と呼びかける物語を紡ぐところが「惨めでしょう?」といったニュアンスなのかもしれません。
ヒッピヒッピシェイク ダンディダンディドンで
出典:クランベリーとパンケーキ / 作詞・作曲:米津玄師
クランベリーのジャムでも作ろうね
パンケーキと一緒に食べようね ほら丁寧に切り分けて
ヒッピヒッピシェイク ダンディダンディドンで
全部頬張って隠してしまえ
やがて熱さにも耐えかねて
嗚呼きみは吐き出した
1番のサビです。
昼に目覚めて「二日酔いの最悪の気分」に見舞われている頃でしょうか。
それでもお腹は空くので「踊りながらブランチを作って食べよう」としています。
シングルの表題曲「Lemon」からの果物つながりで「クランベリー=ツルコケモモ」を引き合いに出し、さまざまな人との関わりを「ジャムセッション→ジャム」になぞらえたのかもしれません。
「クランベリー」はベリー系の果物のなかでは「ストロベリー、ブルーベリー、ラズベリー」より知名度が劣りそうですが、スーパーフードとしても人気があり、アメリカ(11月の第4木曜日)やカナダ(10月の第2月曜日)の感謝祭では七面鳥に「クランベリーソース」をかける習慣があります。
ドラマ「アンナチュラル」(2018年1月~3月)の主題歌として幅広い層に受け入れられる普遍的なJ-POP「Lemon」を生み出し、その反動で「馬鹿」方向に振り切りつつ感謝している、とも受け取れそうです。
ただ、「ヒッピー・ヒッピー・シェイク」といえばスウィンギング・ブルー・ジーンズ(1963年)のほか、ビートルズやジョージア・サテライツ(1988年)のカバーでも知られるロックの名曲であり、マージービート(リバプールサウンド)の代名詞。
J-POPとヒップホップのトラック(ビートを含む曲)の融合を図ったバラード「Lemon」には大勢の人が熱狂したという「熱さ」はあるものの、「クランベリー」を彷彿とさせる酸いも甘いも噛み分けるような「音楽通ならではのおもしろみ」には欠ける可能性があることを認識しているからこそストレスがたまるのでしょう。
その辺りを「隠しつつ、吐き出す」行為のように感じられます。

馬鹿な歌?
戯れ哀れハメ外すあまり 足滑らせて砂を噛むばかり
出典:クランベリーとパンケーキ / 作詞・作曲:米津玄師
憶えちゃいない痣だらけ 大体そんな毎日
廃墟だらけのメルヘン市街じゃ マセガキ達が隠れてキスする
涙交じりの恋になりませんように
「砂を噛む」とは「味わいやおもしろみがない」こと。
「クランベリーとパンケーキ」を食べた後の流れとして、皮肉が効いています。
酔っ払って記憶を失ったり、失敗したり、街で見かけたカップルの幸せを願ったりする日々のようです。
ヒッピヒッピシェイク ダンディダンディドンで
出典:クランベリーとパンケーキ / 作詞・作曲:米津玄師
ランドリーまで歩いてこうね
汚れたシーツを洗おうね ほら丁寧に取り分けて
ヒッピヒッピシェイク ダンディダンディドンで
もう一度浮かれた祈りの方へ
こんな馬鹿な歌ですいません
嗚呼毎度ありがたし
2番のサビです。
1番の「クランベリー」と2番の「ランドリー」で韻を踏み、「パンケーキ」と「汚れたシーツ」では韻を踏まずに外したのでしょう。
物語としては「クランベリーとパンケーキを吐き出したことによって汚れたシーツを洗うため、ランドリーに行く」という流れです。
二日酔いになるほど深酒した後には、「吐き出した=発散した」ストレス(汚物)を自分で「洗う=浄化する」必要があるというオチでしょう。
こうした米津玄師さんの日常が描かれた「馬鹿な歌=クランベリーとパンケーキ」を聴いてくれたリスナーに謝罪と感謝の言葉を伝えています。
微睡んでいたい きみみたいに この宇宙が 終わるまで
出典:クランベリーとパンケーキ / 作詞・作曲:米津玄師
微睡んでいたい きみと一緒に この世界が 終わるまで
まさに二日酔いの「微睡み(まどろみ)」が描かれていたのではないでしょうか。
ラストに1番のサビと2番のサビ「こんな馬鹿な歌で~ありがたし」の部分が繰り返されます。

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さいごに
もしかしたら「Lemon」で銅メダルを獲ったくらいの達成感を得たものの、普遍性(パンケーキ)と音楽的なおもしろさ(クランベリー)の狭間で葛藤があり、「祈り」と真逆の「馬鹿」路線でバランスを取りつつ、「祈り」の方向へ戻ろうとしたのかもしれません。
「祈り」路線と「馬鹿」路線の狭間でまどろむのも米津玄師さんらしいのではないでしょうか。