今回は2019年7月19日にリリースされた枚目シングル「愛にできることはまだあるかい」の歌詞考察をしていきます。
同年公開された大ヒット映画「天気の子」の主題歌となった「愛にできることはまだあるかい」は、ヴォーカル・ギター・ピアノの野田洋次郎さんが作詞作曲を手掛けました。
それでは早速「愛にできることはまだあるかい」の歌詞を考察してみましょう。
「愛にできることはまだあるかい」 歌詞考察
生き辛さとアイロニー
生を受ける時とこの世を去る時を除いて、モノに囲まれて過ごしていくのが私達人間です。
昔から富める者=勝者、持たざる者=敗者という図式はあるかと思いますが、明確に「勝ち組」「負け組」といった言葉も出現・浸透し否が応でも意識して生活しています。
ここでは「諦めた者と 賢い者だけ」=「勝者」と提示されています。
現状に妥協した人、ずる賢く世渡り上手に生きてく人は「勝者」で、自分の意思を曲げない正直な人や不器用な人は「敗者」とみなされる、ということでしょう。
そんな「勝者」の蔓延るこの世の中で「敗者」はとても生き辛く、息苦しさを感じています。
「勝者」「敗者」の二極化を感じている人も少なくはないのではないかと思いますが、今のこの世知辛い世の中を俯瞰してアイロニカルに描いています。
「支配者」「神」「オトナ」という言葉が出てきますが、ここでは前出の「勝者」であり主人公より上位にいる人たちのことを指しています。
その「勝者」の観点からすれば、青臭くてすっかり縁遠く感じているであろう対極の「勇気」「希望」「絆」という言葉がまとめて「魔法」と表現されています。
それでも「勝者」にもどこか頭の片隅にその「魔法」の言葉が存在し意識はしているのではないかと主人公は名言しています。
ただし、「勝者」はそれらの「魔法」を使う事もなければ真正面から向き合うこともありません。
この世の中を上手く生きていく為には、色々なモノを見て見ぬふりをせざるを得ない時もあります。また、最初は良心の呵責を抱いていたとしても、見て見ぬふりを重ねる内に徐々に感情も麻痺し、「勝者」側の世界に浸ってしまうものではないでしょうか。
「だけど本当は わかっていはず」や「眼を背ける」という歌詞から、「勝者」側に「魔法」が全く眼に入らない、全く消失してしまったわけではないのが分かります。そしてここでもまた、社会に対する痛烈なアイロニーを感じます。
ここで「君」と「僕」という「勝者」側の人間とは立ち位置が異なると思われる登場人物が描かれます。
「全正義」という「勝者」からすれば対極の言葉が出てきます。
「君」=主人公である「僕の全正義」であり、しかも主人公の「ど真ん中」に位置しています。「君」の存在は主人公にとって恐らく生きる指針であり「勝者」とは相容れない関係ということが読み取れます。
ここで注目したいのは「あの日の 君が今もまだ」という歌詞です。
前出の「オトナ」との対比として、子どもの頃から現在まで「君」は変わらないのです。
「オトナ」になり社会に出ると少なからず子どものままではいられないものです。
主人公は子どもの頃からどの程度変わっていったのか、はたまた「君」と同様に変わらずに生きてきたのかは分かりません。
少なくとも子どもの頃と変わりない「君」が主人公の正義であり、それが中心にあると名言しているのですから、「勝者」側ではないことは明らかでしょう。
ここでは更に「君」の立ち位置が描かれています。
社会から弾き飛ばされ苦境に立たされても、子どもの頃から変わらずにいるだけでなく、冷酷な社会に立ち向かうのが「君」なのです。
そして、タイトルの「愛にできることはまだあるかい」というフレーズが出てきます。
社会には愛情などはなく非常に冷たく辛い場所であることがわかりますし、その様な場所を「愛」によって変えることが「まだ」可能かどうか、手遅れでないかどうか、問いかけています。
更に「僕にできることは」と続きます。
あくまでも社会に立ち向かうのは「君」で主人公は傍で見守るだけの傍観者にもとることはできます。
しかし、ここで能動的に自分にできることが未だあるのかどうか問いかけており、非常に力強くポジティブな印象を受けます。
「君」が多用されているこの部分では「君」と「僕」の男女の恋愛について描いている訳ではないと捉えている考察が複数ありました。
