若者に大人気のバンド・My Hair is Bad。彼らの4thアルバム『Boys』に収録されている『舞台をおりて』の歌詞を考察します!
『舞台をおりて』は男女が終わりを察している切ない楽曲。制作に際しボーカルの椎木さんは次のようにコメントしています。
これに即して考えれば「舞台」とは二人の関係性。そこを「おりる」とは”別れ”を意味しています。
My Hair is Badが描く男女の終焉。一体どのような歌詞なのでしょうか?早速見て行きましょう!
『舞台をおりて』歌詞考察
最後だけは笑顔で飾って
”今夜”とはお別れする夜つまり「二人で過ごす最後の夜」と言えるでしょう。
波風を立てないように笑顔を取り繕って、最後くらいは笑って終えることのできるような「無理している感覚」が伝わってきますね。
”今日で二度と会うことがないとどこかで分かるからね”
冷たくもあり、あたたかくもあるような絶妙な歌詞。
あれだけ仲良くしてきたにもかかわらず「金輪際会うことはないだろう」という確固たる気持ちが歌われます。
終わる事実と、一緒にいた事実
”春の片隅に咲く花”とは「スタート」をイメージさせるような言葉。
それを”踏まれている”と表現するのは、「お別れ」を示唆しているのでしょう。
どういった理由で別れに至ったか分かりませんが、選択した道を思って憂鬱な気分になっています。
”誰がどうとかはいいから”とは、「誰が悪い」「誰が悪くない」という「理由探し」でしょうか。
しかしお別れを選んだ二人にとって、もう理由をいくつも挙げるべきではないと言っています。
”同じ場所にはいないけど 同じ月を見た”
既にお別れを悟り心も体も別々の場所にあっても、同じ経験をした事実は変わりません。
「月」自体は変わらないように、二人の思い出だけは動くことなく輝いているのでしょう。
終焉を迎える二人にとって、最後の救いの事実ではないでしょうか。
お別れを選んだって
”昔の話はしたくなくて”とはつまり、思い出を振り返りたくないということ。
お別れを選んだって多少の未練は残ってしまうのが人間ですよね。
メソメソと泣いてしまったりしたら、また関係性が続いてしまうことも予想される。
だから、前向きにこれからのことを考えて行こう。
少し無理しながらも前進しようともがく主人公の気持ちが伝わる歌詞ですね。
恋の舞台が終了するとき
”恋人役”とは要するに、
・最初から「いつかこの恋が終わる」と予想していた
・今は演技で悲しみを隠している
こんなことを考察できます。
そろそろ舞台をおりるとき。二人の関係に幕が閉じる瞬間が迫ります。
本当はこのまま
”せめて今日だけ朝が来ないで”とは主人公の本音です。
お別れを選んだにもかかわらず、後ろ髪引かれるような思いで心がいっぱいになっているのでしょう。
”ずっと夜が続いてしまったら”とは、別れることなくやっぱりこれからも付き合い続けるということ。「そこに安住できたらどれほどれほど幸せか…」と後悔に近い念も感じられます。
でも夜は明けます。お別れはやってきてしまうのです。
お別れするならハッピーエンドに
関係が続いたら二人はきっとダメになってしまうのが予想できたのでしょう。
未練にまみれながらもやはりお別れを選ぼうとする二人。
最後の瞬間に笑っていないと、後悔したり、未練が残ったりすることを危惧したのでしょう。
演技でも”笑ってあげたいんだ”と自分の心を鼓舞しています。最後の強がりです。
”幸せな役だけ演じていく訳にはいかない”
二人で生きていくのには苦しみも悲しみもあります。
ずっと取り繕って「幸せごっこ」をしていくわけにはいかないのです。
苦しくても舞台をおりようとする決意で締めくくられるラストです。
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おわりに
いかがでしたか?
My Hair is Badのじりじりとした繊細な未練心の描写には唸るものがありますね。
ぜひ聴いてみて欲しい一曲です!