今回はずっと真夜中でいいのに。のボーカル・ギターを担当するACAねさんとラッパーのRin音さんがコラボし、更に藤井風さんの曲を全てプロデュースしているYaffleさんがプロデューサーとして参加した楽曲です。
「Character」は菅田将暉さんが主演を務め、SEKAI NO OWARIのボーカルである Fukaseさんが俳優デビューを果たした映画『キャラクター』の主題歌になっています!
「売れない漫画家が殺人犯の目撃者となり、その殺人犯をモデルに漫画を執筆して売れていく。その中でそれぞれの人間模様を描く。」
という映画の内容にマッチするように作られており、猟奇的な殺人犯とその目撃者の心情を再現するかのようにダーティな高揚感に溢れた曲となっています。
では早速歌詞の考察を始めていきましょう!

Character 歌詞考察!
誰もが持つ二面性

曲冒頭では人格の二面性について歌い、本能に訴えかけているように解釈できます。
「ジキルがハイド俺がお前をtrace」というのは多重人格であっても同じ人間の内面であり、本来の自分ではない人格が今表に出ている本来の人格を乗っ取ってしまうような切迫感があります。
「アイデンティティが唯一我を保つプロセス なら記憶の奥の方までたどるメス」というのは「今表に出ている人格を形成しているアイデンティティが芽生える前の段階に戻って乗っ取ってやろう」という裏にいる人格の野望が感じられます。
「who am I 統制されるナンバーと脳」は今表にいる人格が裏に芽生えた人格を理性で抑えようとする様子です。
「この日の国に太陽が沈む頃 少しずつ薄れていく影」というのは夜になっていくほど光と影との境界線がなくなり、少しずつ裏の人格が出てきてしまう様子が表現されています。
そして「内面の嘘」は自分の中に悪意が確かにあること。裏の人格と言えどもそれは自分自身であり、結局自分が悪意を持っていることに気づいてしまいます。

続く歌詞では少しずつ裏の人格に表の人格が侵食されていく様子が描かれています。
「背後に隠れた魔 痛み隠して何を思うか」は気づいてしまった自分自身の悪意を無理に隠すことに意を唱えています。
「朱に交わらぬ主観」は「朱に交われば赤くなる」に対して絶対的に自分の考えが他人の考えに左右されないことを表現しています。
後半部分は「我がものにして上がる口元 いいぜ好きにやりな ブレる価値観 優しさと狂気の狭間にある 底の見えぬ闇の中に埋もれてく」と裏の人格に身を任せ、悪意に逆らわなくなっていることがわかります。
このままでいいのか迷う善意

ここで今までのRin音さんパートからACAねさんパートに変わり、雰囲気もガラッと変わります。
この部分は悪意に身を差し出して良いのか迷う善意(元の人格)の様子を表現しています。
「キス」というのは愛情のこと、今まで愛情に溢れた生活をしていた元の人格を表しています。
今まで通りずっと過ごしていたことが「温い永遠」という言葉からわかります。しかしそのような永遠は怖いようです。
母は今まで通りの人生の方が喜びますが、主人公は悪意に魅了されており、今までの人生に戻ることは考えられなくなってしまっています。
悪意に憧れる元の人格

ここでサビに入りますが、1番のサビでは元の人格が純粋に悪意で行動する裏の人格への憧れを吐露しています。
続く「隠した上等」「血走った重い通り」はそれぞれダブルミーニングになっており、二重人格を歌詞でも表現した格好です。
「隠した上等」はそのまま取ると裏側に隠した悪意を「上等」と表現しており、漢字を変えて「格下上等」と取れば社会的には下の立場、犯罪者を表現しています。
「血走った重い通り」は血走った目をした自分が「思い通り」、自分の思う通りに行動する様子とそれに対して「重い道理」、社会のルールを血眼でぶつける元の人格を表現しています。
しかし悪意に身を任せて行動してしまった以上、道理をぶつけてもそれは「悪足掻き」でしかなく、できることと言えば「合掌」くらい。もう手遅れになってしまったことを示しています。
裏の人格が送ってきた生活