「愛」は「君」と主人公が大事にしているもので、広い意味での「愛」を肯定的に捉えており、更に「愛」=「正義」であると提示しているとのことです。
主人公は「君」から「勇気」を貰い、「愛」を「分け合って」います。ここでの「愛」は「君」から「僕」へと一方的に向かうものではなく、双方向の「愛」となっていることにも注目したいポイントです。
そして、「愛」を分かち合う相手は他でもない「君」とでなければならないと明言しており、ここでもポジティブで力強い印象を感じ取ることが出来ます。
変えることのできない運命
ここでは予め決められて、自ら変えようとしても変えることのできない運命=人生について描かれています。
主人公や「君」だけでなく、リスナーである私たちも同様に、どうすることも出来ない事はあるのではないかと思います。
人生は時に「サイコロの目」やくじ引きの当たりや外れの様な、頼りない偶然性で成り立っている様でもありますし、神様が予め「気まぐれ」で決めてしまって自ら選択することすら出来ず、苦しみを感じることもあります。
がんじがらめな状態に陥ったり、困難にぶつかった時、この部分の様なネガティブな感情を持ってしまうのではないでしょうか。
今の生き辛い社会にいる私たちにとって非常に共感できるものがあります。
若干ネガティブな言葉が並ぶ部分ではありますが、「揺らぐことない意思」という言葉だけは非常にポジティブです。
「君」と主人公には困難な状況に置かれても強い信念とでも言える、一本筋の通った考えを抱いています。これは唯一の希望であり、2人は如何に強固に結びついているか伺える部分ではないでしょうか。
温かい世界
前出の「果たさぬ願い」「叶わぬ再会」「ほどけぬ誤解」「降り積もる憎悪」といった否定的な言葉とは打って変わり、こちらでは「許し合う声」「握りしめ合う手」と、ポジティブさと温かみを感じ対照的に描かれています。
ひどい社会の只中にいても、冷たく辛いばかりではなく温かさや許しあう寛容さも残されている、というメッセージがあるようです。
「許し合う」「握りしめ合う」とある様に、人と人との繋がりが描かれており、この世界も少しは温かみのある捨てたものではない、という希望の持てるメッセージを感じ取ることができます。
問いかけと感情
ここでは「生きる」ことの意味を考えさせられる問いかけが重ねられています。
「夢」を見る事がなければ、人生は空っぽのままで、「希望」が持てなければ限りある人生は生き辛いものでしょう。
いつか手放さなければならない時が来ると分かっていても、それがたとえ僅かな時間であっても、何も手に出来なければ寂しくもあります。
また一旦手にしたモノはそのまま離したくないのが人間です。やはり程度の差はあれ人間には「欲」があります。
「気まぐれ」な神様は、私たちの限りある人生に辛いことばかりでなく、ちょっとした「喜び」や「希望」を与えている訳ですが、そういったものに執着する私たち人間を上から見下ろして何を思っているのか、問いかけています。
ラブソングもラブストーリーも巷には溢れていて、既に先人達が数々のラブソングを歌い、ラブストーリーを紡ぎ、それらが消費されつくした世界=「荒野」に主人公と「君」は生きてます。
それでも尚、「愛」にも主人公にも可能性はあるのだと提示しています。
ここの部分ではアーチストとしての野田洋次郎さんの決意表明と受け取ることも出来ると感じました。
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さいごに
「愛にできることはまだあるかい」という少し長めで哲学的なタイトルと、歌詞の内容に深く考えさせられてしまいました。
傍から見たら青臭く感じられる「愛」「正義」「勇気」といった言葉の数々をまるで「魔法」のように扱いながらも決して青臭さは感じさせることなく、見事な愛ある作品に仕上げられているのが本楽曲です。
MVは長回しと様々な天気が印象的なシンプルで美しい映像作品となっており非常に見応えがあります。
「愛にできることはまだあるかい」に登場する「君」と「僕」が生きる世界が凝縮されたようなMVも併せてご堪能ください。
現代社会へ向けての問題提起を美しいメロディーにのせて歌い上げる野田洋次郎率いるRADWIMPSの今後の作品にも注目していきたいですね。