緑黄色社会は、愛知県出身の4人組のピースポップロックバンドです。
高校の同級生である長屋晴子さん(Vo/Gt)、小林壱誓さん(Gt/Cho)、peppeさん(Ky/Cho)、と小林さんの幼馴染である穴見真吾さん(Ba/Cho)によって2012年に結成されました。
長屋晴子さんの時にハスキーで力強く、時にクリアで透明感のある歌声と、個性異なるメンバー全員が作曲に関わることにより、生まれる楽曲のセンスに同世代の支持を集める注目のバンドです。
MV
『あのころ見た光』のMVは林響太郎監督が手がけた作品です。
林監督は『sabotege』や『Shout Baby』のMVも手がけています。
強風の中歌い続ける4人の姿からは力強く前に進もうとする気持ちが伝わってきます。
この曲のテーマは?
この曲の魅力は、「力強さ」だと感じます。
作曲された時は、20歳頃で子どもから大人に変わろうとしている多感な時期ですね。
この曲が作られたのは20歳ころに感じていた葛藤や苦悩の中、「音楽」によって乗り越えられた「光」を自分たちが放っていきたい、誰かの光になりたい、といった想いが込められているそうです。
この楽曲に関して緑黄色社会さんからこのようなコメントを残しています。
東北テレビのエンディング
この『あのころ見た光』は東北テレビのエンディング・テーマ曲に使用されています。
思わず聴き入ってしまうと、多くのラジオでも高い評価を得ているようです。
それでは、緑黄色社会の『あのころ見た光』について歌詞を見ていきましょう。

あのころ見た光 歌詞考察
光を目指して

この曲に登場する主人公は、ふと自分の過去を振り返って不安や焦りを感じている様子が描かれています。
「憧れていた自分」があって、ずっと追いかけてきたのに今の自分がそうなっているのかな・・・時間だけが過ぎてしまって「自分の心が追いつかない」という心情が歌われています。

不安や焦りの中にも「光」が見えています。
その「光」に向かって「進むしかない」という決意をかんじます。

サビの冒頭「twenty-one」とは21歳という意味です。
20歳から21歳にかけて書かれた楽曲ということも注目されるポイントです。
もがきながら大人になってきた、今までの「迷路」のような道のり、そしてこれからの人生も終わることもなく進んでいく。
「予想できない明日」というフレーズには、希望もあり、恐怖もあり、色々な感情が混じっているように感じます。
未来にことは誰にもわからないけど遠くに見えた「光」を目指して全力で「今を生きてる」のです。
前を向いて

「苦い言葉」も「時が経て」大人になれば、その言葉の意味を理解できることがあります。
「嫌いなもの」も「時が経て」大人になれば「好きに変わる」こともあります。
年齢を重ね、理解できるころがあると気がついた主人公は「背伸び」することをやめて、前を向いて進んでいくことを決意しているようです。

「引き返そうとした」とき、向かい「風」が吹いてきて、前を向いて「進むしかない」と改めて決意しています。
背中を押してくれる「風」がとても力強い味方のように感じますね。
1番の歌詞よりも、さらに強い意志が込められているように読み取れます。
そして、引き返すことをやめて、前を向いていくのです。

「プロット」とは物語の筋やしくみという意味があります。
ですから「夢のないプロット」とは、怖さに怯えた現実的な物語ということでしょうか。
逃げてきた「今まで」とは変わろう!という想いが歌われています。

主人公に見えていた希望の「光」
未来に向かっていく、前に進んでいく勇気をくれた「光」
自分たちが前を向いて全力を尽くしていくことが「誰かの光」になれるはずだ。
今後は自分たちが「誰かの光」になりたい。
「君」のための「光」になるからねと温かい言葉が綴られています。
とても素敵な表現がされていると感じました。

21歳になった今。
もがきながらも「光」を目指してきた道のりの中で沢山の「ヒント」が「散らばってきた」こと。
未来に向かう「ヒント」を沢山受け取っていたこと。
主人公はそのことに気づいたようです。
受け取った「ヒント」をパワーに変えて
未来に向かって「生きていく」のです。

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さいごに
この曲は、不安や焦りもあるけれど、前に進むヒントは沢山あるから全力で進んで生きていこう、
「光」を信じて前を向いて生きていこう、と背中を押してくれるような楽曲でしたね。
悩んでいる時や、弱気になっている時、ぜひこの曲を聴いてパワーをもらってくださいね。
20歳から21歳ことに作詞作曲になった曲なので苦悩がよく描かれていると思います。
ただそれ以上に20歳を過ぎてから感じることが多くありました。
その際に変わっていく姿にとても悩んだ時期だったようです。
その中でさらに思い悩んで作詞作曲となりました。
そのことにより自分や周りを鼓舞されてしまうような楽曲になったのではないでしょうか?