2番冒頭では悪意を持った裏の人格が今まで送ってきた生活の情景を具体的に描いています。
「灰に変わる君という君」は次々に殺した人々、それをポートフォリオに仕舞い込んで記録して更に殺人を重ねていきます。
その様子に神様も「どうぞよろしく」とお手上げ状態になり、世間からはたくさんの2つ名をつけられています。
そして続く歌詞で「大当たり」「運命が交差」と大きく変化するきっかけがあったことが描かれています。
これは映画の内容に照らし合わせると、自身をモデルに描かれた漫画を見た殺人犯が新たな殺人のインスピレーションを得る様子と思われます。
被害者をモルモットと表現し、ワルツを踊るように人々を蹂躙していく裏の人格。しかし殺された被害者に対しては塩を撒いて追い払うといった冷酷さが表れています。
そうして殺した人々の幽霊が寄ってくるのは悪意に身を任せた代償であり、今はまだ元の人格に戻ることをしようと思えばできるものの、悪意に魅了されている主人公はもう後戻りできません。
そして今日も殺人を犯すであろう裏の人格に情を持ち、また悪意に身を任せていきます。

サビ前のこの部分は1番と似たような言葉で構成されていますが、今回の視点は裏の人格から見た視点です。
「キスで止めて」というのは愛情によって悪意が制限され、「温い永遠」に戻ることを恐れている様子です。
そしてここで言う「母」は元来の母親という意味ではなく、悪意が生まれる「源」として使われています。
悪意に従って殺人を続けていけば、そのうち自分に共感・同情する人も現れ、最後には皆円満に終わると思っています。
同じ歌詞ながら裏の人格の視点

そうして入るサビは1番と同じ歌詞であるものの、裏の人格からの視点と捉えるとまた違った考え方が成立します。
悪意に心酔している裏の人格は、悪意に魅了されながらもまだ善意を捨てきれていない表の人格が悪意に染まって欲しいと考えています。
裏の人格にとって「正直なくらい危ない真面目」が純粋な悪意であったとすると、表の人格にとっては今まで持っていた純粋な善意であり、1番では憧れであった「欲しい」は2番では「奪いたい」という意味に変わっています。
後半部分は1番と同じく、少し残った善意で裏の人格に道理をぶつけても手遅れである様子が表されています。
それぞれの人格に戸惑う

この部分はそれぞれの人格の心境の変化を表現しています。
「手におえぬ痛み」は表の人格にとっては魅了されてしまった悪意、裏の人格にとってはまだ少し残っている善意への戸惑いです。
そうしてそれぞれの人格が曖昧になっているため、確立したアイデンティティを欲しています。
誰でも生まれたときはまっさらで、そこから人格が形成されます。
つまり裏の人格が出てきて変わったのではなく、元々持っていた部分を無意識に隠していただけだったのです。
そしてそれを自分でもわかっていますが、いまだに今後どうなっていくのか不安に思っています。
そうして表の人格はとりあえず裏の人格に倣った態度を取り、裏の人格は表の人格が少し残した善意(愛)を求めていきます。
2つの人格が統合されて「自分」が形成される

ここでは「自分を引き出せるのは自分だけ」というメッセージが読み取れます。
「親」は善意と悪意、「子」はその結果生まれる愛情や殺意、「二人」は表の人格と裏の人格を表します。
それぞれの人格及びその人格が抱いている欲求や感情に嘘はありませんが、元々持っていた人格を無視した振る舞いをするのには限界があります。
誰にも引き出せない自分は自分自身によって引き出されていきます。
「汗ばんだ夏」は自分を解放する時期と捉え、そうすると本性を解放することで理性と本能が統合し、本来の自分になった様子が表現されています。
「ただいま」というのも本来の自分への言葉と捉えることができます。
お互いぶつかり合う善意と悪意

ラストサビでは歌詞が同じですが、「ギリ」が「義理」と漢字に変化しています。
義理というのは人が守るべき正しい道のことであり、それぞれの信じる道をぶつけ合う2つの人格と解釈できます。
そして「隠した上等」が「格下上等」に、「重い通り」が「思い通り」に変化しています。
これはどちらの人格も思い通りに行動すると弱い部分があり、どうしてもなるようにしかならないので2つの人格を見守っていこうと決めた様子がわかります。
二重人格までは行かなくても性格の二面性は誰しもが持っており、それにもがき、受け入れていく主人公の様子が描かれた曲になっていますね。

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さいごに
誰しも二面性を持っており、それを受け入れていく様子を映画に重ねてダーティに奏でられる「Character」。
曲だけでも強いメッセージ性がありますが、映画を見るとより曲が理解でき、映画のシーンが歌詞と共に思い浮かぶかもしれません。
曲を聞いたら、ぜひ映画『キャラクター』も見てみましょう!